1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月30日・「熱狂」マーク・ボラン

2013-09-30 | 音楽
9月30日は、『ティファニーで朝食を』を書いた作家、トルーマン・カポーティが生まれた日(1924年)だが、ロック・バンド「T・レックス」のマーク・ボランの誕生日でもある。
自分の学生時代の友人に、T・レックスのレコードを集めているファンがいて、彼にカセットテープに録音してもらって、よく聴いた。マーク・ボランの熱狂的な演奏スタイルは彼独特のもので、彼はまったく唯一無二のロックスターだったと思う。

マーク・ボランは、1947年、英国イングランドのロンドンで生まれた。本名は、マーク・フェルド。一家はユダヤ系で、父親は肉屋だった。
9歳のとき、エルヴィス・プレスリーを聴き、夢中になったというマークは、10歳のころからバンドを組んで学校や地元のカフェでライブ演奏をしていた。
11歳で中学に入るが、入学した初日から学校を抜け出す不良ぶりで、授業をさぼっては、音楽と読書に明け暮れる生活を続けた。
マークは10代後半には、ファッション・モデルの仕事をしながら、レコード会社のオーディションを受けていたが、18歳になるすこし前に、芸名を「マーク・ボラン」とし、契約したデッカ・レコードからシングル曲「魔法使い(The Wizard)」でデビュー。続けて第二弾シングルを出したが、曲はいずれもヒットしなかった。
20歳の年に、自分のグループ「ティラノザウルス・レックス」を結成し、20歳のとき、ティラノザウルス・レックスとしての最初のシングル「デボラ」が発売され、ヒットチャート入りした。
23歳のとき、バンドの名前を「T・レックス」と短く改めた。
24歳の年に出したアルバム「電気の武者(Electric Warrior)」が全英チャートでナンバーワンを獲得し、全世界で大ヒットを記録し、T・レックスは第二のビートルズと騒がれた。化粧をし、奇抜で派手な衣裳をまとって演奏する彼らのスタイルは「グラム・ロック」と呼ばれ、当時のロンドンの通りには、メイキャップをし、底の熱いブーツをはき、スパンコールやラメ入りの衣裳で美しく着飾った若者であふれた。そのグラム・ロックのブームは、ボランが24歳のときに出したT・レックスのアルバム「ザ・スライダー」によって最高潮を迎え、T・レックスは「ゲット・イット・オン」「メタル・グルー」「テレグラム・サム」「20センチュリー・ボーイ」などの楽曲を立て続けに大ヒットさせた。
1977年9月16日、朝方にクラブから家に帰る途中、ボランは事故にあった。彼は、恋人が運転するミニの助手席に乗っていたが、恋人がハンドル操作を誤り、街路樹に激突。恋人は重傷を負い、ボランは即死した。ボランは生前「自分は30歳まで生きられないような気がする」とコメントしていたが、事故は彼が30歳になる2週間前のことだった。

ずっと昔、「すみれ September Love」を書いた一風堂の土屋昌巳が、
「マーク・ボランが活躍した時期に、ロックはある頂点に達して、完成されてしまった。それ以降にそれ以上のものはない、そういう気がする」
という意味のことをテレビで発言していたが、自分もそうかもしれないと思う。
マーク・ボランは元祖「ヴィジュアル系」で、天才的なソングライターで、かつ情熱的なステージを繰り広げる最高のパフォーマーだった。「メタル・グルー」を聴きながら目を閉じれば、たちまち、あのきらびやかな時代の熱狂が胸にこみ上げてくる。
(2013年9月30日)




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