1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月7日・島木健作の探求

2013-09-07 | 文学
9月7日は、シンガーソングライターの長渕剛が生まれた日(1956年)だが、作家、島木健作の誕生日でもある。
昔、先輩があるとき、島木健作の小説『生活の探求』を指して、こう言った。
「これが出た当時は、学生たちがいっせいに大学をやめて、いなかへ行って働きだしたんだ。それくらい影響力のあった小説なんだ」
「そうなんですか」
自分はあまり興味なさそうな顔をしておいたが、それからずっと気になっていて、後に『生活の探求』『続生活の探求』を読んだ。なるほど、心ゆさぶられる力作だった。

島木健作の本名は、朝倉菊雄。彼は1903年、北海道札幌市で生まれた。2歳のとき、父親が没し、彼は苦学して、22歳で東北帝国大学に入った。
大学に入ると、すぐに学生運動に熱中しだした。各地の労働組合や、農民運動に参加し、日本共産党に入った。当時の左翼運動の考え方では、社会は資本家たちの支配階級によって支配されているので、被支配階級である学生、労働者、農民は一致団結して対抗しなくてはならないのである。運動中、朝倉は肺結核を発症して苦しんだ。
一方、彼が大学に入った年に、治安維持法が成立していた。この法律を根拠として、政府は1928年3月15日に、全国で日本共産党、労働農民党関係者の一斉検挙をおこなった。この「三・一五事件」で、24歳だった朝倉も検挙された。身柄を拘留され、裁判が進むなかで、朝倉は、26歳になる年に社会主義思想を放棄する旨を表明した。いわゆる「転向」である。有罪判決を受けて刑務所に服役し、結核の悪化に苦しんだ後、28歳のときに仮釈放された。
31歳のとき、自分の獄中体験や転向問題をテーマにした小説『癩(らい)』を発表し、「島木健作」として作家デビュー。34歳の年に『生活の探求』を発表。青年たちの心を強く刺激し、ベストセラーとなった。戦中も執筆をしながらも、肺結核に苦しみつづけ、1945年8月、敗戦の2日後に、鎌倉の病院で没した。41歳だった。

『生活の探求』は、東京の大学に入った主人公が、浮わついた学生生活に疑問を覚え、失望し、四国の実家に帰って、父親といっしょに農業をするという話で、家族や地域の人々といっしょに働くうちに、やがて、頭で考えたのでない、からだでつかんだ、地に足がついた思想が彼のなかに芽生えてくる。たしかそんな話だったと記憶している。
その文章の平易さと、説得力は、独特のもので、当時の若者たちが心を動かされたのももっともだとうなずけた。自分も心を動かされた。

ほんとうらしいウソのあふれた現代では、島木健作がなつかしい。
彼はきびしい時代に、つらいからだを奮い立たせて力作を書いた作家だった。彼の小説は、架空の話ではあるけれど、彼はまちがいなく、自身で汗を流して探求した「ほんとうのこと」を示そうとした。それが文章からはっきりと伝わってくる。
(2013年9月7日)



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島木健作、棟方志功、家永三郎、長友祐都、矢沢永吉、ジミー・コナーズ、シェーンベルク、ツイッギー、アンナ・カリーナ、スプリングスティーン、メリメ、マーク・ボランなど9月誕生30人の人物論。9月生まれの人生論。ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。

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