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6月20日・テレンス・ヤングの洗練

2018-06-20 | 映画
6月20日は、世界難民の日(World Refugee Day)。この日は、映画女優、ニコール・キッドマンが生まれた日(1967年)だが、映画監督のテレンス・ヤングの誕生日でもある。「ロシアより愛をこめて」「暗くなるまで待って」の監督である。

ショーン・テレンス・ヤングは1915年、中国の上海で生まれた。父親は、当時列強が自国民居留地として管轄権をもっていた租界のうちの、英国租界地の警察署長だった。
英国のケンブリッジ大学で東洋史を学んだヤングは、英国軍のアイルランド警備隊に入り、第二次大戦中は戦車の指揮官としてネーデルランド(オランダ)で戦った。
戦後、30歳のころから映画の脚本を書くようになり、映画監督になった。
47歳のとき、007号・ジェイムズ・ボンド・シリーズ第1作「ドクター・ノオ」を監督。
48歳のとき、第2作「ロシアより愛をこめて」。50歳で第3作「サンダーボール作戦」を監督。いずれもヒットさせて、007号映画を世界的な大ヒット・シリーズの軌道に載せた。
その後、オードリー・ヘップバーン主演の「暗くなるまで待って」「華麗なる相続人」、チャールズ・ブロンソン主演の「夜の訪問者」「レッド・サン」「バラキ」などを監督し、1994年9月、心臓発作のため、フランスのカンヌで没した。79歳だった。

テレンス・ヤングは「ドクター・ノオ」を撮るにあたり、田舎者だった主演のショーン・コネリーにつきっきりで演技指導したそうだ。レストランや街を連れ歩き、歩き方、話し方、食べ方をやって見せて、まねさせたという。そうして、あの余裕のある、しゃれた、洗練されたショーン・コネリー版ジェイムズ・ボンドができあがった。

テレンス・ヤングの作品には、まず駄作がない。観て、思わず感心してしまう。娯楽作品として秀逸である。彼の特徴は、映画のなかにたるんだ部分がないことで、それがもっともよく発揮された作品が「ロシアより愛をこめて」だった。「ロシアより~」はとにかく見せ場、見せ場の連続で、全編流れるような展開の名作である。「ロシアより~」以後のハリウッド映画は、この作品によく学んで、息もつかせぬアクション・シーンやどんでん返しが続くジェトコースター的映画をこしらえるようになったのではないか。けれども、ハリウッドはヤング作品のアクションシーンはまねできたが、ヤングの優雅さとか趣向といったものを学べなかった。それで、はらはらして観るけれど、観終えた後に何も残らないハリウッド映画がたくさんできてしまった。

「ロシアより~」の撮影では、英国諜報部のトルコ支局長を演じた俳優ペドロ・アルメンダリスが末期ガンで、撮影が進むにつれて病状が悪化していた。監督とスタッフは、彼の意向を受け、彼の家族に出演料を渡すために、とにかく彼が出演する場面を最優先して撮影したのだという。

ヤングは現場のスタッフやキャストを「わが子」と呼んだ。
「ロシアより~」の撮影中、監督とカメラマンを乗せたヘリコプターが湖か川に墜落する大事故があった。さいわい、死傷者はなく、水中から引き上げられたヤング監督は、30分後には、
「さあ、わが子たちよ、撮影をはじめよう」
と再開した。洗練の粋人監督は、不死身でもあった。
(2018年6月20日)



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