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★浅川兄弟資料館を訪れた

2008年02月05日 | 韓国大好き!
~韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人~

●新村地区人権啓発推進協議会の主催により、山梨県北杜市の「浅川兄弟資料館」↓を訪れました。
浅川兄弟と言ってもほとんどの方がご存知無いと思いますので、ご紹介させていただきます。
       
▼「浅川兄弟」とは兄:浅川伯教(のりたか)と弟:浅川巧を言います。
       
            【浅川巧さんの写真】

■浅川巧さんとはどのような方か?
巧さんは明治24年、山梨県甲村⇒その後の高根町⇒現在の北杜(ほくと)市に生まれます。
学校を卒業後、秋田県で営林署職員となる。その後、韓国で小学校の先生をしていた伯教を頼って韓国に渡ります。

巧の業績は3つあります。

その1:営林署職員として戦争で禿山になった韓国の山に植樹しようと頑張るのですがなかなか上手くいきません。韓国の民衆と同じレベルで付き合おうと考えていた巧は、民衆のふとした言葉から「天然埋蔵法」と言う方法を発見し、その技術によって現在の韓国の植林は成功したのです。
       

その2:当時、李朝青磁は美術品として一級の評価を得ていたのですが『白磁』の評価は低く、誰も見向きもしない存在でした。そんな白磁の魅力に取り付かれた巧は、既に評論家としての地位を確立していた「柳宗悦」に白磁の魅力を紹介し、これを機に白磁が広く世界に認められるようになったのです。
          
 【白磁「青花辰砂蓮花文壷」李朝時代(18世紀)の作品】

その3:巧は日本の役人でありながら、普段から韓国の庶民が着るパジ・チョゴリを身につけ、流暢な韓国語を話した為に、日本語のできる韓国人と思われていたようです。韓国を愛し、一般庶民と対等な生きたをしたのです。
 当時植民地下にあり、韓国人を見下す風潮の中でも決して、韓国人を馬鹿にせず、身銭を切ってまで美術館を建設した人なのです。
       
             【当時の韓国の民衆の生活】
 
◆浅川巧の生き様は韓国の教科書にとり上げられているので韓国人なら誰でも知っています。ところが日本人はほとんどの人が知らない。この資料館も、日韓の会談の中で「浅川巧を知っているか?」との問いかけに知らずに恥をかいた政治家の肝いりで、約10億円をかけて急遽、建設された建物です。

◆当日の案内人はこの運動に心血を注いでいる「清水九規(ちかみ)」さんにご説明を受けました。非常に熱く、分かりやすい説明の中に、改めて巧の偉大さが伝わってきます。
       

★このように素晴らしい人物の生きざまを映画化しようとする運動があります。
作家の江宮隆之さんが浅川巧を主人公に『白磁の人』と言う素晴らしい小説を書かれました。
       
この小説に感銘を受けた「やんちゃ坊」の経営者である「李春浩」さんがライフワークとして『「白磁の人」映画製作実行委員会』を立ち上げました。この活動につきましては、リンクをクリックするか、私のブックマークからアクセスしてください。
会員も市長を始めとして、各首長、会社役員、各種団体長など多くの名士の方々が名を連ねています。

◆映画監督、配給会社、資金集め等が順調に行なわれております。白磁の人の映画用の脚本として『冬萌の朝』も上梓されました。これまた素晴らしい作品です。
       
★★浅川巧さんを知らない方々に、一人でも多くの人に彼の素晴らしさを伝えたいと思います。山梨県北杜市の近くに行かれた時は是非、浅川兄弟資料館を訪れて下さい。そして映画化にご協力をお願いいたします。

【旧暦:12月29日】

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