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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月6日・ジェーン・アダムズの志

2013-09-06 | 歴史と人生
9月6日は、米テネシー州にナショーバ・コミュニティーを建設した女性フランシス・ライトが生まれた日(1795年)だが、米国の社会事業家、ジェーン・アダムズ(1860年)の誕生日でもある。
自分は米国の1970年代ごろの「ウーマン・リヴ(女性解放運動)」のことを調べるうちに、その先駆であるジェーン・アダムズを知った。志の立派な人である。

ジェーン・アダムズは、1860年に、米イリノイ州のシダーヴィルの裕福な家庭で生まれた。父親は、州の上院議員で、リンカーンの支持者だった。ジェーンは9人きょうだいの8番目の子だったが、きょうだいのうち3人は幼児期に没し、母親も彼女が2歳のときに、9番目の子の出産で亡くなった。
ジェーンは4歳のとき、脊髄の病気にかかり、足をひきずって歩くようになり、走ることができなくなった。子どものころ、ディケンズを読んでいた彼女は、世のためになることをしたいと考えた。彼女は、医科大学に神学し、将来は医者になって、貧しい人たちを助けたいと希望していた。そんな矢先、父親が急性虫垂炎で亡くなった。そのとき、ジェーンたちきょうだいは、それぞれ約5万ドル(現在の120万ドル=約1億2千万円)ずつ、遺産を相続したという。
ジェーンはフィラデルフィアの女子医科大学に進んだ。しかし、脊髄の手術や神経衰弱のために、単位を修めることができなかった。彼女は、医学の道をあきらめ、2年間のヨーロッパ旅行に出たけた。そうして、医者にならずとも、貧しい人々を救う道はあるのでは、と考えるようになった。
米国に帰国してからも、彼女は迷いのなかにいて、つぎの一歩はなかなか踏みだせずにいたが、27歳のとき、彼女は英国ロンドンに渡り、数年前にできたばかりだった貧困層のためのセツルメント(隣保館)を見学した。そこでは周辺住民のための教育や福祉、法律相談などがおこなわれていた。
米国へもどったジェーン・アダムズは、イリノイ州シカゴのスラム街にあった大邸宅の空き家を買い取り、そこにセツルメントを開設し「ハル・ハウス」と名付けた。
ハル・ハウスは、子どもたちのための幼稚園であり、図書館であり、音楽室であり、さまざまなクラブ活動の場であり、また大人たちのための夜間学校でもあった。このシカゴのハル・ハウスがきっかけとなり、各地に同様のセツルメントが建設されだした。
 ジェーン・アダムズはまた、工場労働者たちに更生や補償などを与え、彼らの生活を改善するべく、工場法制定の運動をはじめ、資本家たちからのさまざまな妨害を受けながらも、ついに工場法を成立させた。彼女は、71歳のときにノーベル平和賞を受賞し、1935年5月、シカゴで没した。74歳だった。

恥ずかしながら、子どものころの自分は、「世のため人のためになりたい」などとは、夢にも考えたことがなかった。いまではそうでもないのだけれど、このジェーン・アダムズは、裕福な家庭に生まれ、からだに病気を背負っていたにもかかわらず、子どもの時分からそういう志をもっていて、ほんとうにえらいなぁ、と頭が下がる。
(2013年9月6日)




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『9月生まれについて』(ぱぴろう)
ジェーン・アダムズ、ツイッギー、アンナ・カリーナ、スプリングスティーン、ジミー・コナーズ、シェーンベルク、メリメ、マーク・ボラン、家永三郎、棟方志功、長友祐都、矢沢永吉など9月誕生30人の人物論。9月生まれの人生論。ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。

『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』(キャスリーン・キンケイド著、金原義明訳)
米国ヴァージニア州にあるコミュニティー「ツイン・オークス」の創成期を、創立者自身が語る苦闘と希望のドキュメント。彼女のたくましい生きざまが伝わってくる好著。


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