1945年8月6日、米軍の爆撃機、エノラゲイが広島に原子爆弾一個を投下し、約14万人が死亡した。人類史上はじめて原爆が実戦で使用された8月6日は、ポップアートの旗手、アンディ・ウォーホルの誕生日でもある。
アンディ・ウォーホルは、1928年に米国ペンシルベニア州で生まれた。本名は、アンドリュー・ウォーホラ。父親はスロバキアからの移民で、炭鉱夫だった。
じつは、ウォーホルの誕生日は諸説あって、はっきりしないらしい。1930年生まれの出生証明書も存在しているそうで、ただし、ウォーホルは証明書はうそだと主張するなど事実は不明で、「1928年から1931年ごろに誕生」としている書籍もある。
アルバイトをしながらピッツバーグの工科大学で学んだ後、ウォーホルは21歳のころ、ニューヨークへ引っ越し、広告制作のアーティストとして働きだした。
24歳のころ、ニューヨークではじめての個展を開き、ブロードウェイで舞台美術を担当するなどした後、34歳のとき、鉛筆描きの作品『1ドル札とワシントンの肖像』『大きいキャンベルスープ缶』を描き、その後、シルクスクリーンで『キャンベルスープ缶』『マリリン・モンロー』『エルヴィス・プレスリー』『ミック・ジャガー』『花』『ぶどう』など、写真をベースに、蛍光色を大胆に使ってコラージュした作品群を発表して、1960年代に盛んになったポップアートの旗手となった。
美術作品制作のほかにも、映画制作、ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のアルバム・プロデュースなど、さまざまな分野でアートを展開した。
1987年2月、ウォーホルはニューヨークの病院で胆のう手術を受けた後に心臓発作を起こして没した。58歳だった。
既成の美術のあり方への批判として、ポップアートは登場した。難解な構図で、わけのわからないものを描いた、世界に一点しかない油絵を見るために、わざわざその場所へ足を運ぶとか、目の飛び出るよにうな額を出してそれを作品を購入するだとかいう美術界の常識を、ウォーホルは鮮やかな手並みで破壊して見せた。
スーパーマーケットにも並んでいるスープ缶とか、マリリン・モンローの顔といった、みんながよく知っている題材をとり上げて、インパクトのある美しい芸術作品に仕上げた。そして、シルクスクリーンによって、何十枚も同じものを刷り、作品の値段を人々の手の届くものにした。
天上の高みに浮いていた芸術を、地上に引きずりおろした。教科書的かもしれないけれど、ウォーホルのやったことを説明するなら、そういうことになるだろう。
18歳のころ、伊豆にある池田二十世紀美術館で、はじめてウォーホルの「マリリン・モンロー」10枚連作を見た。あの衝撃は忘れない。
以来、ウォーホルが好きで、画集もいくつかもっているけれど、やっぱりウォーホルは「色」である。あの色は、画集では伝わらない。実物を見ると、その色に感銘を受ける。
それに、質感も印象深い。あれも画集では味わえない。実物を見るべき作家である。
(2024年8月6日)
●おすすめの電子書籍!
『芸術家たちの生涯----美の在り方、創り方』(ぱぴろう)
古今東西の大芸術家、三一人の人生を検証する芸術家人物評伝。彼らの創造の秘密に迫り、美の鑑賞法を解説する美術評論集。会田誠、ウォーホル、ダリ、志功、シャガール、ピカソ、松園、ゴッホ、モネ、レンブラント、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチまで。芸術眼がぐっと深まる「読む美術」。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
アンディ・ウォーホルは、1928年に米国ペンシルベニア州で生まれた。本名は、アンドリュー・ウォーホラ。父親はスロバキアからの移民で、炭鉱夫だった。
じつは、ウォーホルの誕生日は諸説あって、はっきりしないらしい。1930年生まれの出生証明書も存在しているそうで、ただし、ウォーホルは証明書はうそだと主張するなど事実は不明で、「1928年から1931年ごろに誕生」としている書籍もある。
アルバイトをしながらピッツバーグの工科大学で学んだ後、ウォーホルは21歳のころ、ニューヨークへ引っ越し、広告制作のアーティストとして働きだした。
24歳のころ、ニューヨークではじめての個展を開き、ブロードウェイで舞台美術を担当するなどした後、34歳のとき、鉛筆描きの作品『1ドル札とワシントンの肖像』『大きいキャンベルスープ缶』を描き、その後、シルクスクリーンで『キャンベルスープ缶』『マリリン・モンロー』『エルヴィス・プレスリー』『ミック・ジャガー』『花』『ぶどう』など、写真をベースに、蛍光色を大胆に使ってコラージュした作品群を発表して、1960年代に盛んになったポップアートの旗手となった。
美術作品制作のほかにも、映画制作、ロックバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」のアルバム・プロデュースなど、さまざまな分野でアートを展開した。
1987年2月、ウォーホルはニューヨークの病院で胆のう手術を受けた後に心臓発作を起こして没した。58歳だった。
既成の美術のあり方への批判として、ポップアートは登場した。難解な構図で、わけのわからないものを描いた、世界に一点しかない油絵を見るために、わざわざその場所へ足を運ぶとか、目の飛び出るよにうな額を出してそれを作品を購入するだとかいう美術界の常識を、ウォーホルは鮮やかな手並みで破壊して見せた。
スーパーマーケットにも並んでいるスープ缶とか、マリリン・モンローの顔といった、みんながよく知っている題材をとり上げて、インパクトのある美しい芸術作品に仕上げた。そして、シルクスクリーンによって、何十枚も同じものを刷り、作品の値段を人々の手の届くものにした。
天上の高みに浮いていた芸術を、地上に引きずりおろした。教科書的かもしれないけれど、ウォーホルのやったことを説明するなら、そういうことになるだろう。
18歳のころ、伊豆にある池田二十世紀美術館で、はじめてウォーホルの「マリリン・モンロー」10枚連作を見た。あの衝撃は忘れない。
以来、ウォーホルが好きで、画集もいくつかもっているけれど、やっぱりウォーホルは「色」である。あの色は、画集では伝わらない。実物を見ると、その色に感銘を受ける。
それに、質感も印象深い。あれも画集では味わえない。実物を見るべき作家である。
(2024年8月6日)
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