1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月14日・矢沢永吉の運命

2013-09-14 | 音楽
9月14日は、ギャグマンガ家、赤塚不二夫が生れた日(1935年)だが、歌手「永ちゃん」こと、矢沢永吉の誕生日でもある。
自分が中高校生のころ、矢沢永吉は暴走族やリーゼント好きの不良連中、日本のロックファンなど若い男性層をコアとして、すでに絶大な人気をもっていた。自分は当時、日本のロックを聞かず、デヴィッド・ボウイやセックス・ピストルズを聴いていたので、彼がいた「キャロル」というバンドも、まったく知らなかった。矢沢がソロになってからのCMソング「時間よ止まれ」ではじめて知った。いい曲だなあ、と思った。

矢沢永吉は、1949年、広島市で生れた。母親が家を捨て、自転車屋をやっていた酒飲みの父親が原爆の後遺症で没したため、彼は祖母に育てられた。彼は極貧の子ども時代をすごした。高齢の祖母は、生活保護を受け、草刈りの日当を市役所からもらいながら永吉を育てたという。
中学のときに、ラジオでザ・ビートルズを聴き、ロックに目覚めた矢沢は、高校を卒業すると、アルバイトで貯めた5万円とギターをもって夜汽車に乗った。そうして横浜で降り、そこで働きながら、バンド活動をはじめた。
23歳の年に、ロックバンド「キャロル」を結成。レコードデビューを果たした。
26歳の年、キャロルを解散し、「I LOVE YOU, OK」でソロデビュー。武道館ライブを含むライブ・ツアーを精力的におこない、29歳のとき、CMソングとなった「時間よ止まれ」をリリース。大ヒットし、
「矢沢、ビッグ、よろしく」
の名ゼリフを吐く大スターとなり、以後絶大な人気を保ちつづけている。

49歳のころ、矢沢はオーストラリアの不動産にからんで、被害額約35億円と言われる詐欺にあった。彼は懸命に働き、この借金を56歳のころまでに完済したという。
矢沢だからこそ、これだけ巨額の借り入れられたとも言えるし、矢沢だからこそ返済できたとも言えるけれど、彼はなんにも悪くないのである。だから、とんでもない詐欺にあった被害者として、それを世間に訴えて同情を集める道もあり得たところを、それをせず、寡黙に音楽活動に打ち込んで復活を遂げた。強靱な精神力を感じる。

矢沢永吉は、作曲家、歌手であると同時に、しだいに自分の音楽環境を整えて、自分の楽曲の著作権管理、コンサートの制作、興行をこなし、さらに海外ミュージシャンの招聘までを自分でおこなうようになった。これは、もちろん「永ちゃん」というカリスマ的人気をもったアーティストだから可能だったことだけれど、音楽業界では画期的というか、奇跡的なことだった。
矢沢永吉はいろいろとすごいことをなし遂げてきた男だけれど、自分がいちばんすごいと思うのは、この自分のビジネスを自分で把握している点である。
自分の運命を自分でちゃんと握った男、それが「矢沢」だと思う。
(2013年9月14日)



●ぱぴろうの電子書籍!

『こちらごみ収集現場 いちころにころ?』
ドキュメント。ごみ収拾現場で働く男たちの壮絶おもしろ実話。


www.papirow.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする