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PARK'S PARK

パクのお庭にようこそ。環境問題、ロハス、バイオ、空手、映画、多言語など情報満載です。少々硬派な内容を目指します。押忍

夏越の祓

2010年06月30日 | 宗教・哲学関連

●6月30日の晦日は、近くの『岩崎神社』へ『茅の輪くぐり』に出かける。
こんな素晴らしい行事があることを昔は知らなかったが、20年くらい前の公民館活動の“新村の神社、仏閣めぐり”のイベントで知った。
それ以来、毎年半年の穢れを祓いに来ている。



■元々は穢れを祓うというより、半年に一度、雑菌が繁殖しやすい夏を前にして、衣服を新しい物に着替え疫病を予防することから始まったらしい。
蘇民将来』伝説では、茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされるらしい。



◆発端や云われはともかく、神事は“信じて行う”事が大切。
この神社では、二礼二拍手一礼し『右回り、左回り、最後に右回り』で“茅の輪”をくぐる。
願いはいつも同じ。
“母の健康、祖国統一、世界の平和、そして自分の健康と幸せ”

★「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」。
“千歳の命伸ぶ“と言うありがたい神事ですから、悪霊からも、疫病からも免れて長生きできるでしょう。


”チェサ”の大切さ

2010年01月02日 | 宗教・哲学関連

  2010年の初日の出は7時32分(公式にはは6時59分だが山があるから)、曇り、気温-4℃

●元旦は韓国式の法事である”チェサ”から始まる。
年末に1週間くらい前から準備をして”机の脚が折れるくらい”の料理を用意する。
で、法事の時間は20分くらい。
正直言って”大変”です。



■でも何回もお辞儀をしていると”絶対に御利益がある!”そう感じてきます。
チェサの目的は間単に言えば二つ。
①森羅万象の神々に対する畏敬の念をあらわす。
②御先祖様を尊び、敬いの気持ちをあらわす。


 甥っこも頑張って挨拶します。

◆私は自分の後ろに”守ってくれている人”がいることを強く感じています。
もしかしたら、それは勘違いかもしれない・・・。
でもそうやって生きていれば、心の支えになる。

★もうひとつ大切な事は、ハラボジたち1世の苦労、悔しさを忘れてはいけない!
異国の地に来て、どれだけ苦労したことか・・・。
その想いをもう一度自分の中に叩き込む大事な行事なのです。

善光寺 御開帳

2009年05月31日 | 宗教・哲学関連
●「遠くても 一度は詣れ 善光寺」
ご存知の方も多いと思いますが、善光寺では7年に1度の御開帳が行なわれています。
本日5月31日午後5時に夕座法要が行なわれ、内々陣の前立御本尊を安置した厨子の扉が閉められます。
ぎりぎりですが30日に参拝して来ました。


■混雑を避けて遅く行ったので、内々陣に遷されている絶対秘仏の御本尊の身代わり前立本尊を拝むことはできませんでした。
しかし大回向柱は前立本尊の御手と「善の綱」でつながっています。
この回向柱に触れば本尊に触るのと同じことになるそうです。


◆今日も「善光寺講」の団体が訪れていました。
かつて一遍、親鸞、重源、良寛といった様々な名僧が参拝しています。
善光寺は宗派を問わず尊崇されるが、その理由は仏教の宗派が生まれる以前から善光寺が創建されていたためと言われています。

また、昔から女人禁制でもなかった善光寺は庶民に開かれた寺として全国の参詣者を受け入れてきたのです。
関所による旅人の取り締まりが厳しい中、善光寺詣りに限っては大目に見られ、女性の参詣者も安心して旅を楽しむことができたようです。
今で言えば企画もののツアーのハシリなのでしょう。

★「善光寺縁起」によれば前立本尊の「一光三尊像」は百済から伝来し、本田善光が長野にもたらしたと言う。
663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に百済は滅ぼされた。
この時多くの百済王族や貴族が倭国に亡命したのです。

三卿像で、本田善光の妻・弥生は立て膝をしているが、まさに韓国式の座り方です。
百済と善光寺、安曇族との関係も調べて行きたい。

「チェサ」我が家の神仏習合?

2009年05月27日 | 宗教・哲学関連
●5月27日は父の命日でした。
早いもので亡くなってまる11年が過ぎました。
我が家では韓国の習慣に従って法事(チェサ)を行ないます。


■韓国式の”チェサ”は儒教の精神に則っています。
そして日本のしきたりに従った仏教式の法事も行います。
広義の「神仏習合」状態になっています。

◆「神仏習合」は仏教が各国に伝来した時に、その土地の土着の宗教と仏教徒の融合を示す言葉だと思います。
仏教はインドを起源として東に発展して来た。
そして中国、韓国で儒教と出会うわけです。

儒教は宗教と言うよりは「こころを律する価値体系」であると思います。
習慣、教育、道徳になっています。

★韓国では1千万人がキリスト教徒、1千300万人が仏教徒といわれていますが、儒教的な儀式は宗教に関係なく行なわれています。
我が家でも儒教的儀式と、仏教的儀式が共存しています。

日本の宗教の基礎は多神教(シンクレティズム)です。
盆と正月とクリスマスが一緒になってもまったく問題ない。

要は亡くなった祖先を祀り、自然に対する畏怖の気持ちを持っていればよいのでしょう。

『年神様』について考える

2009年01月20日 | 宗教・哲学関連
●テレビで年末年始の行事についての特番を放送していた。
普段はテレビを見ないのですが、たまには良いものですね。
「何故、年末に大掃除をするのか?」と言う問題に、私は単に身の回りをきれいにして1年の区切りをつける、くらいに思っていたのです。

■ところが答えは「毎年正月にやってくる『年神様』はきれいな所が好き!汚い所だと帰ってしまう」と言うものでした。
そうか~!神様はきれいな所が好きなんだ~!!
これは意外でしたね。

◆それからは掃除への心構えが大きく変わりました。
なにしろ単に掃除をするのではなく、きれいにすれば神様が来てくれると言うのですから・・・。

★どちらかと言うと”きたな好き”=あまり埃とか気にならないタイプなのですが、今年はこまめに掃除をしています。
悪霊は臆病で、三三七拍子、拍手(かしわで)などの大きな音にビックリして逃げてしまう、と聞いたことがあります。
自分の周りに、悪霊や氏神様がいるとイメージすると生き方が変わりますね。

「三九郎」について

2009年01月11日 | 宗教・哲学関連

●10日は地区の「三九郎」が行なわれました。
地域によっては「どんど焼き」と言われる行事です。

「三九郎」と呼ばれる語源は、道祖神の祭りをする神主の福間三九郎大夫の名から来ているとのことです。
本来は「小正月」である1月15日に行なわれていた行事ですが、成人式がハッピーマンデーとやらで今年は12日に行なわれるので、この3連休の初日に行われるようになりました。

■まず苦言から書くと、伝統ある行事をいとも簡単に変更することに憤りを感じる。
そもそも15日の「小正月」の朝には小豆がゆを食べたことが「枕草子」や「土佐日記」に記されている。
小豆は米、大豆とともに日本人の食生活に欠かすことができない穀物であり、また小豆の赤い色は体の邪気をとり払うと考えられていたため、”ハレ”の日には赤飯として食されてきた。
”海の日”とか、いつでもいい行事ならともかく、伝統ある日を簡単に変えてもいいものでしょうか?

 ◆次にこの謂れは、正月に飾った門松やしめ飾りを神社や寺院の境内などに持ち寄って燃やしたのが始まりと言われています。
燃やす時の煙に乗って、新年に訪れた年神様が天上に帰っていくと信じられていたのです。
私達の地域ではお餅を”繭”の形に作り、枝の先にさして焼きます。
この焦げたお餅を食べると1年間無病息災であると信じられています。

★上の写真は弟が主人公となった本の挿絵です。
私は今日は空手の練習のために、火をつける時間に立ち会えませんでしたが、このシオラマは実に雰囲気を伝えています。

 この行事の源は自然崇拝=アニミズムに端を発していると思います。自然に畏敬の念と感謝の心を持ち、厳かに神事をすすめたいものです。


朝には紅顔ありて、夕には白骨になれる身なり。

2008年08月23日 | 宗教・哲学関連
●知人の葬儀に参列しました。
享年60才。あまりに早い御逝去でした。
天寿を全うせずに西方浄土に旅立った方の葬儀に出ると、非常な虚無感”諸行無常の儚さ”を感じます。
      

■蓮如上人の『「御文書」五帖 白骨章』の一説を思いおこしました。
『朝(あした)には紅顔ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり』
「朝には美しい生き生きとした顔をしていても、夕べには白骨と化してしまう身です」

◆この名文を私は自分なりに現代的に解釈している。

人間の体内には生まれた時から時限爆弾がセットされている。
それは”いつ””どこで””どのような”形で爆発するかは、まさに神のみぞ知るのです。
爆発するのは今日で、脳溢血で当突然死するかもしれない。
爆発する前に、臓器パーツの耐用年数の方が早く来て天寿を全うするのかもしれない。

★この世で唯一確実なことは、人間には必ず死がおとづれることです。
それを避けることはできないのです。

テイクオフした飛行機は必ずどこかに着陸します。
今まで地上に降りなかった飛行機は1機もいない。
無事にソフトランディングできれば、本望ですが、急降下して墜落は嫌ですね。

体内の爆弾がいつ爆発しても良いように、悔いの無い”生き様”を見せて行きたい。

改めて故人の御冥福をお祈りいたします。合掌

茅の輪くぐり

2008年07月03日 | 宗教・哲学関連
●6月30日は「夏越の祓い」の神事の中の「茅の輪くぐり」の日です。
当日は忙しく、この2日の朝にお参りをして来ました。

      

■神事の行ない方は:拝殿に向かって礼、茅の輪をくぐって1回目は右に回る。2回目はくぐって左に回る。最後の3回目はくぐって右に回り、茅の輪の前に立ちます。
拝殿に向かって「二拝二拍手一拝」して願い事をします。

ネットで検索すると、最初に左に回る場所も多いようです。この違いに関しては何もコメントできません。

◆厄を落とし、無病息災を願う神事です。
『水無月の 夏越のはらい する人は 千歳の命 延ぶといふなり』
朝早く出かけて、一人で厳かに粛粛と行なっていると、御利益があるような気がしますし、そう信じることが大切であると思います。

▼願うことはいつも同じです。家族の健康と長寿。世界の平和と安定。ぞして自分の健康と事業の成功です。

神道への畏敬の念(アニミズム)を基にしているので私は大事にしたいと考えます。
森羅万象=すべての物に神を感じます。(感じようと感性を研ぎ澄ましています。)
この感性を大切にして、自然に対して謙虚に生きて行きたい。
自然に対して、人間が非力であることを強く認識する必要があると考えています。

この概念が今の環境問題を解決する基本であると考えます。

廃仏毀釈/岡倉天心の偉業

2008年05月22日 | 宗教・哲学関連
●5月14日放送のNHK『その時歴史が動いた』を見た。
テーマは『日本人の心を守れ ~岡倉天心廃仏毀釈からの復興~』であった。

■10数年前に地元の歴史探索会に参加した時に、廃仏毀釈の蛮行を知った。
もちろん授業で習ったことはあったが、その現状を初めて目の当たりにし貴重な仏像、寺社を失ったことを知った。
それからはこのテーマに関しては、かなり勉強してきたつもりだ。
そして長野県松本市での被害が大きかったことも知った。
       
           【岡倉天心】

◆岡倉天心がこの復興に深く関わったことは知っていたが、その偉業を知り驚いた。
「神仏分離令」が廃仏毀釈の発端と言われているが、実際にはこの命令は無い。
慶応4年3月17日に布達された太政官布告により、身体を仏像としている神社は仏像を取り払い、仏具などを取り除くよう命じた。
興福寺の経典が商品の包み紙にされたり、仏像が薪として燃やされたり、貴重な財産が失われた。
興福寺の五重塔はなんと今の貨幣価値にして約2万円で売られた。

そんな中、天心は文部官僚として10年間に21万件もの仏像や文化財を調査、文化財保護の法律を訴えるなどしてその保護に力を尽くした。

★その中でも最も素晴らしい業績は『現状維持修理法』である。
「仏像は部分が欠けていると信仰の対象となりにくいが、かと言って闇雲な修理をすれば美術品としての価値を損なう」と言う考え方だ。
悩んだ末に、彼は両方の価値観を満足させる「現状維持修理」と言う方法に行き着くのである。
この方法は、遺されている姿をこれ以上損傷させないように保持することを目的とし、部分が欠けていて信仰の対象となりにくい時には取り外しできるパーツを作って仮留めで補修復元する方法である。
       
          【東大寺法華堂】

この方法により、仏像は民衆の信仰の対象となり、さらに現代のすぐれた修復技術によって、より完璧に蘇ったのです。
天心の伝統美術を重要視した姿勢は洋画派から敵視され役職を追われるなどの不幸な時代もあった。
しかしそのような状況にも負けずに、ポリシーを曲げなかった天心に脱帽した。

来月は「手を失われた弥勒菩薩」を見に行く。基礎勉強を積んでおこう。

★白色の黄色いタオル/唯物論を考える

2008年02月18日 | 宗教・哲学関連
●昭和52年の夏、私は買ったばかりの愛車シビックで松本から丸子町につながる三才山トンネルを快調に飛ばしていた。三才山トンネルは開通したばかりで、当時珍しかった黄色のハロゲン光が車内を明るく満たしていた。ダッシュボードの上には車内を拭く黄色いタオルが置かれている。

      
※私はふとタオルを見た。なんとタオルが白色になっている!※

      

■私はあわてて非常停止帯に車を停めてタオルを手にとって見た。どう見ても白いタオルだ。車を降りて目を近づけて見た。どう見ても白色だ。
    俺が今まで見ていたタオルは何色だったんだろう!?
   このタオルは本当は何色なんだ?


◆大学1年の哲学の授業で『唯物論』を学んだ時の事を思い出した。
ここにコップがあります(あるように見える)。それは触ればガラスの材質を感じる、箸で叩けばチンチンと音がする。水を入れれば溜まる。何の不思議も無く当たり前にそこに存在しているように”在る”。
     
▼しかし私が目を閉じれば、コップは見えない。どこにあるのかも分からない。私が存在しなくてもコップはあるのか。私が死んでしまえばコップはないのか?
私が死ねば、この世界自体が存在しないのか?全ては私が作り出している世界なのか?

      
        【大学1年の哲学の授業の資料】

★『唯物論』か『唯心論』か?
私は当時マルクス・レーニンに傾倒していたので、唯物論がすべてと考えていた。当然『唯心論』が入り込む余地など無かった。
しかし目の当たりに白色の黄色いタオルを見ると、唯物論が本当か疑いが出てきた。

※それから哲学書を読み漁った。結論は出ていない。

『ぴんころ地蔵』を訪れて

2008年02月10日 | 宗教・哲学関連
●佐久市中込にある『ぴんころ地蔵』にお参りした。このお地蔵さんは馬越正八氏の作。お寺は成田山。首を傾げたかわいいお顔をしてますね。生きている時はピンピン元気で、亡くなる時はコロリと逝きたいものです。

■PPK(ピンピンコロリ)なる言葉を初めて聞いた時にはすごく抵抗があった。ピンピンと生きるはいいけど、コロリと亡くなるの表現はキツイと思った。今は抵抗もないし、PPKで逝ければ幸いです。

■「死は唯一、確実な未来の可能性」と言うハイデッガーを持ち出すまでも無く、人間にとって死は避けることのできないものとしてある。
 例えれば一度飛び立った飛行機は必ず着陸しなければならないのと同じでしょう。着陸の仕方が、平穏なソフトランディングなら気持ちがいいのだが、急降下や、墜落は勘弁して欲しい。
死の恐怖から逃げる為に、宗教、哲学が発生したといっても過言ではない。エピクロス哲学の詭弁もむなしい。

◆具体的には、脳卒中、心臓発作などの突然死は周りに迷惑がかかるからNG。何年も寝込むのは最も困る。介護することはもちろん大切なのだが、その負担が大きい。最近の医療の問題点で、昔ならとうに天寿をまっとうしているケースでも”生かされている”お年寄りが存在すること。

★理想の逝き方。平均寿命まではピンピンしていて充実した生活を送り、そろそろ人生も飽きたな~、と言える位やり残した事が無くなった頃に癌が発見され”余命半年です”と宣告されるのが理想です。
癌になったら、一切の延命治療はせず(痛み止め程度はOK)身辺整理をして皆さんにお別れしたい。生前葬もいいですね。
そんな願いを お地蔵さんにお願いしました。
【旧暦1月4日】

節分について

2008年02月04日 | 宗教・哲学関連
●3日は節分ですね。我が空手道場でも豆まきをして子供たちは大喜びです。
さて、そもそも何故2月3日(年によっては4日)に豆をまく習慣が始まったのでしょう?
     
■もともと節分とは、節を分ける意味ですから、立春、立夏、立秋、立冬の季節の改まる前の日のことを言ったのです。ところが何故かだんだん立春の前日だけを節分と言うようになったのです。4日から暦の上では春です。

■節分に豆をまくルーツをたどってみると、そもそも古代中国で大晦日に邪鬼や疫病を避けるために、鬼の面をかぶった人を桃の木で作った弓矢で追い払う『追儺』(ついな)から始まったようです。
これが奈良時代に韓半島から伝わり宮中で大晦日の行事として行なわれるようになったようです。
これが庶民の行事として定着したのは室町時代で、行なう時期も立春の前日に変わったとのことです。
     
     【道場の生徒の年長さんが作った鬼のお面】
   (顔の大きさなんだけど、何故か滅茶苦茶大きく見えますね?)
      上手いでしょう!最高傑作ですよね。

◆「鬼は外、福は内」と大きな声で豆をまくようになった理由は、まず季節の変わり目には鬼などの妖怪や悪霊が集まり、災いをもたらすと考えられていた為です。
大きな声を出す理由は、悪霊は臆病で大きな音を聞くと、驚いてどこかに退散してしまう為と言われています。
三三七拍子、一本締め、かしわ手を打つのも大きな音で悪霊を追い払う意味だと思います。

★神事は信じることと、イメージが大切!
自分の背後に魑魅魍魎が跋扈している姿を想像しましょう。
さて大きな声を出して、悪霊を追い払いましょう!
『鬼は外、福は内!』 皆様のご多幸と、益々のご繁栄を祈念いたします。

▼正月の「ハレ」の行事が終わると「ケ」の日々が始まる。先祖が旧暦の時に感じていた経験則を感じる為にしばらくブログの最後に旧暦を記載していこう。
【旧暦12月28日】

一神教 VS 重層信仰 (シンクレティズム)

2007年05月10日 | 宗教・哲学関連
◆日本人の宗教に対する無節操ぶりは自虐的なニュアンスを込めて度々耳にする。『初詣は神社、結婚式はキリスト教会、葬式は仏教寺院で行い、さらにはバレンタイン、お彼岸、お盆、七五三、クリスマス、最近ではハローウィンまで』何の違和感を抱くことなく、様々な行事をこなしている。これを厳しい戒律をもつ宗教を信仰する人々から見れば、じつにいいかげんな話で許しがたい行為に見えるだろう。

◆ところがこれは「重層信仰(シンクレティズム)」と言う範疇の宗教であり、複数の異なる宗教への崇敬心を共存させて、何の抵抗感も抱かないのだ。

◆この日本独特の宗教観が生まれた背景には日本列島の自然環境があると指摘されている。春夏秋冬があって、毎年台風が訪れ、地震も多い国。=自然に恵まれているが、同時に自然の脅威にさらされている国。昔は、自然現象が科学的に解明されていた訳ではないので、季節が移り変わるのも、台風が訪れ、地震が起きるのも、雪が降るのも、米ができるのも、海に魚がいるのも、鳥が飛んでいるのも、すべての自然現象は、それぞれをつかさどる神様のなせる業、と考えられるようになったのです。アニミズムですね。八百万の神と言う発想が生まれたのは、文字通り”自然”の成り行きだったのでしょう。

◆一方、キリスト教、イスラム教、そしてその双方の土台となるユダヤ教は砂漠で生まれた宗教ですから、その厳しい土地に暮らす人々は、何故自分はこんな過酷な環境で生きなければならないのだろう、と考えた時、宇宙には何か超越的な存在があり、その存在が我々に試練を与えているのであろう、そう言う思想が生まれた。その超越的な存在が、唯一神となったのである。

●日本人の発想ではもともと八百万の神がいるのですから一つや二つ神様が増えても民族を割るような大問題にならなかったのです。柔軟で懐が深い素敵な宗教だと思いませんか?どんどん来い神様、イベント、行事!【商業ベースの何でもありはやり過ぎだって。そのうちにラマダン(断食)ダイエットとか出そうで怖い。】

神仏習合から廃仏毀釈まで

2007年04月11日 | 宗教・哲学関連
 奈良国立博物館の『神仏習合展』を見た。『〈かみ〉と〈ほとけ〉が織りなす信仰と美』とのサブタイトルは素敵なコピーだ。楽しみにしていたのですが、時間が足りなかったのが残念です。神仏習合から廃仏毀釈までを時系列的にまとめてみました。

①日本人は古代より、山や河あるいは雷など、さまざまな自然現象の中に神の存在を見いだしてきた。先日千の風になってでも書いたようにアニミズムですね。

②このような日本人の宗教観念の基層を形づくってきた神々に対する信仰が土壌である状態に韓国から渡来人により仏教が入って来た。

③仏教の公式な伝来は聖明王から欽明天皇へ経典・仏像を贈った538年とされている。神と仏が互いに影響しあい、融合しながら「神仏習合」と言う新たな信仰世界を生み出していきます。

④当初、仏はたくさんいる神の一つとしての存在であったが、「神仏習合」は奈良時代の国家仏教形成とともに著しく進展して行く。

⑤8世紀になると、神もまた苦しむ存在であり、それは仏によって救われるという『神身離脱』の考えがおこり、神社に付属する寺院である神宮寺が出現した。神のために法華経を読経する神前読経も行なわれた。さらに仏教を守る神として護法善神の観念が生まれた。

⑥さらに10世紀になると、仏や菩薩がこの世を救うために仮の姿を表すと言う本地垂迹説が出た。仏や菩薩が本地(本体)、神を垂迹(仮の姿)とするものです。この時代まで神は人の前に姿を表さないとしていたが、仏像の影響を受け、神の姿を造形化した神像が製作されるようになった。

こうした「神仏習合」の姿を具体的に伝える造形遺品や文献史料の展示会が今回のテーマです。

⑦神仏習合と並行して死んだ人の霊のたたりを慰撫しようとする御霊信仰、疫病の原因が御霊のたたりにあるとする疫神信仰も盛んになった。

⑧平安時代になり法然による浄土宗、親鸞による浄土真宗、日蓮による日蓮宗などの新興仏教が乱立してくる。

⑨時代はとび、近代になると国学が出現し、日本固有の神の道が優れていることを主張する復古神道が生まれる。神社神道を中心的な宗教とするために、明治政府は1868年神仏分離を行なった。神仏習合から神社と寺院、神職と僧侶をはっきりと区別するようにした。曖昧な施設はどちらかを選ばなければならなくなった。=神仏判然である。一部の地域では仏教を排斥する廃仏希釈にまで発展したのである。この運動のために貴重な仏像や仏具が破壊されたのである。

 以上、本当に簡単にまとめたのですが、疲れた。各論はまたの機会に・・・。



薬師寺、高田好胤の偉業

2007年04月10日 | 宗教・哲学関連
 修学旅行で薬師寺を訪れ、高田好胤管長のお話を聞かれた方は多いと思います。ご存知の様に非常に面白い説法で有名ですね。西塔建立の為にお写経勧進を考えられ今では700万巻、1巻2,000円とするとなんと140億円を集めたお話しはプロジェクトXでも放送されましたね。行き着く所、お金が無ければ何もできません。薬師寺の場合非常に無理なくお布施する方も気持ち良く、ビジネスで言うWin&Winの関係、またはCS(顧客満足度)の高いプロジェクトだと思います。

 平山郁夫画伯による玄奘三蔵伽藍の大唐西域壁画を見ることができ本当に感動しました。製作に30年の歳月をかけ、高さ2.2m、長さ49mの壁画、天井には248枚の天井絵、まさに命がけの作品ですね。東山魁夷による唐招提寺の障壁画を見た時と同じように感動したのですが、素晴らしい作品には心を動かされます。
 
 昭和56年に再建された西塔は金色に輝き鮮やかであった。古の趣きのある東塔とは好対照であったが、違和感は無くさわやかな印象を受けました。ツインタワーはカッコいいですね。