PARK'S PARK

パクのお庭にようこそ。環境問題、ロハス、バイオ、空手、映画、多言語など情報満載です。少々硬派な内容を目指します。押忍

韓国の旅⑭/沙也可の里④

2008年05月31日 | 韓国大好き!
●沙也可の公園で勝手に盛り上がった宴会から、モーテルへ帰る途中にふと山の上を見ると【卍】の赤いネオン?日本ではこんなネオンは見たことが無い。
       
       【かなり分かりづらいが山の上に「卍」のネオン】

妙に惹かれる様に向かうと、大きくて立派なお寺さんがありました。

■立派な仏像がありましたので、お布施をして参りを済ませて、ご住職にお話しを伺いました。沙也可についてはほとんど知りませんでした。
       

       
      【これもフラッシュをたくのはためらわれたので、ぶれてます】

さらにお話しを伺うと、デトックスとマッサージができると言う。
本堂には50人は寝られる、立派な岩盤浴の施設があったのです。
着替えをして寝ころむと、体の下は岩盤で熱気が出ている。
しかも、おなか(丹田)の上に石を置いてその上で香(もぐさ?)を焚いて、汗をダクダクかきました。

その後、指を中心とした指圧を行うのですが、仲間は異常に痛がります。
あそこが悪い、どこが悪いと言うとすべて当っているようです。
私は自慢の健康体ですから、どこも痛くありません。

◆そんな中、突然非常に美しい女性が現れたのです。
アルコールは入っているし、身体は暖まっているので酔いはmaxですから、まるで狐につままれたような気分です。
写真を撮っておけば良かったのですが、絶世の美女と言える、最高の美人です。
しかも、オーラのような異様な気高さがありました。

★このお寺の檀家さんで、近所に住んでいるそうです。日本語が堪能と言う事で急遽呼ばれたとの事でした。
日本に住んでいたとの事で、完全にネオティブの日本語を話します。
40代とおっしゃっていましたが、どう見ても20代としか見えませんでした。

その夜は、彼女の夢を見て気持ちよく眠ったのです。
本当にリアルな夢を見ました。今でも夢に出てきます。完全に一目惚れです。

ちばてつや 著/赤い虫

2008年05月30日 | スポーツ大好き!
●ちばてつや先生の「赤い虫」(ビックコミック6月10日号)を読んだ。

あらすじは、ちば先生が若い頃、原稿の締め切りに追われ、精神的に参っていた頃、寝付く時に背中を”赤い虫”が這い、爆発する感覚に襲われたとの体験談です。

       

この症状は通称「皮膚寄生虫妄想」医学的には「妄想障害(身体的)」と言うそうですが、精神が異常な時には様々な症状が出るようです。

ところが、軽くキャッチボールをしただけで、体調が良くなりマンガのできが良くなり、納期も早くなったと言うエピソードです。

■ちば先生は、もともとは運動オンチで、まったく運動をしなかったそうですが、この日からは積極的にスポーツを行うようになったと言う事で、これが「俺は鉄兵」「あしたのジョー」「あした天気になあれ」などのスポーツマンガを量産する元となったそうです。

◆イギリスのことわざに「All work and no play makes Jack a dull boy
勉強ばかりで遊ばないとジャックは馬鹿になる」と言う名言があります。

イギリスの有名全寮制私立高校では授業の1/3が体育の授業です。日本の高校では体育の授業は、おざなり程度しか時間が割かれていないのが現状でしょう。

小学生は外で遊ばないで、ゲームばかりしているから、リアルとバーチャルの区別がつかなくなって、陰湿で我々の常識では考えられないような事件が起きていると考えます。

”心身ともに健全”と言う言葉があるように、身体と精神は車の両輪です。
体が動かずに、頭でっかちになってしまっては、まっすぐ走る事はできません。

★身体を動かせば頭が働く。頭が疲れたら運動をする。
このバランスが非常に重要であると、改めて考えさせられる素晴らしいマンガです。
今なら書店、コンビニで買えますので是非御一読をお薦めします。

手塚治虫 著/『ガラスの地球を救え』

2008年05月29日 | ロハスな生き方
●『ガラスの地球を救え』を読みました。
偉大なる巨匠、手塚治虫先生がお亡くなりになったのが1989年の2月9日。
そしてその2ヵ月後に出版された遺作となるエッセイです。

このような素晴らしい本が出版されていたことを今日まで知らなかったことは、手落ちであり、もっと早く読むべきであったと後悔しています。
      
          

■手塚先生はマンガ、アニメでもそうですが、難しいことを分かりやすく伝えようとしている。
この本も非常にやさしく、小学生にも理解できる文章です。
「先生が生徒に読ませたい本」と帯に書いてあります。

私のブログや最近の文章では格好をつけて、簡単なことを難しく書こうとする傾向があります。
手塚先生のように難しいことを簡単に書くことは、実はとても難しいのです。

◆さて、手塚先生のまとまった文章を読むことは初めてです。
マンガよりもさらにストレートに、先生の考え方が伝わってきます。
印象に残る文章が多くあるので引用して紹介したいと思います。

【これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつはたいへん迷惑していることがあります。というのはぼくの代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを揚げているように思われていることです。

「アトム」はそんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命のあるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです】本文より引用

◆少年時代にリアルタイムで『アトム』を読んだ時に、この作品は単にスーパーロボットの話しでは無く、ベースに悲しさや、やりきれなさがある事は子供心にも感じていました。
今手塚先生の言葉を読んで、やっぱりそうだったんだな、と溜飲が下がった気がします。

★『なんとしても、地球を死の惑星にはしたくない。未来に向かって、地球上のすべての生物との共存をめざし、むしろこれからが、人類のほんとうの”あけぼの”なのかもしれないと思うのです』
これが手塚先生が生涯に書き上げた15万枚に及ぶ手塚マンガを貫く、灼熱のマグマの根源であると思うのです。

韓国の旅⑬/沙也可の里③

2008年05月28日 | 韓国大好き!
●忠節館を見て、お墓にお参りして、今夜の宿探しです。今回の旅では行き当たりバッタリを楽しもうと、宿はまったく予約はしていません。今夜は民宿を探したのですが適当な宿は見つかりませんでした。


【今回の旅を象徴する写真。スタンバイミーみたい?】

韓国ではモーテルが欧米的に発達していてたくさんあります。この村は田舎ですからモーテルはラブホテル風ばかりです。その内のひとつと交渉です。金額は3人1部屋で確か8万ウォン位でしたね。一人3000円弱ですから、安いですね。


 【沙也可の里で泊まったモーテル】

■宿も決まり、日も暮れる頃、村人との交流に出陣です。韓国の田舎の市場の近くには必ずコンビニ的な酒屋と公園or広場があります。この公園が村人のたまり場と踏んで、酒を買い込んで待ち伏せです。

◆残念ながら村人は、誰も来ませんでした。皆さん自宅で夕食を戴くようです。
仕方が無いので、仲間の3人で乾き物とビール、焼酎で大宴会です。 日も暮れると、欅(ケヤキ)がきれいにライトアップされてきました。だんだん盛り上がり、”桃園の誓い”ならぬ”欅の誓い”として義兄弟の盃を交わしたのです。


【義兄弟の契りを交わす】

★夜、村人との接触ができれば良かったのですが、残念ながらそれは叶いませんでした。しかし、充実した旅をエンジョイしています。
※この後、モーテルへ帰る時に、妙な体験をしたのです。続きます。


ハラボジのチェサ/祖父の法事

2008年05月27日 | 韓国大好き!
●世の中には、本当に不思議で説明ができない現象がしばしば起こります。

私の父が亡くなったのが1998年5月27日。
そして祖父が亡くなったのがそのちょうど10年前の1988年5月27日なのです。

父は亡くなる前日まで意識がありましたから、祖父の命日は当然意識していたと思います。
何とかその日までは頑張って生きようと思っていたのでしょうか?

■祖父が亡くなったのがソウルオリンピックの年。
父が亡くなったのが長野オリンピックの年です。
これも何かの因縁なのかもしれません。

■親子の法事を一緒に行うことはできないので、父の法事は直近の土曜日に、祖父のチェサは命日の前日の深夜から始めます。

     
          【祖父のチェサの料理】

◆祖父、父が生まれた故郷は韓国の慶尚北道浦項市です。

植民地時代に浦項製鉄所があったことで有名な都市です。
父が生まれた所は山の上の貧しい地方です。
最近でこそタバコなどの経済作物の栽培などにより現金が入るようになったのですが、父が来日した1934年当時は貧しく、食うに困っての出稼ぎで来日しました。
      
       
         【作法は同じです。何回も挨拶をします】

       
       【終わった後に御馳走を食べ、韓国ドラマを見る】

★言葉も通じない異国の地で差別と迫害を受け、過酷な労働を受けて子供達を育てた苦労を思うと、とても悲しくなります。
祖先の苦労を改めて感じて、頑張らなければとチェサの度に思うのです。

韓国の旅⑫/沙也可の里②

2008年05月26日 | 韓国大好き!
●沙也可の里の昼食からの続きです

     
美味しいニワトリ料理と、食べたことが無いお料理を堪能しました。
     
で、腹ごなしがてら村内の散策です。

     

■村内を歩いて気がついたのは『金』の表札が多いことです。もちろん韓国において金氏は最も多い姓名であり約20%が金さんです。
ちなみに金、李、朴、崔、鄭さんの割合は約20、10、10、5、5%でこの5大姓で約半分です。
   
表札を見ていくと半分以上は金さんです。やはり”金忠善”氏の子孫の村なのか?
住民に聞いてみても、自分の祖先は日本人です。とはっきりと言う。
もちろん、新住民も多く、まったく知らない方もいるようです。
   
     
                 【新住民の別荘】

◆さて、いよいよ沙也可のお墓を訪ねます。
忠節館の裏の山の上になります。韓国のお墓は土饅頭で、山の上にあります。
山道を歩くこと約30分。かなりのアップダウンがあり少し疲れました。

     

★沙也可のお墓は想像以上に立派な物でした。私達は、韓国式の挨拶をして、日本から来たことを告げ、それぞれの思いを伝えたのです。

      

      

帰り道の途中に、密陽朴家のお墓があったので、ここでも挨拶をしました。
       
      

      

★古い史跡に触れ、歴史を想像し思いを馳せると胸にジーンと来る感慨がありますね。

アボジのチェサ/父の法事

2008年05月25日 | 韓国大好き!
●17日は父の法事を行ないました。ブログに何回も書いているように、韓国では命日の法事を祭祀【チェサ】と言い、非常に重要な儀式として行なっています。

■まず「机の脚が折れるくらい」の料理を作ります。ご先祖様が降霊すると信じて、おもてなしの為の料理を作るのです。
昔は3日くらいかけて最高の食材を最大限の誠意を込めて作っていましたが、最近は年中お祭りのように最高の料理が手に入るし、加工されている半製品も多いから1日半程度で準備は終わります。

     
     【今年の父のチェサです。決して恥ずかしくないレベルであると思います】

◆チェサの日には遠くに住んでいる弟、妹はもちろんその家族も万難を拝して集まってくれます。
ご先祖様を敬う心も大切ですが、生きている家族のつながりも大切です。
盆と正月、そして命日には必ず集まり、近況報告や情報交換で和気藹々と楽しみます。

◆法事の作法についても何回も書いていますから省きますが、料理を前にして何回もお辞儀をします。
そして箸やさじを動かして、あたかもそこにいるように振舞うのです。
           

◆韓国人が祖先を敬うのは儒教の精神によるものです。
日本では老人がないがしろにされて問題となっていますが、韓国ではお年寄りは今だに絶対的な存在なのです。

例えば地下鉄で目上の人が乗り込めば、近くの人はみな立って席を譲ります。
本当にビックリしますが気持ちがいいものです。

◆祖先を大切にする心のより所になっているものに系図があります。
韓国の系図を族譜【チョッポ】と言い、どこの家でも大切にされています。

これは日本の直系だけを簡単に書いた(社会科の授業で見たような)物では無く、生まれた人物全員を記載しているので、戸籍謄本、または同窓会名簿のような分厚い冊子です。
当然韓国語で書かれているので、自分を見つけるだけでかなり時間がかかる代物です。

ご先祖様がどこで生まれたのか、自分のルーツもはっきり分かっています。
自分の祖先がどこで生まれたかを”本貫”と言います。
私の本貫は『密陽朴家』です。

★私は六十九代になります。六十九代と言うと約2000年の歴史があります。これは韓国の中でも長い方です。

私は六十九代の当主ですので、これまでの過去を踏まえ、未来につなげなければならないのですが、跡継ぎがいないのが、大きな悩みです。

『それでもボクはやっていない』

2008年05月24日 | 映画レビュー
●『それでもボクはやっていない』を観た。

     

■【冤罪】国家権力の面子と権威を守るために、どれだけの横暴な捜査が行われたのであろうか。
帝銀事件』『狭山事件』そして逮捕されてはいないが『松本サリン事件』などが思い出される。
今回の映画は殺人事件でなくても、明日自分が巻き込まれるかもしれない身の回りにある冤罪をとり上げている。

◆周防監督の10年ぶりの話題作です。
綿密な取材と冷静な視点に立ったしっかりした力量を感じる。
”痴漢”と言う有罪、無罪ともに立証が非常に困難な犯罪において、無罪証明の難しさがリアルに描かれている。

★警察官の横暴さ、裁判官の建前論が非常に不愉快で感情的に応援したくなる。
拘置所内での、非人間的な扱いにも、憤りを感じる。
役所広司の飄々とした、役どころが好感が持てる。

疑わしきは被告の有利に、が大原則であると思っていたが、痴漢の場合は絶対に”白”でなければ”黒”らしい。
有罪率98%と言う異常な数字を我々は知らない。

来年から始まる裁判員制度が導入されれば、このような冤罪は回避できるのだろうか?

韓国の旅⑪ 沙也可の里

2008年05月23日 | 韓国大好き!

●さて今回の韓国の旅の一番の目的である『沙也可』について改めて説明しましょう。
『沙也可』と言うのは人物の名前です。松田聖子の娘さんとは何の関係もありません。

■『沙也可』とは何者か? これについては諸説ありますが、私は『江宮隆之』さんの雑賀衆説を支持し、その裏づけを取ろうと韓国を訪れたのです。

1596年の豊臣秀吉による朝鮮侵略(日本では文禄・慶長の役、韓国では壬辰倭乱)において、雑賀衆は加藤清正の配下にありました。
彼の部隊は鉄砲の名手の集団であり、日本での戦において大活躍するのです。

ところが『沙也可』は、朝鮮での戦には『義が無い!』と悩み、考えられないことですが、韓国軍に投降してしまったのです。

これをどう見るか?
日本軍からすればとんでもない反逆者、韓国軍から見れば、義に厚い『敵ながらあっぱれな人物』と見てくれるのか?

『沙也可』はその後、韓国軍として元寇などと戦い、その実績を評価され、韓国政府から『金忠善』の名前をもらったとされています。 この「忠節館」は金忠善を称える資料館です。

◆この地を訪れてから、諸般の事情で投稿が遅くなってしまったのですが、07年10月5日に『沙也可』の業績を称えた資料館を訪れた場面から再開です。

場所は大邱(テグ)市の中心部から南南東で約50km。タクシーの運転手に聞いても誰も知らない。国民的な英雄と言うのは、疑問がある。

沙也可は『募夏堂文集』と言う記録を残したと言われています。資料館の中は達筆な書で埋め尽くされています。


【募夏堂と言う号を持つ】


【忠節館のガイドさん。早稲田に留学していた】


【いろいろな質問をぶつけました】


【沙也可の里は日本の風景に似ている】

◆さらに情報を集めるために、市場へ顔を出す。住民の皆さんは底抜けに明るく、屈託が無い。見知らぬ私たちにも胸襟を開いてくれる。 

★朝早く慶州を出て、バスを乗り継ぎ、苦労してたどり着いたのでほっと一息です。
とりあえず昼食です。鳥料理が名物で美味しいとの事で、これを注文することにした。
ところがこれから鳥を絞めるとのことで、調理時間に1時間は欲しいとのこと!?

 時間はたっぷりあるので、ビールを飲みながら待つこと1時間。
素晴らしく美味しい鳥料理が並びました。

お米とナツメの料理もチョンマルマッシイッソヨ!   続きます。


廃仏毀釈/岡倉天心の偉業

2008年05月22日 | 宗教・哲学関連
●5月14日放送のNHK『その時歴史が動いた』を見た。
テーマは『日本人の心を守れ ~岡倉天心廃仏毀釈からの復興~』であった。

■10数年前に地元の歴史探索会に参加した時に、廃仏毀釈の蛮行を知った。
もちろん授業で習ったことはあったが、その現状を初めて目の当たりにし貴重な仏像、寺社を失ったことを知った。
それからはこのテーマに関しては、かなり勉強してきたつもりだ。
そして長野県松本市での被害が大きかったことも知った。
       
           【岡倉天心】

◆岡倉天心がこの復興に深く関わったことは知っていたが、その偉業を知り驚いた。
「神仏分離令」が廃仏毀釈の発端と言われているが、実際にはこの命令は無い。
慶応4年3月17日に布達された太政官布告により、身体を仏像としている神社は仏像を取り払い、仏具などを取り除くよう命じた。
興福寺の経典が商品の包み紙にされたり、仏像が薪として燃やされたり、貴重な財産が失われた。
興福寺の五重塔はなんと今の貨幣価値にして約2万円で売られた。

そんな中、天心は文部官僚として10年間に21万件もの仏像や文化財を調査、文化財保護の法律を訴えるなどしてその保護に力を尽くした。

★その中でも最も素晴らしい業績は『現状維持修理法』である。
「仏像は部分が欠けていると信仰の対象となりにくいが、かと言って闇雲な修理をすれば美術品としての価値を損なう」と言う考え方だ。
悩んだ末に、彼は両方の価値観を満足させる「現状維持修理」と言う方法に行き着くのである。
この方法は、遺されている姿をこれ以上損傷させないように保持することを目的とし、部分が欠けていて信仰の対象となりにくい時には取り外しできるパーツを作って仮留めで補修復元する方法である。
       
          【東大寺法華堂】

この方法により、仏像は民衆の信仰の対象となり、さらに現代のすぐれた修復技術によって、より完璧に蘇ったのです。
天心の伝統美術を重要視した姿勢は洋画派から敵視され役職を追われるなどの不幸な時代もあった。
しかしそのような状況にも負けずに、ポリシーを曲げなかった天心に脱帽した。

来月は「手を失われた弥勒菩薩」を見に行く。基礎勉強を積んでおこう。

安曇族の謎を追う② エゴと言う食べ物?

2008年05月21日 | 韓国大好き!
●『安曇族の謎を追う』の第2回です。
先日の松本猛さんの著書以外に、坂本博さんの『信濃安曇族の謎を追う』を参考にしました。

■安曇族の謎に関しての疑問をまとめたい。簡単にまとめれば、
1.安曇族の勢力範囲は?
2.安曇族はどこから来たのか?
3.安曇族は何故来たのか?
4.安曇族は何故消えたのか?

◆これらについての結論を簡潔に記載して行きたい。諸説を省いているので、反論もあると思います。誤解も生じるでしょうが、結論だけを記載していく。

1.安曇族の勢力範囲は?
長野県以外の方には分かりづらいと思いますが、この地域に地理感があることを前提とさせて戴きます。

勢力範囲を探る上で非常に参考になる食べ物がある。『エゴ』または『オキュウト』と言う食べ物である。↓

            
                  【TYRUYA渚店で購入】
  
これはエゴノリと言う海草を煮て練って作られる。
北安曇郡では日常的に食べられ、スーパーでも販売されている。ところが松本市、南安曇郡ではほとんど食べる文化が無い。その分布図は下記の通り。

大町市での食用率が83%と低い理由は、昭和電工、東洋紡績などのエゴを食べない人々の流入により食用率が低下したと考えられる。白馬村もペンション経営などの新住民により低下したのでしょう。
            
  【旧市町村です。現在は梓川、安曇⇒松本市。三郷、豊科、穂高、堀金⇒安曇野市です】

★この食品は安曇族の起点と進入経路、あるいは信濃における安曇族の勢力範囲を考える時に非常に重要な手がかりとなると考えられる。
エゴを食べる地域と、安曇族の勢力範囲は重なるようである。

これと同様の食材は、新潟県佐渡島では『イゴネリ』と称して存在している。
また、安曇族のルーツと考えられている筑前博多でも良く食べられている。
次回は、エゴをヒントに、安曇族がどこから来たかをとり上げたい。

怖いくらい元気!

2008年05月19日 | 徒然なるままに
●今週の週末はとにかくハードだった。15日は資料作成で完全に徹夜。段取りが悪いと言えばそれまでなのですが、より良い資料を作ろうと思えば締め切り間際まで頑張りたくなります。
で、資料を持って東京へ一目散。虎ノ門の官庁に資料を提出してから、マイミクのGSさんに職場であった。いつもミクシーと普段着の付き合いなので、お互いにネクタイをしたサラリーマンの姿で会うのは気恥ずかしいものです。

■それから錦糸町パピーズでのライブ、で朝まで飲んで2日目の完全徹夜。
♪7時ちょうどのあずさ1号で私は・・・♪ 新宿から松本へ。

この間、眠ったのは電車の中でのうたた寝だけ。

で、帰宅後、農作業、洗濯等々。
で、17日の夜は、民団の焼肉会でたっぷり飲まされて。
その後HANAで雅音人ライブ。またまた終電に乗れずに、タクシーで午前様の帰宅。
ここまではブログに書いたとおり。

◆まだまだ元気です。18日は睡眠時間4時間で朝5時には起きて、廃品回収作業、その後農村広場とテニスコートの整備。
それからたっぷりテニスをやりました。

さらに、ブログやミクシーをチェックして10~12時は空手を教えて、お昼はラーメン&ビールがんがん。

さらにさらに、午後は農作業。
今日はトマトの棚にビニールをかけて、カボチャ、ユウガオを植えて、ジャガイモを間引いて、水やり、草取りどなど4時間働きました。
       
       
で、ニワトリに餌をやって、夕飯を作って、洗濯物を取り込んで、風呂を洗って・・・。
で、ビール飲んで、やっと落ち着いて焼酎飲みながらブログ打っているところです。
もう12時を過ぎました。これから本を読んでDVDを見ながら寝ます。

★無茶苦茶、充実している。不思議なくらい眠くならない。
酒を飲んでも酔わない。
どうしちゃったんだろう。
ドーパミン、アドレナリン、βエンドルフィンが出まくっているみたい。

好事魔多し。
明日からも仕事が忙しい。
てきぱき仕事をしよう。
ミスの無いように頑張ろう。

HANA/『雅音人』ライブ

2008年05月18日 | HANAとコンサート
●17日に松本中町『ミュージックコートHANA』にて『雅音人』のライブを聞きました。
HANAでの演奏は前回のCD発売記念ライブに続いて2回目になります。

ドラマチック・ヒーリングと言うキャッチコピーですが、まさしく癒され、そして元気が出る音楽です。

           

■すべてが完璧だと思う。
 歌詞が良い:やさしい日本語にこだわり、難しい言葉や流行の英語は出てこない。
 メロデイーが良い:優しい旋律。心になじむメロディー。
 声が良い:ボーカルのタミコさんの声は本当に魅力的。
 ギターが良い:自らのレーベルを持ち、ヤイリのアドバイザーの辻さんのギター、ブルースハープは最高。
 ピアノが良い:キーボード、ピアニカ、ギターリストして活躍中のケンちゃんのピアノは最高。
 アレンジが良い:超売れっ子アレンジャーでもあるケンちゃんが素敵なアレンジをしている。

◆ここまで書いて、文才が無いな、とつくづく思う。
でも、音楽の良さを言葉で表現すること自体、とっても難しいことだと思う。

★家でパソコンを打っている時には、ず~っとかけつづけています。
最高のBGMです。
でもライブはCDの10倍伝わってきますね。
またまた気持ちの良い時間が過ごせた。週末のささやかな楽しみです。

明月館の焼肉

2008年05月17日 | ”食”について考える!
●16日は、韓国民団の新年度懇親会を『明月館』にて行ないました。
この店は炭火焼の元祖として知られています。今でこそ炭火焼、無煙焼肉は一般的ですが、40年以上前から炭火にこだわってきました。

■とにかく肉が美味しい。松本では三本の指に入ると思います。
ところで、炭火は良いのですが、お肉とサービスにお金をかけているためか、建物はかなり年代物です。

       

◆換気扇が『換気せん!』のです。
写真を見てください。↑笑っちゃうくらいの煙です。
まるで消防訓練か、拷問のようです。遠くの席の人は見えません。
ついには肉に火がつきました。↓

       

★昭和初期に、韓国から裸一貫でやってきた在日同胞一世たちの苦労は言葉では説明できないくらい悲惨なものでした
でも、持ち前のバイタリティーと明るさでそんな苦労をはね返してきました。

そのエネルギーになったのが、ホルモン焼を始めとする”肉”だったのでしょう!。

現在日本に根付いている韓国焼肉の文化は当時韓国には無く、在日同胞が日本で作り上げたオリジナルの食文化です。
これが日本でポピュラーになっていることは素晴らしいことだな。

気心が知れた在日同士で、たわいの無いお喋りをしながら和気藹々と酒を飲む。
気持ちの良い時間でした。

錦糸町パピーズ

2008年05月16日 | HANAとコンサート
●16日は東京の錦糸町パピーズを訪れた。今日はオーナーズデイ。リーダーヒデさんのわがままライブです。

■松本HANAでのハッシュパピーと同様に次から次と無尽蔵に飛び出す懐かしの曲に酔いしれましたね。お客さんも松本と同じように50代の女性と60前後の男性が中心。皆のりが良いし、上品で気持ちが良い。
           

◆↓はライブ終了後の常連さんとの集合写真。はずかしいけど載せましょう。その後は打ち上げで27時過ぎまで錦糸町で飲んで終電が無くなったので、朝までカラオケで盛り上がって、7時の新宿発の始発で松本へ帰ってきたわけです。

          

★団塊の世代を中心とする年齢層はとにかく元気です。懐かしのフォークを始めとするライブが絶好調なのはうれしく思います。
それにしても、木曜日からまるまる2日間眠っていない。自分でも不思議なくらい元気です。

※イベント盛りだくさんで、後書きになってしまいましたが、御勘弁を。