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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7月29日・アルマウェル・ハンセンと差別

2024-07-29 | 思想
7月29日は、ミズーリ号艦上で太平洋戦争の降伏文書に日本全権代表として署名した重光葵(しげみつまもる)が生まれた日(1887年)だが、医学者、アルマウェル・ハンセンの誕生日でもある。ハンセン病(らい病)を研究した人である。

ゲルハール・ヘンリック・アルマウェル・ハンセンは、1841年、ノルウェーのベルゲンで生まれた。現在のオスロ大学で医学を修め、医師となり、ダニエル・コルネリウス・ダニエルセンと共同でハンセン病の研究をした。
当時、らい病は遺伝性の病気か、あるいは特別な悪い空気による病気だと考えられていたが、ハンセンは細菌によるものではないかと考えた。
32歳のとき、調べたすべての患者から「らい菌」を発見したことを発表。
しかし、彼に対する医学界の評価は低かった。
その後、ハンセンが病気に感染した組織の標本を渡したアルバート・ナイサーが、らい病の病原菌をつきとめたと発表し、菌を発見したハンセンと、病源を特定したナイサーとのあいだで功績をめぐる争いが起きた。
また、ハンセンが女性の患者に、了承を得ることなく、病原菌に感染させようとした事実が発覚し、実害はなかったものの、ハンセンはスキャンダルにまみれた。
ハンセンは、1912年2月、心臓病のため、没した。70歳だった。
らい病、レプラなどと呼ばれていた病気は、彼の名をとって「ハンセン病」「ハンセン氏病」などとよばれるようになった。

ハンセン病は、世界でも、日本でも、患者が不当に差別されてきた病気である。神経が麻痺し、骨や皮膚が変形して、外見が露骨に変わるため、患者は忌み嫌われ、隔離されてきた。病気にかかった患者の鼻汁や体液によって感染することがあるが、感染力はひじょうに弱く、免疫力によって、成人にはほとんど感染しないという。ハンセン病はまた、治療できる病気だが、日本でも差別意識は根強く、患者を不当に差別しようとする、1953年の「らい予防法」が撤廃されたのは1996年のことだった。

ハンセン病と聞くと、無知、そして、差別意識ということを連想する。
日本人は(または人間は)、ほんとうに無知で、差別が好きな生き物である。
人種とか、国籍とか、文化とか、肌の色とか、信仰とか、病気とか、性別とか、やたらと、なにかちがっている点を見つけては少数派を差別したがる。
自分は子どものころから、差別が嫌いで、周囲のそういう態度とは一線を画すよう努力してきたつもりだが、でも、だからといって、自分が無知でないとか、差別主義者でないとかいうのでもない。
ずっと昔「自分は差別主義者か」ということを深刻に考えたことがあって、考えぬいた結果、根本のところでは、完全にはどうしても差別意識を拭い去れないと悟った。あきらめた。でも、だから、せめて、なるたけ差別反対者でありたいと願うようになった。
現代は差別主義者、排他主義者たちの時である。日本で、世界で、彼らの声が大きなうねりとなってこだましている。
(2024年7月29日)



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