PARK'S PARK

パクのお庭にようこそ。環境問題、ロハス、バイオ、空手、映画、多言語など情報満載です。少々硬派な内容を目指します。押忍

第9回NPO法人日本空手松涛連盟 東海北信越大会

2008年06月30日 | 空手いのち!

●29日に『内閣府認証 特定非営利法人 日本空手松涛連盟 東海北信越大会』が松本市総合体育館で行なわれました。
出場選手は約800名。一流派の地方ブロック大会としては国内でも最大規模の大会です。

 ■選手のレベルは非常に高く、本大会の入賞者は全国大会でもトップクラスにランクされます。

◆今回のオープニングセレモニーでは雅楽による”君が代”演奏と独唱がありました。
君が代に関しては様々な意見がありますが、この歌の本来の姿である雅楽による演奏は純粋に素晴らしいと思います。
諸外国の国歌はほとんど戦いの際に作られたもので”屍を超えて。とか”血の雨を乗り越えて”みたいな内容ばかりです。
それに比べて士気は上がらないかもしれませんが、真の平和を歌ったものであると思います。


【君が代斉唱】

★本大会の特長としては、車椅子空手があります。車椅子に座った形で型競技を行ないます。


【お昼のアトラクション:浅間火焔太鼓の若獅子会】

また、一般の大人、特に60代の年配者、女性の参加が多いのも特長です。
まさに老若男女、ハンディを持った人々が同じ会場で自分の持つ技術を発揮して頑張りました。


【女子決勝】


【男子決勝】

 素晴らしい大会でした。事務局、裏方として頑張ってきた苦労が報われた気がします。



【長野県支部の道場生と指導員、保護者】


アルバイト遍歴

2008年06月29日 | 懐かしい思い出

●ミクシィの方で、あなたの経験したアルバイトは?の話題に答えていて、我ながらたくさんのアルバイトを経験したな~と感心しなおした。

 ■いい機会だから、思い出せるだけでも、一言コメントを書いてMEMOしておこう。
ミクシーのマイミクの日記にあげるには長すぎるので。
(だんだん思い出したので追加してます)

 小学生時代
牛への餌やり:家は極貧で家畜商。毎日夕方、牛への餌やりは家族全員の仕事。買い物、草刈り、は当然。山羊の乳を毎日もらいに行ったな~⇒違う話になってきた。
市民会館の売店の売り子:親戚が権利を持っていたから、売店にはあまりいないでコンサートを見ていた。
いろいろなアーティストを目の当たりに見れた。これは大きかったが、荒木一郎&マックスが強烈に印象に残っている。
野球場でアイスキャンディー売り。甲子園の予選の時には馬鹿みたいに売れて儲かった(らしい)? 子供は飽きて野球を見ていた。

大事な仕事を忘れていた:内職:我が家では毎晩夕食が終わると内職をはじめる。袋貼り、造花作り、電気部品の組み立て・バリ取り、家族全員でおしゃべりをしながら、毎晩つくりました。本当に貧しいながらも楽しい我が家、を絵に描いたような思い出です。

 中学時代
土曜日の午後、日曜日は建築労働(いわゆる土方):親戚が建築業だったから1日1500円もらえた記憶がある。
田植え、稲刈りのバイト:1000円もらった。

高校時代(バイトも本格的)
新聞配達:とにかく冬は寒かった。52軒配って、1月ほぼ1万円
ほとんど毎日玄関で待っていてくれたおじいさんが「若い時の苦労は買ってでもしなさいよ」といってくれたのですが、当時はうるせ~ジジイだな、くらいにしか思わなかったし、苦労なんかもう嫌だ!と泣いたものです。
でも、今になって苦労して良かったな~とつくづく思います。


土方:日曜日と夏休み、冬休みは必ず土方でした。1日2000円位で良かった。 

額縁製造、1軒ずつ工業団地を回ってとってきた仕事 

ビリーヤード、パチンコ屋、ボーリング場、サウナ、アーチェリー、などの店員 

 大学時代
昭和52年の大卒の初任給が6万円程度の頃月に20万円前後稼いでいた。
で、生活費、授業料(国立大学は年間3万6千円!!)、飲み代、車代、全部自分でまかなって、しかも時々家に送金していた!

自分で稼いで払った授業料だからもったいなくて授業はほとんど皆勤。友達の代返をしていた。

相変わらず肉体労働系が基本で、一番面白かったのは1m掘れば千円、ってのがあって無茶苦茶掘りましたね。
請けによる歩合と、固定賃金性の違いを知った。

宣伝カー:眼鏡屋、スーパー開店、軽井沢ベルコモンズ、:この時から運転がうまくなった。

通信教育の添削:Z会みたいな奴。1通添削して500円だった。毎日2000円くらいになったから助かった。いつも飲み屋で添削して、その分が飲み代だった。

住宅地図:1軒1軒回って、古い住宅地図を更新する作業。ゼンリンの仕事だったけど、疲れたし割りは悪かった。

バックホーの耐久試験:試作のバックホーの耐久試験。2人で組んで、1人1時間ずつ、土を掘っては埋める作業。1時間縦に掘ったら、右横に掘る、左横に掘る、など厳しく決まっていた。かなり乱暴に扱って欲しいとのことで、ガツンガツン掘ってましたね。生産性はまったくなかったけど、これも面白かった。

アンケート:これも良かった。実は真剣に全部は回らなかった。

選挙アンケート:結構文句を言う人もいた。
朝日新聞は異常に厳しかった。全然割りが合わなかった。

選挙応援:宣伝カー、動因:自民党は金が良かった。
しかし大体共産党か社会党だったから、割りが悪かった。

スナック店員、喫茶店店員:こう言う職種は苦手だった。営業、販売はあわないと思った。

焼肉屋の店員:松本の韓国焼肉屋の店員。最初はオーダーを聞いて出すだけ。そのうちにご飯をといだり、ピビンバを作ったりした。マカナイが美味しかったし、うれしかった。でも、あわないと思ったね。

サンプルに説明文:それなりの言葉があると思うのだけれどなんと言うのかな。要は永●園のお吸い物みたいな商品を開発した味噌屋さんの無料サンプルに説明文をホチキスでとめる仕事。一日中ホチキスを打っていたから、3日で腱鞘炎になってしまった。でも、単純労働は無心になれるし、自分にあっていた。

シイタケの菌打ち:椎茸の原木に菌を打つ仕事。原木がトラックに数十台分あって、毎日ドリルでアナをあけて、菌を詰めて、蝋で封をしたのですが、3週間かかりましたね。これも単純で面白かった。

またまた思い出した(追加):家具卸し:ルートで家具屋を回って、絨毯やタンスを卸してました。2トントラックの運転がうまくなったのはこの時。この時買った絨毯TF-600まだ使ってます。32年使っている!

中古自動車販売:学生相手に中古車を売っていた、1台売ると1万円もらえた。学生が自動車を持ち始める時代だったから、結構売れた。

お茶の販売:学校や役場にズカズカ入りこんで、職員に高いお茶を売った。これもやばかった。

家庭教師:学生の王道を忘れていた。週に1回2時間で1万5千円だったと思う。でも子供の成績はちっとも上がらなくて、この体験から教師をあきらめる。

シリカゲルによる籾の乾燥試験。学校の実験とまったく関係なかったのですが、企業での実験とはこういう風にやるんだと学んだ。

引越し:車の免許を18歳で取っていたので、松本から上田に引っ越す時に、レンタルトラックを借りて運び屋。これはリスクが高かった~。まあ儲かったな。

まだ思い出しました!(追加):運転代行:夜の代行運転ではなくて、自動販売機のルートメンテナンスをしている人が飲酒運転で3ヶ月の免停になったので、私が運転をして、当人は自動販売機のお金を集めて、缶を補充するのです。8時から3時半頃までで3000円だった。当人が1500円、会社が1500円を負担していて、友達とローテーション組んで3ヶ月間やりましたが、これも割が良かったな~。

8/23またまた追加:銀行の泊り込み夜警:年末年始に泊り込んだのです。
12月29日の仕事納めの日から泊り込んだのですが、何故か外から鍵をかけられて、一切外出できなくなってしまったのです。
で、6日の朝までの食料を持ち込んで入ったのですが、やることが無いので、2日には底をついてしまって、友達に頼んでおせち料理を、窓越しに差し入れてもらったのです。
これも情けなかったな~。

小学生の帰宅時に教材のチラシ配り:景品で釣って、住所や情報を聞き出して、プロの販売員が乗り込んで高額な教材を売り込む奴。これはやばかったな~。

 トマト工場:これが収入的には一番大きかった。1ケ月に25万円を越したので、19歳で初めて所得税を払った。昭和49年ですよ。
当時大卒の初任給が6万円程度でした。破格に給料が良かった。夜勤の12時間勤務だけど、仕事は楽だった。当時の製造業の管理はは劣悪でトマトジュース製造の裏側を知った。
バイトが事故で指を切断し、アルバイト同盟を結成し団交をした。これが後の学生活動へつながる。 だんだんやばい職種の話し。

葬儀屋:お葬式の段取りにお手伝い。言われたことをただ淡々とやるだけの誰でもできる仕事。ほとんどは夜の担当当番の麻雀の相手。
何日も仕事が無いと「暇だな~、そろそろ誰か死なねかな~」などと不謹慎なことを言っていましたね。

パチプロ:高校生の時からパチンコ台の釘を調整していたから、釘を見るのは簡単。しかも他の台の出玉も詳細に記録してデータ-化していたから、楽勝に毎日儲かった。でも4年生の時に出ないし、時間が無いから荒っぽい方法を使ったんだけどばれて裏で袋叩きになりましたね。

ストリップ劇場:これがなんとも凄かった。バイト料は夜7時から12時までの5時間で3800円位でかなり良かった。しかも夜食付き!当時めしがつくかどうかでうれしさがまったく違った。何しろ本当に金が無い時には残飯をあさっていたのだから。
踊り子さんの給料は1日3ステージで1万5千円。ナマイタする人は2万+α。

こんなこと書いていいんだろうか?たまにはまぁ、いいか。いつもこのブログは硬いと言われているから・・・。
踊り子さんは基本的にやさしくて、いい人ばかりだった。問題はヒモさん。これは無茶苦茶怖かった。
ストリップの合間のコント。これがつまらない。どうせ場末の劇場に来るのだから、皆いわゆる都落ち(?)、です。むかし、マグマ大帝の着ぐるみに入ってましたとか、何とか?忘れた。いっぱいいましたがとにかくつまらない。
中には当時「同棲時代」がはやった頃ですから、旦那は売れない小説家、でそれを支える薄幸な踊り子みたいな世界にひたっているカップルもいましたね。

◆思い出すのは、これくらいかな。とにかく大体の職種は経験したつもりだし、非常に人生に役に立った。 だから、就職する気なんて全然無かった。
当時の中村雅俊の「俺達の旅」を真似して自分達で「何でもする会社」を作ろうと考えたけど、仲間が集まらなかったので断念。

 会社に入ったら、いきなり初任給7万円と激減!!でも時間ができたので、別の面で時間を有効に使いましたね。思えば、23才位が一番のんびりしていた。

★ところが、入社1年目で会社が倒産して、仕方が無いから、20代そこそこの若造が金を出しあって、今の会社を設立したのです。
最初はベンチャーの雄!と言われて、マスコミにもとり上げられたのですが、その後は単なる田舎の零細企業になってしまいました。

でも今でも、会社が倒産しても、首になっても全然怖くないし、かえって面白いと思っている。自分にはタフさと、バイタリィティー、ハングリー精神があるから。

 だらだらと思い出を書いてしまった。たまにはいいね。


済州4・3事件/文京洙教授講演会

2008年06月28日 | 韓国大好き!

●『渡来人まつり』のプレイベントとして立命館大学の文京洙教授をお招きして講演会を開催しました。テーマは『済州島の歴史と文化そして4.3事件』です。

 ■済州島で1948年4月3日に始まったこの事件の概要は上の案内を参照にしていただきたいのですが、この事件については、知らない事実が多くあり、非常に勉強になりました。 

◆講演会、議論の詳細な内容は様々な議論があり、ここに載せることはでき無いのですが、信州大学人文学部の大串ゼミの学生をはじめ、熱心で知識も豊富な一般社会人の皆様が多く集まりました。

★この事件に関しては、まだ開示されていない情報が多くあり、その検証は確定していない。
言えることは、当時のソ連vsアメリカの代理戦争的な一義的な単純な構図では無く、韓国国内での差別、貧困などの様々な要素が複雑に絡んでいることです。
また、虐殺を逃れようと日本に渡たりそのまま在日として住み着いた人々も多い。
このような事実をさらに知識として学習していきたい。


韓国の旅⑯/海印寺大蔵経板殿の偉業

2008年06月27日 | 韓国大好き!

●世界遺産に指定されたいる海印寺大蔵経板殿にやってきました。
伽耶山国立公園の中にありますが、この山には様々な立派な寺院があるのです。
その中でも海印寺(ヘインサ)は高麗八萬大蔵経が保存されていることで有名です。


【伽耶山の案内】


【ここも世界遺産です】


【海印寺大蔵経の経典が納められた蔵です】


【経典が版木に彫られています。その数8万!】


【これが版木。世界的にも古い時代のすぐれた印刷技術です】 


【ヘインサの中庭】


【大規模な改修工事中】 

 
【韓国にはスレンダーな美人が多いですね】

  ■山から下りてきて、喉が渇いたので、またまたビールです。今回の旅ではとにかくよく飲んでいる。でも酔わない。気分が高揚しているせいと、韓国ではやっているビール(hite)は度数が低いライト系です。

 
【金さん、朴ヒョンニム コンベー!】

◆で、おでんとムクです。おでんは日本の植民地時代に輸入された言葉で、駅のファーストフードは、”オデン”と”ウドン”しかないのが一般的で、日本語で普通に言えば通じます。
ムkはドングリを粉にして、羊羹のようによせたものです。
サンチュとゴマをあえています。


【ムにゴマ、キュウリ、レタスのサラダ】

ヘルシーで美味しいです。チョンマル マシイッソヨ!


【ムの原料のドングリを水につける】

 ★海印寺を出て 高速バスで慶州に戻ります。


環境に悪いこと

2008年06月26日 | 環境問題を考える!
●今日は環境に悪い恥ずかしい話。
廊下の隅にうず高く積まれた、Amazonの箱。
私は週刊誌、コミック以外に毎週2冊程度の単行本を読むのですが、そのほとんどを通販に頼っている。
            

■月に7~10冊、金額にして7千円前後は購入するので、プライム契約をしている。
文庫本1冊でも翌日に送料なしで届く。
一時期、プチプチが内装された封筒で届いた時もあったが、またこの箱になってしまった。
この写真は、約1ケ月に送られてきた箱なのです。

◆それですぐに箱がたまってしまう。たかだか1冊の本をトラックに載せて大きな箱に入れて運んで来る。
TUTAYAレンタルシステムもDVD2枚をトラックで運んでくる。

★環境に優しくをモットーとする私としてはなんとも申し訳ない。
自分で本屋やレンタル屋に行っても車に乗るしCO2出すよな~なんて、自己弁護しても、どうもやりきれない。
なるべく本の注文はためてから注文する以外に無いかな。

『渡来人まつり』プレイベント

2008年06月25日 | 韓国大好き!

●今年も恒例の渡来人まつりが行なわれます。まず、プレイベントとして『文 京洙』立命館大学教授による講演会が行なわれます。

■上の案内のように6月27日(金)14:40~18:00に信州大学人文学部 新棟6階で行ないます。
テーマは『済州島の歴史と文化 そして4.3事件』です。

 ◆第2弾は7月13日(日)14:00~17:00 松本大学にて松本猛 安曇野ちひろ美術館館長による『失われた弥勒の手』の講演と対談が行なわれます。

★そしてメインイベントは7月19~20日 松本大学において『日韓文化交流の集い』が行なわれます。
済州島メンバーによる『仮面劇』。農民音楽『プンムルノリ』。囲碁まつり、食と文化の交流、済州柿染め紹介、などなど盛りだくさんです。

また、御紹介いたします。皆さんこぞってお集まりください。


沸騰都市/ダッカ”奇跡”を呼ぶ融資

2008年06月24日 | 世の中を良くしたい!

●22日のNHKで「沸騰都市シリーズ、ダッカ”奇跡”を呼ぶ融資」を見た。
世界でも貧しい国として知られるバングラディシュが急速に経済成長を遂げているらしい。
政府が引っ張ったわけでもないし、資源もないこの国が何故発展することができたのだろうか?


【縫製工場は自転車操業だが活気がある】

■その元になっているのがNGOのBRACによる融資です。
ノーベル平和賞を取ったグラミン銀行に先んじて始められたのですが、まさに貧困層を救い国家の発展に寄与しているようです。
無担保で少額を融資するマイクロクレジット。金利は年15%と市中の半額以下。
借り手5人が仲間を作り、返せない時にはみんなで助け合う制度で返済率はなんと99.5%!!
彼らは本当に真面目だ。
「貧困層に必要なもの援助では無く、融資だ」の理念が実を結んでいる。
「馬に水をやるのではなく、水の飲み方を教える」=「農民に食料を与えるのでなく、食料の生産の方法を教えて」いるのです。

創始者のムハマド・ユヌスの名前も記載しておこう。ほんとに素晴らしい人物だ。


【子供たちにインターネットに触れる機会を与える取り組み】

◆国民も見事にそれに答えている。
貧民層のハングリー精神には圧倒されるものがある。かつて日本人が持っていたバイタリティーだ。
彼らは本当に良く働く。”この街には働いていない人なんかいないよ!”と誇らしげだ。
そして明るく真面目だ!みな、本当に苦労し、知恵を絞り、ぎりぎりの金策の中で、しっかり返す真面目さは驚異的です。
日本に追いつき追い越すよ、と屈託の無い笑顔で話す。
本当に日本がキャッチアップされる日が来るかもしれない。


【明るく屈託の無い笑顔が印象的】

★日本は既にピークを越し、末期患者のような閉塞感が漂っている。
”引きこもり”の人たちに是非こう言う番組を見て欲しい。
これを見て、何も感じる所がないとしたら、それは本当に重症だ。

俺も頑張らなければ。負けられないな、などと元気が出てくる。

 ▼最近NHKの番組は非常に良質でクオリティーが高い。
受信料にプラスしてカンパしたいくらいだ。


インディー・ジョーンズ/「クリスタル・スカルの王国」を観た

2008年06月23日 | 映画レビュー

●『インデイー・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』を観た。ジョージ・ルーカス、スピルバーグ チーム絶好調と言う所でしょう。

■まさにジェットコースターアドベンチャー。勢いで観客を圧倒してしまう。
そして時々、重く。まさに映画のツボを知り尽くしたスピルバーグワールドにはまってしまいます。

オープニングは1作の失われたアークが納められている巨大な倉庫から。そしてヒロインも1作目のマリオンです。
ハリソン・フォードもすでに66歳! 体当たりの演技ですね。インディー・ジョーンズⅢ世による、続編の予感がある。まだ、シリーズが続いてくれるとうれしいのですが。

 ■ 映画が好きな人間からすると、良くないな~と思うことがある。
シリアスな映画や、不幸をテーマになら”名画”とするような”間違った”評論をする人がいる。
一方、興行成績がすべてで、多くの人に見られた映画が一番だ、的な短絡なものでもないと思う。
そして、”あなたにとって一番良かった映画は”とか”ランキングをつけるなら何番ですか?”と言う問いかけを見かける。

★まったくナンセンスである。映画にはジャンルがあるのだから、例えばサッカーと相撲とどちらが好きですか?と同じ質問です。
しかも同じ映画でも、その時のシチュエーション、TPOが当然異なるのだから、映画にランキングをつけることだけはやめて欲しい。


楽蔵ぴあの/雅音人

2008年06月22日 | HANAとコンサート

●21日は自宅から5分の松本市新村の「楽蔵ぴあの」で雅音人〔ガネット〕のコンサートを聴きました。
雅音人のコンサートを聞くのももう3回目になります。
今回は蔵を改造した素敵な喫茶店ですが、音が一段と良いようです。


【広い吹き抜けの元 蔵】
※雰囲気を壊さないようにフラッシュを控えたので、暗いしブレていますが御勘弁を。

■今日は初めて聴く歌が数曲ありました。
「赤いカーネーション」は96歳の藤牧さんが母の日にあわせて作った詞に、tamikoさんが曲をつけたと言う事ですが、胸にジーンと来るものがあります。


 【藤牧さんへのインタビュー】

◆「メッセージ」も初めて聴いたのですが、これが雅音人の原点とのことです。
深い思いと崇高な願いが込められた、まさに最高のメッセージソングです。

▼ストレートで熱い思いを込められた詩、癒し系のメロディ、Tamikoさんの爽やかで張りのある歌声、最高のテクニックのキーボードとギター、関さんの最高のハーモニー、味のある辻さんのハーモニカ。
非常に完成度の高い、最高のユニットです。


【辻さんのハーモニカも最高のテクニックです】

★Tamikoさんの作る詩はすべて愛と平和を歌った物です。
ともすれば陳腐になるストレートな詩を何の衒いもなく作り、歌い上げる彼女のまっすぐな気持ちが好きです。

演奏曲備忘録
①あなたへ ②渚にて ③木陰 ④母なる川の流れよ ⑤雲の上の保育園 ⑥for You  ⑦ほうずき ⑧満月 ⑨赤いカーネーション ⑩初雪 ⑪春告鳥 ⑫愛の歌をうたおう ⑬メッセージ


安曇族の謎③/『失われた弥勒の手』をたずねて

2008年06月21日 | 韓国大好き!

●”信州渡来人倶楽部”のイベントで長野県松川村の観松院を訪ねた。
前回書いたように、安曇野一帯には5~6世紀に韓国からの渡来人のグループがやって来て、その後一大勢力となったと言う説があります。
その大きな根拠となっているのが、この観松院の弥勒菩薩なのです。

この日は「失われた弥勒の手」の作者であり「安曇野ちひろ美術館」の松本猛館長にお越し戴き、説明を受けました。

■この銅造菩薩半跏像は鑞型によって造られた金銅仏ですが、火災の厄にあったらしく黒色の焼膚となり、鍍金もほとんど剥落している。右手も臂から先を失い、榻座の後にも凹みがある。

右手の臂から先は後補であるため、素人の私が一目見ても違和感がある。
非常に引き締まったウエストがこの像の特徴です。面長の顔に大きな眼がくっきりと刻まれ、口元にはほんのりと古式の微笑(アルカイックスマイル)をたたえている。 

 当時の日本には銅像を製作する技術など到底なく、7世紀前半に 朝鮮半島の新羅で製造され、渡来人によって日本に運ばれてきたと考えられているが、その事情は分かっていない。

 制作年代の古さ、優秀さ、歴史的な意義などの点から、最近ますます高い評価を得ている。昭和53年に国の重要文化財に指定されている。

【松川村発行の資料より】

◆私は 様々な仏像の中で弥勒菩薩が圧倒的に好きです。庶民を救うために兜卒天で56億7千万年も修行してくれていると思うと、もったいない=ありがたい気持ちでいっぱいになります。

◆その後、桜沢遺跡、爺父が塚古墳を見学。古墳時代の後期の6世紀末に構築された円墳です。この古墳は明治10年代に開口されたが既に盗掘されており出土品は失われており、一部の装具のみが宮内庁に所蔵されている。 

◆松川の平野で、当時の渡来人の住居の説明を受ける。

◆最後は「安曇野ちひろ美術館」を訪れました。
いわさきちひろさんの作品は、少しさびしくなるけど、とても好きな絵のひとつです。
美しい安曇野の風景にマッチして、清清しい気持ちになれます。

 

★考古学とは古い過去の遺物を単純に発掘するだけの退屈なものでは無い。
物証からの推測⇒立証⇒フィードバックを繰り返す、ロマンをモチベーションの源とした根気を必要とする大変な学問です。
そして新発見は現代に反映される素晴らしい学問であると思います。

自分が今ここに存在する事実とそのルーツ、さらにこれからの生き方を見直す機会にもなるのです。
素敵な仲間にも恵まれ素晴らしい一日でした。


写真の裏側

2008年06月20日 | 徒然なるままに

●この写真↓はブログ、ミクシー両方のプロフィールに使用しているお気に入りの写真なのです。 

ミクシーには書き込んだことがあるけど、かなり裏があるのです。
上から青いタオルは健康ランドから借りている物、サングラスは浜名湖で行なわれた花博で拾った物、迷彩色のTシャツは100円ショップで買った物、ギターは学生時代にマージャンの借金のカタに永●君から略奪した物、右からつき出ているのはドラムのスティックではなく焼肉の箸。
要はかなりでたらめなグッツで固められていた訳なのです。
オーストラリアから帰国したばかりでヒゲは伸び放題!

 ■写真を整理していたら、この時のプリント写真が出てきた。
写真を撮ったのは2004年の夏なのですが、”レンズ付きカメラ”です。

◆見た通り、周りはかなり雰囲気が違うでしょう!特に右から出ている腕の太さには圧倒されますね。 (腕を焼いているんじゃないですよ)

★要は写真は怖いな~。最近、一部分だけをトリミングした写真が発表されて問題になることがあるが、全く違う写真になってしまう。

新聞記事やマスコミからの情報も、必ず裏に違う事実が潜んでいると考えて読まなければならない。


遅寝、早起き

2008年06月17日 | スポーツ大好き!
●”忙しい!”が続いてます。今日で何とか、一段落しそうです。
毎晩24時までには横になるようにして、朝4時頃起きています。昨日は23時に寝て3時に起きました。

■高校生時代に深夜放送が好きで毎晩26時頃まで起きていた。ところが新聞配達をしていたから5時半に起床!これでショートスリパーの習慣がついたと思う。
母親もショートスリーパーで、24時に寝て、5時には起きている。

さらに、それで頑張れる秘訣は『4時間眠れば大丈夫!』そう自分に言い聞かせる!事です。

◆朝起きる時には魔法の呪文がある。これをつぶやけば即すっきり起きられる。でもこれは秘密。
朝は夜と比較して2倍以上効率が良い。夜はついついダラダラしてしまうが、朝はケツカッチンですから、集中力が継続する。

★何より、夜が明けてだんだん白んでくる雰囲気は清清しい。
鳥がさえずり始め、みんなが動き始めるのを感じながら、作業を終盤へと持っていく。
とにかくやらなければいけないことと、やりたいことがいっぱいあるから、時間を作るには”遅寝、早起き”しか無い。

忙しい×3/弱音を吐くな!

2008年06月16日 | スキルアップしたい!
●忙しい×忙しい×忙しい
普段から忙しいが、こんなに忙しいのも久しぶりです。
あげたいネタがいっぱいあるけど、時間が無い。5分だけ時間を作って書き込もう。

■何故忙しいかと言うと、一番は会社の諸々の締切日が続いていること!(内容は丸秘)
2番目は空手の大会の広告原稿の作成。これが想定外に時間がかかっている。
文字原稿だけならそんなにかからないのだが、ロゴや地図を作ると1件作るのにすぐに30分くらいかかってしまう。

◆3番目は信州渡来人倶楽部の渡来人まつりの諸々の作業。これはまだたいした作業をしていないが、なんとなく時間がとられてしまう。
その他、家庭菜園、炊事、洗濯、家事、病院への送り迎え。これらは仕方がない。

★充実した密度の濃い日々を過ごしている、とは言えるが、ちょっと忙しすぎる。
ここの所、睡眠時間は3時間程度!夜は異常に眠くなるので、朝3時から4時に起きて作業する生活が続いている。

こんな時、自分に言い聞かせるのは高校の校訓その1『弱音を吐くな!』。

一段落したら、のんびり旅行したいな~。
(以上5分!)

収穫の喜び

2008年06月15日 | ロハスな生き方

●家庭菜園では収穫が始まっている。

とにかくすべて柔らかくて甘い。
キューリが美味しい!!甘くて柔らかい。


【レタスも病気、虫がつかない】

◆韓国で買ってきたサンチュが柔らかい。葉っぱが薄いようだ。


【ルバーブ⇒ジャムが美味しい】

■玉ねぎを2百個くらい収穫。


【時間を作って吊るさなければ】

★とにかく美味しい。このうまさは自分で作って食べた人しか分からないと思う。
しかも完全無農薬で、完全安心。
野菜に体力があるのだろう、まったく農薬を使わないが病気にならないし、虫もつかない。
何年も入れてきた、鶏糞や有機物が効いてきたのでしょう。

安全・安心・美味しい。
体力もつく。自然の中で働く喜びでストレスも無くなる。
こんな贅沢な遊びは無いね。


今こそ『成田』をつぶせ!

2008年06月14日 | 世の中を良くしたい!

●羽田空港の国際化がすすんでいる。2010年に4本目の滑走路が使えるようになり、国際線への利用が進むようである。
『国際線は成田、国内線は羽田』との国策が壊れつつある!
今こそ、成田空港を一ローカル空港に格下げしようではないか!


【羽田空港4本目計画案】

■そもそも1966年何の通告も無いまま突然”国際空港”に決定された成田空港は、国の驕り、失政の象徴であった。
当時小学生だった私にとっても農民の迫力ある抵抗運動は迫力があり感動した事を覚えている。
大学に入り、多少ではあるが三里塚闘争に関わったものとしては、いまだに成田空港を利用したことは無い。

◆そもそも、当時の(今もそうだが)政府首脳人には10年先、100年先を見越したグローバルなデザインなどと言うものは存在しなかったのでしょう。
ここに来て、香港、韓国、シンガポール等が巨大で利便性の良いハブ空港をあいついで開港し、日本は国際競争から完全に取り残されている。

http://www.youtube.com/v/9UHUP662Pis&hl=ja"></param><param

★もちろん羽田空港にしても騒音などの解決しなければいならない問題は多々ある。
しかし、成田と比較すれば格段にハードルは低いと思う。
何しろ、成田は望まれて生まれた空港ではないのだから。

▼リタイヤした団塊の世代の元闘士の皆さん!
今こそ成田に引導をわたす時ではないでしょうか!
ゲバ棒はいらない。たった一通の投書でも、ブログの波でも、世の中を動かせる。
本当に小さな一歩から社会は変えられると、いつも信じているから!