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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月24日・スピノザの神

2018-11-24 | 思想
11月24日は、『小公子』を書いたバーネットが生まれた日(1849年)だが、ネーデルランド(オランダ)の哲学者スピノザの誕生日でもある。

バールーフ・デ・スピノザは、1632年、ネーデルランドのアムステルダムで生まれた。父親はポルトガルから迫害され逃げてきたユダヤ人の貿易商で、家は裕福だった。父親は3度結婚していて、バールーフは2度目の妻の子で、彼が6歳のとき母親が肺病で没し、9歳のとき父親は3人目の妻を迎えた。バールーフの上に姉2人、兄1人、下に弟が1人いた。
ラビ(ユダヤ教の神学者)になるため、バールーフはユダヤの神秘主義思想カバラを研究したが、17歳のときに兄が没し、バールーフに家業を継ぐ期待が高まり、彼は家業を手伝うようになった。そして22歳のときに父親が没し、彼は仕事を引き継いだ。が、すぐに哲学に専心することを決意し、店をたたんだ。財産分けの際、彼はベッドとカーテンだけをとり、他はすべて家族に譲った。
24歳のとき、スピノザは無神論者と判断され、ユダヤ教団から破門された。彼は、レインスブルク、フォーブルク、ハーグと居を移しながら、研究と執筆を続けた。すると彼の支持者が現れだし、支持者から経済援助を受けたり、自分でレンズ磨きの仕事をしたりしてスピノザは生計を立てた。
41歳のとき、ハイデルベルク大学から教授職の招きを受けたが、組織の制約を嫌って辞退し、市井の一学者として研究を続けた。そうして、彼の哲学体系の集大成である『エティカ』を書いた後、1677年2月、肺結核のためハーグで没した。44歳だった。

スピノザは、長らく縁遠い存在だった。ノーベル文学賞をとった大江健三郎が、これからはスピノザを原語で読みたいと発言したのを聞き、すこし読むようになった。
ゲーテが『詩と真実』のなかで、スピノザは教会によって批判されているが彼の書には打つものがあったと書いている。実感を重視するゲーテらしいことばである。

スピノザはデカルトの実体論を発展させた人である。
デカルトが、精神と物体とを独立した実体として考えたところ、スピノザは両者をひとつの実体の両面ととらえた。スピノザにおいては、実体イコール神である。
スピノザは、存在するものはすべて神のなかにあり、何ものも神なしには考えられない。でも、神はすべてを超越する存在ではなく、神はすべてのなかに内在する原因である。神は自然のなかに内在し、自然すなわち神である、というように考えた。
こうした考え方が、無神論者とユダヤ教会側の目に映り、怒りを買った。

泉鏡花が、自然の草木や石などすべてのものには鬼神力と観音力が宿っていると信じていると書いていたけれど、この意見はスピノザに通じる。

亡くなった米国の友人が昔こんなことを言った。
「ぼくは、神というのは生活そのものだと思う」
これもちょっとスピノザに通じる。スピノザは言っている。
「欲望とは、人間の本質そのものである。」(工藤喜作、斎藤博役『スピノザ エティカ』中央公論社)
(2018年11月24日)



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