3月27日は、浪速の女流作家、田辺聖子が生まれた日(1928年)だが、日本を代表するディスクジョッキー、小林克也の誕生日でもある。
小林克也は、1941年、広島県福山市で生まれた。12歳ごろからFENなどのラジオ放送を聴きだし、英語とロック・ミュージックに浸るようになった。
慶應義塾大学経済学部中退。外国人の観光案内や、ナイトクラブの司会などをへて、ラジオ番組のDJデヴュー。
1981年にスタートした米国の音楽チャートを紹介するテレビ深夜番組「ベストヒットUSA」の司会をはじめたのは40歳のころで、このころには「ザ・ナンバーワン・バンド」や「スネークマン・ショー」名義で「うわさのカム・トゥ・ハワイ」「六本木のベンちゃん」「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」などの爆笑レコードも出している。
以後、抜群の英語力と軽妙なユーモアセンス、そして時代を見抜く鋭い風刺精神を発揮し、日本を代表する洋楽紹介者となった。
小林克也は、「ロッキングオン」誌編集長だった渋谷陽一と並ぶ、わが洋楽のグルー(導師)だった。英米のロックミュージシャンを知るきっかけはたいてい彼らの紹介だった。
ラジオだけを聞きかじって鍛えられたという小林克也の英語力は、まったくみごとなもので、彼に多くの英語発音を教えられた。たとえば、マリファナを吸いながら聴くのにいい楽曲を作る女性ミュージシャン、エンヤ(Enya)は、
「エーニャ」
英国のロック・バンド「オアシス(Oasis)」は、
「オエイシス」
と「エイ」の部分にアクセントをおいて発音するのだと彼に教わった。
以前、米国の女性アーティスト、シンディ・ローパーを「ベストヒットUSA」の番組に迎えて話しているとき、小林克也が、
「あなたの『トゥルー・カラー』という曲のビデオクリップにこんな歌詞があって……」
と話しだしたのを、聞いていたシンディが途中でそれをさえぎって、
「それは『トゥルー・カラー』じゃないわ。『タイム・アフター・タイム』よ」
と訂正するひと幕があった。
あるいは、べつの英国のアーティストを迎えて、デヴィッド・ボウイの「フェイム」という曲について話しているとき、小林克也が、
「これはボウイがベルリンで録音した曲で……」
と言いかけたのを、ゲスト・ミュージシャンが訂正した。
「いや、あれはベルリン時代より前の、『ヤング・アメリカンズ』という米国で録音したアルバムの曲だよ」
みていて、どちらもすぐまちがいに気づいたけれど、あれはたぶん小林克也がわざとまちがえて、会話にちょっとしたあやをつけようとしたのだろう。いや、純粋な勘違いかもしれないけれど、いずれにせよ、その後の小林の対応がみごとだった。まちがいを指摘されても余裕で「ああ、そうだったかな」くらいの感じで、淡々と笑顔でなごやかに話を続ける。来日した大物を前にして、さすが大人だった。人間はミスをする生き物、という前提を共通認識としているわけで、あの懐の深さをぜひとも見習いたい。
(2023年3月27日)
●おすすめの電子書籍!
『デヴィッド・ボウイの思想』(金原義明)
デヴィッド・ボウイについての音楽評論。至上のロックッスター、ボウイの数多ある名曲のなかからとくに注目すべき曲をとりあげ、そこからボウイの方法論、創作の秘密、彼の思想に迫る。また、ボウイがわたしたちに贈った遺言、ラストメッセージを明らかにする。ボウイを真剣に理解したい方のために。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
小林克也は、1941年、広島県福山市で生まれた。12歳ごろからFENなどのラジオ放送を聴きだし、英語とロック・ミュージックに浸るようになった。
慶應義塾大学経済学部中退。外国人の観光案内や、ナイトクラブの司会などをへて、ラジオ番組のDJデヴュー。
1981年にスタートした米国の音楽チャートを紹介するテレビ深夜番組「ベストヒットUSA」の司会をはじめたのは40歳のころで、このころには「ザ・ナンバーワン・バンド」や「スネークマン・ショー」名義で「うわさのカム・トゥ・ハワイ」「六本木のベンちゃん」「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」などの爆笑レコードも出している。
以後、抜群の英語力と軽妙なユーモアセンス、そして時代を見抜く鋭い風刺精神を発揮し、日本を代表する洋楽紹介者となった。
小林克也は、「ロッキングオン」誌編集長だった渋谷陽一と並ぶ、わが洋楽のグルー(導師)だった。英米のロックミュージシャンを知るきっかけはたいてい彼らの紹介だった。
ラジオだけを聞きかじって鍛えられたという小林克也の英語力は、まったくみごとなもので、彼に多くの英語発音を教えられた。たとえば、マリファナを吸いながら聴くのにいい楽曲を作る女性ミュージシャン、エンヤ(Enya)は、
「エーニャ」
英国のロック・バンド「オアシス(Oasis)」は、
「オエイシス」
と「エイ」の部分にアクセントをおいて発音するのだと彼に教わった。
以前、米国の女性アーティスト、シンディ・ローパーを「ベストヒットUSA」の番組に迎えて話しているとき、小林克也が、
「あなたの『トゥルー・カラー』という曲のビデオクリップにこんな歌詞があって……」
と話しだしたのを、聞いていたシンディが途中でそれをさえぎって、
「それは『トゥルー・カラー』じゃないわ。『タイム・アフター・タイム』よ」
と訂正するひと幕があった。
あるいは、べつの英国のアーティストを迎えて、デヴィッド・ボウイの「フェイム」という曲について話しているとき、小林克也が、
「これはボウイがベルリンで録音した曲で……」
と言いかけたのを、ゲスト・ミュージシャンが訂正した。
「いや、あれはベルリン時代より前の、『ヤング・アメリカンズ』という米国で録音したアルバムの曲だよ」
みていて、どちらもすぐまちがいに気づいたけれど、あれはたぶん小林克也がわざとまちがえて、会話にちょっとしたあやをつけようとしたのだろう。いや、純粋な勘違いかもしれないけれど、いずれにせよ、その後の小林の対応がみごとだった。まちがいを指摘されても余裕で「ああ、そうだったかな」くらいの感じで、淡々と笑顔でなごやかに話を続ける。来日した大物を前にして、さすが大人だった。人間はミスをする生き物、という前提を共通認識としているわけで、あの懐の深さをぜひとも見習いたい。
(2023年3月27日)
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『デヴィッド・ボウイの思想』(金原義明)
デヴィッド・ボウイについての音楽評論。至上のロックッスター、ボウイの数多ある名曲のなかからとくに注目すべき曲をとりあげ、そこからボウイの方法論、創作の秘密、彼の思想に迫る。また、ボウイがわたしたちに贈った遺言、ラストメッセージを明らかにする。ボウイを真剣に理解したい方のために。
●電子書籍は明鏡舎。
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