1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月15日・ナポレオンの達成

2024-08-15 | 歴史と人生
敗戦記念日の8月15日は、インドの思想家、シュリ・オーロビンドが生まれた日(1872年)だが、フランス皇帝、ナポレオン・ボナパルトの誕生日でもある。

ナポレオン・ボナパルトは、1769年、地中海のコルシカ島で生まれた。出生時の名はナブリオーネ・ブオナパルテ。イタリア・トスカーナに由来する一族で、父親は判事だった。ナブリオーネは12人きょうだいの4番目だった。
コルシカ独立戦争後、フランスの新貴族として認められた父親は、これを家運の好機と見て、9歳のナブリオーネをフランスへ送り出した。ナブリオーネは貴族用の幼年学校をへて、15歳でパリの陸軍士官学校に入った。通常の生徒が4年かける教育課程をわずか11カ月で終了し、16歳でナブリオーネは陸軍の砲兵隊の少尉となった。
1789年、ナブリオーネが20歳の年にフランス革命が勃発した。
名をナポレオン・ボナパルトとフランス風に変えた彼は、革命政府軍側の士官となった。24歳のとき、それまで膠着状態にあったトゥーロン攻略を、彼はまず街を見下ろす高台を占拠して、そこから砲撃を加えるという作戦で成功させた。26歳のときには、パリで起きた王党派によるクーデターを、市街地の破壊をいとわず広範囲にわたって砲撃する大胆な作戦で鎮圧した。28歳のときには、軍司令官として各地で快進撃を続けてオーストリアに迫り、有利な講和条約を結んで、イタリア北部にフランスの領土を広げて見せた。パリに凱旋したナポレオンは大喝采を浴び、英雄として迎えられた。
その後、ナポレオンは侵攻先のエジプトで窮地に陥ると、敵前逃亡、脱出し、パリにとって返してクーデターを起こし、30歳のとき、第一執政となり、軍事独裁政権を開始した。
35歳になる年に、議会と国民投票の賛成を得て、フランス皇帝となった。
皇帝となったナポレオンは、国民軍を創設してそれまで貴族のものだった戦争を国民全体のものに変え、「万人の法の前の平等、信教の自由、経済活動の自由」などを取り入れた近代的民法「ナポレオン法典」を作り、王政を敷くヨーロッパの国々をつぎつぎと侵略して「フランス革命」を輸出した。制圧した相手国には、自分の兄弟や配下の将軍を王として送り込んだ。そうして38歳のころには、ほぼヨーロッパ全土を支配下におさめた。
しかし、彼が39歳のときに起こったスペイン独立戦争、43歳でのロシア遠征などで失敗し、英国をはじめとする対仏連合軍の前に敗北し、45歳の年には皇帝から退位させられ、コルシカ島の東にあるエルバ島の小領主に左遷させられた。
その後、ナポレオンは島を脱出して、パリに舞いもどって皇帝に復位したが、周囲の連合国には認められず、また戦争となり、ベルギーのワーテルローの戦いで、英国・プロシア軍に敗北。ナポレオンの百日天下は終わった。
南大西洋の孤島セントヘレナ島に流刑となったナポレオンは、胃ガンのため、1821年5月に同島で没した。51歳だった。死因については、ひ素による毒殺説も存在する。遺体は後にパリへ送られ、セーヌ河のほとりに安置された。

「わが辞書に不可能の文字はない(不可能ということばはフランス的ではない)」
ゲーテの愛読者だったナポレオンは文才があって、ことばに切れがある。彼は言っている。
「一つのすぐれた力が私を私の知らない一つの目的へと駆り立てる。その目的が達せられない限り、私は不死身であり、堅忍不抜であろう。しかし私がその目的にとって必要でなくなるや否や、たった一匹の蠅でも私を倒すに充分であろう。」(オクターヴ・オブリ編、大塚幸男訳『ナポレオン言行録』岩波文庫)
(2024年8月15日)



●おすすめの電子書籍!

『大人のための世界偉人物語』(金原義明)
世界の偉人たちの人生を描く伝記読み物。エジソン、野口英世、ヘレン・ケラー、キュリー夫人、リンカーン、オードリー・ヘップバーン、ジョン・レノンなど30人の生きざまを紹介。意外な真実、役立つ知恵が満載。人生に迷ったときの道しるべとして、人生の友人として。


●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする