1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月1日・イヴ・サン=ローランの資質

2024-08-01 | ビジネス
8月1日は、民俗学者の宮本常一が生まれた日(1907年)だが、ファッションデザイナー、イヴ・サン=ローランの誕生日でもある。

イヴ・サン=ローランは、1936年、フランス領アルジェリアの地中海に面した町オランで生まれた。父親は保険会社のサラリーマンで、イヴの下には妹が二人いた。
小さいころから細部に凝った紙人形を作るのが好きだったイヴは、家で母親や妹たちのドレスをデザインしていた。
パリに引っ越した後、イヴは17歳のとき、ファッションデザインの学校に入学した。
デザインコンクールに出品したカクテルドレスで最優秀賞をとった彼は、クリスチャン・ディオールによってその独創的な才能を絶賛され、ディオール工房に入った。
サン=ローランが21歳のとき、ディオールが没し、彼は主任デザイナーとなって、ディオール・ブランドを双肩にになう身となった。
22歳の年、サン=ローランはトラペーズラインの女性服を発表。この成功で彼はディオール・ブランドを救った。「トラペーズ」とは空中ブランコのことで、それは揺れるブランコのロープのようなラインをもった台形のひざ丈のスカートの服だった。
24歳のとき、彼は徴兵され、当時アルジェリア独立戦争で軍務についたが、すぐに精神衰弱になり、精神病院に収容された。病院で彼は電気ショック療法を受けたという。
26歳のころ、病気から回復したサン=ローランは、同性愛の恋人であったピエール・ベルジェにお金を出してもらって独立した。「イヴ・サンローラン(YSL)」の誕生だった。
自分のブランドでも、彼の才能は発揮され、斬新なデザインで大成功を収めた。
29歳の年に発表したモンドリアン・ルックは、抽象画家モンドリアンの絵画からヒントを得た、ワンピースの白地がタテ、ヨコの線で区切られ、正方形の三原色が配置された大胆な芸術的デザインで喝采を博し、世界中で売れに売れた。
極度に人見知りだったサン=ローランは、プライベートでは人とのかかわりを避け、恋人、収集した彫刻や絵画など、愛するものに囲まれてひっそりと生活するのを好んだ。
彼のブランドは女性服のほか、香水、靴、ネクタイなどにも進出し、サン=ローランが53歳のとき、ファッション・ブランドとしては仏国初となる株式上場を果たした。
外国のVIPをエスコートする仏国の顔として活躍したサン=ローランは66歳で現役を引退し、晩年をモロッコのマラケシュですごし、2008年6月、ガンのため没した。71歳だった。

ドキュメント映画「イヴ・サンローラン」を観た。生前の映像や、恋人ベルジェのインタビュー、スーパーモデルのナオミ・キャンベルのサン=ローランへの謝辞、生前に集めた美術品が競売にかけられる模様などが印象深かった。

サン=ローランは、いわばオタクの同性愛者で、一般社会からはいれられにくい資質の持ち主だったが、彼にはそれを補って余りあるセンスがあり、理解者にも恵まれた。
それでも繊細な神経をもつサン=ローランにとって、つねに大きな期待を寄せられるなかで新作のデザインを発表しつづけるプレッシャーは相当なものだったようで、彼は薬びたりになっていた時期もあったらしい。
大胆さと繊細さ。それがイヴ・サン=ローランの特徴だが、それは相当な苦しみの末にしぼりだされたものだった。
(2024年8月1日)



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