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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月19日・アーサー・ウェイリーの知性

2024-08-19 | 文学
8月19日は、ファッションデザイナーのココ・シャネルが生まれた日(1883年)だが、英国人、アーサー・ウェイリーの誕生日でもある。『源氏物語』を英訳した人である。

英国の東洋学者アーサー・デイヴィッド・ウェイリーは、出生時の名前はアーサー・デイヴィッド・シュロスといい、1889年、英国イングランドのケント州タンブリッジ・ウェルズで生まれた。父親は経済学者で、アシュケナージ系のユダヤ人の名門出身だった。
名門私立校のラグビー校をへて、ケンブリッジ大学キングズコレッジに進んだアーサーは、古典学を専攻した。
大学での成績は優秀だったが、目の疾患のため21歳になるころ、退学した。
商社に勤めた後、大英博物館の学芸員の職を得て、そこで働きながら中国語の古文や日本語の古文を勉強した。ロンドンに滞在していた日本人に日本語を習ったこともあったらしいが、日中の古文は独学だったという。
彼が25歳になる年に第一次世界大戦がはじまると、英国はドイツと敵国になり、「シュロス」というドイツ系の名がスパイの嫌疑をかけられるもとにもなり、彼ら家族は姓を「ウェイリー」に変えた。これにより彼はアーサー・デイヴィッド・ウェイリーになった。
ウェイリーは29歳のとき『漢詩百七十首』を英訳し、翌年に『日本の詩「歌」』を英訳紹介し、続けて日本の能楽も英訳紹介した。
そして、39歳で『枕草子』を英訳し、40歳のころ、大英博物館を退職した。
44歳のとき労作『源氏物語』の英訳全6巻を完成させたウェイリーは、第二次世界大戦中は情報省に勤務し、ロンドンにいる日本人ジャーナリストや在英国日本国大使館の文書や通信を英訳、分析していた。
戦後も、日本の古典文学のほか、中国の漢詩、『論語』『老子』等の哲学を英訳し続けたウェイリーは、53歳のころ『西遊記』も英訳、紹介している。
大戦後はこれといった定職に就かず、日本、中国の文献を英語圏に紹介し続けたウェイリーは、63歳で大英帝国勲章を受賞した。そして1966年5月、76歳のときに結婚したが、新婚1カ月の6月にガンのため没した。76歳だった。

評論家の正宗白鳥は、紫式部の『源氏物語』について、あれはまるで頭がなく、胴体ばかりがふらふらしているような悪文で、とても読めた代物でないが、ウェイリー訳の英語版『源氏物語』は端切れがよく読みやすい、あれを読んで『源氏物語』を素晴らしさがわかったという意味のことを言ったそうである。

日本文学者のドナルド・キーンは、ウェイリー訳の『源氏物語』の輝きは忘れがたく、数種類ある『源氏』英訳本のなかでもウェイリー訳が最高であると太鼓判を押している。

日本へも中国へも行ったことのない人が、独学で勉強した語学力でもって、生涯を通じて中国、日本の文献を紹介し続け、英語圏に大きな衝撃と影響をもたらした。
没する前、ウェイリーは、ガンの末期にあってはげしい苦痛に苦しんだが、それでも麻薬や鎮痛剤の投与を拒んだ、最後の瞬間まで正気を保っていたい、と。彼はハイドンの弦楽四重奏曲を流し、好きな詩を朗読してもらいながら逝ったそうだ。恐るべき知性である。
(2024年8月19日)



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