1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月26日・ハイデガーの人間存在

2013-09-26 | 思想
9月26日は、米国の作曲家、ジョージ・ガーシュウィンが生まれた日(1898年)だが、実存主義哲学者、マルティン・ハイデガーの誕生日でもある。
自分は電車に乗っているとき、他人が本を読んでいると、その書名が気になるが、そのとき、きれいな女性が、むずかしそうな本を読んでいると、不思議なことに、その女性がよけいにきれいに見えてくる。マルクス『賃銀・価格および利潤』とか、ニーチェの『善悪の彼岸』など、いい。ハイデガーの『存在と時間』など読んでいる女性を見たら、もう絶世の美女すぎて、倒れてしまうかもしれない。

マルティン・ハイデガーは、1889年、独国バーデン州のメスキルヒで生まれた。父親は教会の堂守り兼職人だった。マルティンは、ギムナジウム(中高一貫校)をへて、修道院に入ったが、病弱で修道院のきびしい修行生活についていけず、2週間後には退院。大学の神学部に入り直した。
23歳の年に哲学科に転部したハイデガーは、哲学研究に没頭し、学位論文の評価を「最優秀」で博士号を取得した。
第一次世界大戦中は、召集され、軍務についた。
戦後は、大学で教えながら、論文を書いた。34歳のころに、トートナウベルクに山荘を建て、そこにこもって代表作『存在と時間』を書いた。
1933年、ハイデガーが43歳のとき、ドイツにヒトラー政権が誕生し、ハイデガーはフライブルク大学の総長に選ばれた。ナチスのユダヤ人迫害により、まわりの学者がつぎつぎと職を奪われ、外国へ避難、亡命していくなか、ハイデガーはナチス党に入党した。しかし、彼は大学で孤立し、就任一年後に総長の職を辞任した。
第二次世界大戦後は、一時期、大学を退職させられていたが、62歳の年に復帰が認められ、ふたたび大学の講義、講演、論文執筆などをおこなった。
1976年5月、フライブルクの自宅で没した。86歳だった。

自分は高校生のときからハイデガーの名は知っていたが、その本をちゃんと読んでいない。だから、ハイデガーについての理解は高校生のときのままだけれど、それによると、ハイデガーは彼が38歳のときに発表した『存在と時間』のなかで、われわれが存在するとは、どういうことか? ということを考えようとしたらしい。
この世に存在しているののなかでも、人間は、ほかの存在とはちがって、みずから自分の存在を問題とする存在である。これを「現存在」と呼んで、ほかの存在と区別する。
現存在の人間は、自分で選んでこの世界に飛び込んだわけではなく、知らぬ間に放りこまれていた存在であるため、世界内存在として生きているとき、いつも不安につきまとわれている。それで、人間はこの不安から逃避しようとして、好奇心にとらわれ、曖昧さをもつようになる。……
というようなことをハイデガーは考えたらしい。
自分は、あまりむずかしいことはわからないのだけれど、ときどきこういう問題について考えてみるのが好きである。現代日本人の多くの人が念頭においている経済効率だとか現世利益だとかは、まったく関係のないことで、人によっては、
「なんのことやら?」
「なんの得にるの?」
「ばかじゃない?」
と考える人もいるかもしれない。でも、自分はぜんぜんそうは考えない。
ハイデガーはこう言ったそうだ。
「人間は存在するものの支配者ではない。人間は、存在するものの羊飼いなのだ。」
(2013年9月26日)




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