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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月19日・ツイッギーの不思議さ

2013-09-19 | 歴史と人生
9月19日は、トランペッターのニニ・ロッソが生まれた日(1926年)だが、ファッションモデル、ツイッギー(1949年)の誕生日でもある。
「ミニスカートの女王」ツイッギーはその昔、森永のチョコフレークというお菓子のテレビCMに出ていて、自分はそれで知った。とてもやせっぽちの人たちだった。

ツイッギーは、1949年、英国ロンドン郊外のニースデンで生まれた。本名は、レズリー・ホーンビー。父親は大工で、母親は印刷工場で働いていた。レズリーの上に年の離れた姉が二人いて、上の姉はレズリーと15歳、下の姉は7歳ちがいだった。
小さいころから母親に裁縫を習い、自分で服を作っていたというレズリーは、子どものころ「ツイッグ(小枝)」というあだ名で呼ばれていた。
高校に通っていた1966年、彼女は17歳になるすこし前に、雑誌「ウーマンズ・ミラー」のカバーモデルとなった。きわめて細く芸術的で、子どものように華奢(きゃしゃ)で、無性別的なその容姿は、当時の若者文化が花開いたおしゃれなスウィンギング・ロンドンのムードにぴったりと合い、また当時発表されたミニスカートのブームとも重なり、彼女はたちまち注目され、トップモデルとなり、時代の象徴的存在となった。
美容師をしていた彼女の恋人は、彼女のマネージャーとなり、彼女に「ツイッギー」と名乗るよう説得し、「ツイッギー」の名は、その小枝のような細いスタイル、ボーイッシュに短くカットした髪、そして黒い長いまつげのイメージとともに、たちまち世界へ響き渡った。
1967年には来日し、日本中に「ミニスカートの女王」フィーバーを巻き起こした。日本女性のあこがれの的となった彼女のサイズは、身長165センチメートル、体重は41キログラムで、まだ18歳だった彼女の年収は1000万ドル(当時のレートで36億円)と言われた。
ツイッギー自身は、自分の外見についてこう言っていた。
「わたしは自分の見てくれを嫌っていた。だから、みんな、頭がおかしくなってしまったと思ったわ(I hated what I looked like, so I thought everyone had gone stark raving mad.)」
22歳のとき、映画「ボーイ・フレンド」に出演し、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。その後も、ツイッギーは、モデル、映画女優、歌手として活躍を続けて現在にいたっている。

1990年代になると、クラウディア・シファー、シンディ・クロフォード、ケイト・モスなど「スーパーモデル」 がもてはやされる時代になったが、ツイッギーは彼女らの先駆で、「世界最初のスーパーモデル」とも言われる。
でも、ツイッギーの存在感は、スーパーモデルの後輩たちとはだいぶちがうと自分は思う。1990年代のモデルたちは、みんな女性的でセクシーさがウリだけれど、ツイッギーはセクシーかセクシーでないかという次元の問題ではなく、どこか人間離れした感じ、異星人的な印象をもっていて、それが彼女をして、ほかのモデルたちとはちがう、ある一時代の象徴たらしめているのだと思う。
あの異常な感じはすばらしいと思う。まさに「ワンダーキッド(不思議な少年、すばらしい子ども)」だった。
(2013年9月19日)



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