9月20日は、音楽バンド「オフコース」の小田和正が生まれた日(1947年)だが、米国の作家のアプトン・シンクレアの誕生日でもある。
「シャーロック・ホームズ」シリーズを書いたコナン・ドイルは、アプトン・シンクレアを「アメリカのゾラ」と呼んだそうだ。シンクレアは社会の非情な実態を描いてベストセラー作家となった人だが、自分がシンクレアを知ったのは、彼が「ヘリコン・ホーム・コロニー」というコミュニティー(共同生活体)を作ったからだった。
アプトン・ビール・シンクレア・ジュニアは、1878年、米国メリーランド州のボルチモアで生まれた。父親はお酒のセールスマンで、アルコール中毒だった。
父親であるアプトン・シニアは、商売がうまく行かず、家は貧しかったが、母親の一族はみな富裕層の人たちで、ジュニアは母方の祖父の家に滞在したりして、お金持ちの暮らしと貧乏家庭の暮らしの両方を見ながら育った。
ジュニアが10歳のとき、一家はニューヨークへ引っ越した。
14歳になるすこし前に彼はニューヨーク私立大学に入学し、19歳の年に卒業した後、コロンビア大学でも学んだ。彼は大学で法律を専攻したが、作家志望で、学生時代から子ども向けの冒険物語やジョークの小咄を書いて生活費を稼いでいた。
アプトン・シンクレアは、しだいに社会主義思想に目覚めるようになり、26歳のとき、社会主義新聞の「理性の訴え」紙の依頼を受け、シカゴへ取材調査に行った。シンクレアは、食肉加工工場に潜入調査をし、小説『ジャングル』を書き上げ、出版されると、それはたちまち大ベストセラーとなった。小説に描かれた労働者たちの苛酷な境遇もさることながら、返品されてきたカビの生えたソーセージを再加工して国内市場へまた送りだすといった食品工場のずさんな衛生管理を描いた部分が問題となり、連邦調査官がシカゴに派遣され、食肉検査法案が成立した。
28歳のとき、シンクレアは『ジャングル』で得た資金を注ぎ込んで、ニュージャージー州のエングルウッドに土地を購入し、「ヘリコン・ホーム・コロニー」というコミュニティーを創設した。これは、シンクレアなりの理想とする共同生活を実現しようとしたもので、100戸の家を建て、そこで野菜や肉やミルクなどを自給しようという計画だった。ヘリコンは創設して住人と従業員合わせて70人が暮らすようになったが、創立の翌年、火災で焼け落ちてしまった。
シンクレアは、その後、映画化された『石油!』や、『世界の終わり』シリーズなどを書き、1968年11月、ニュージャージー州のバウンドブルックで没した。90歳だった。
自分は『ジャングル』をすこし読んだことがある。大衆小説とされるだけあって、読みやすいけれど、とても真摯な態度で書かれた作品、という印象を受けた。
世界の資本主義の総本山である合衆国では、社会主義は一般的にはとても嫌われる。
そんな社会のなかでも、やはりシンクレアのような人だ出るからこそ、社会は改善されていくので、彼がいなかったら、経済効率を信奉する資本家の思惑通りに事態が進み、食中毒で死ぬ米国人はまだまだ増えつづけていたにちがいない。
コミュニティーは焼け落ち、政治家として成功できなかったけれど、彼の人生は、いいトライ(挑戦)だったと言えると思う。シンクレアのことばにこういうものがある。
「全体主義とは、資本主義に殺人を足したものだ。(Fascism is capitalism plus murder.)」
(2013年9月20日)
●おすすめの電子書籍!
『コミュニティー 世界の共同生活体』(金原義明)
ドキュメント。ツイン・オークス、ガナスなど、世界各国にある共同生活体「コミュニティー」を具体的に説明、紹介。
www.papirow.com
「シャーロック・ホームズ」シリーズを書いたコナン・ドイルは、アプトン・シンクレアを「アメリカのゾラ」と呼んだそうだ。シンクレアは社会の非情な実態を描いてベストセラー作家となった人だが、自分がシンクレアを知ったのは、彼が「ヘリコン・ホーム・コロニー」というコミュニティー(共同生活体)を作ったからだった。
アプトン・ビール・シンクレア・ジュニアは、1878年、米国メリーランド州のボルチモアで生まれた。父親はお酒のセールスマンで、アルコール中毒だった。
父親であるアプトン・シニアは、商売がうまく行かず、家は貧しかったが、母親の一族はみな富裕層の人たちで、ジュニアは母方の祖父の家に滞在したりして、お金持ちの暮らしと貧乏家庭の暮らしの両方を見ながら育った。
ジュニアが10歳のとき、一家はニューヨークへ引っ越した。
14歳になるすこし前に彼はニューヨーク私立大学に入学し、19歳の年に卒業した後、コロンビア大学でも学んだ。彼は大学で法律を専攻したが、作家志望で、学生時代から子ども向けの冒険物語やジョークの小咄を書いて生活費を稼いでいた。
アプトン・シンクレアは、しだいに社会主義思想に目覚めるようになり、26歳のとき、社会主義新聞の「理性の訴え」紙の依頼を受け、シカゴへ取材調査に行った。シンクレアは、食肉加工工場に潜入調査をし、小説『ジャングル』を書き上げ、出版されると、それはたちまち大ベストセラーとなった。小説に描かれた労働者たちの苛酷な境遇もさることながら、返品されてきたカビの生えたソーセージを再加工して国内市場へまた送りだすといった食品工場のずさんな衛生管理を描いた部分が問題となり、連邦調査官がシカゴに派遣され、食肉検査法案が成立した。
28歳のとき、シンクレアは『ジャングル』で得た資金を注ぎ込んで、ニュージャージー州のエングルウッドに土地を購入し、「ヘリコン・ホーム・コロニー」というコミュニティーを創設した。これは、シンクレアなりの理想とする共同生活を実現しようとしたもので、100戸の家を建て、そこで野菜や肉やミルクなどを自給しようという計画だった。ヘリコンは創設して住人と従業員合わせて70人が暮らすようになったが、創立の翌年、火災で焼け落ちてしまった。
シンクレアは、その後、映画化された『石油!』や、『世界の終わり』シリーズなどを書き、1968年11月、ニュージャージー州のバウンドブルックで没した。90歳だった。
自分は『ジャングル』をすこし読んだことがある。大衆小説とされるだけあって、読みやすいけれど、とても真摯な態度で書かれた作品、という印象を受けた。
世界の資本主義の総本山である合衆国では、社会主義は一般的にはとても嫌われる。
そんな社会のなかでも、やはりシンクレアのような人だ出るからこそ、社会は改善されていくので、彼がいなかったら、経済効率を信奉する資本家の思惑通りに事態が進み、食中毒で死ぬ米国人はまだまだ増えつづけていたにちがいない。
コミュニティーは焼け落ち、政治家として成功できなかったけれど、彼の人生は、いいトライ(挑戦)だったと言えると思う。シンクレアのことばにこういうものがある。
「全体主義とは、資本主義に殺人を足したものだ。(Fascism is capitalism plus murder.)」
(2013年9月20日)
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