1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月28日・ 嘉納治五郎の逆行

2014-10-28 | スポーツ
10月28日は、米マイクロソフト社の創業者、ビル・ゲイツが生まれた日(1955年)だが、柔道家の嘉納治五郎(かのうじごろう)の誕生日でもある。

嘉納治五郎は、万延元年10月28日(1860年)に、現在の兵庫の神戸で生まれた。父親は廻船業を広く営み、江戸幕府の廻船方御用達で、勝海舟の後援者だった。
年号が明治に変わった後、13歳のとき、明治政府に招聘された父といっしょに上京。東京大学に進み、学生時代から柔道を学びはじめた。
彼は大学卒業後、いよいよ柔道に熱を入れだし、自分が弟子入りした先の天神真楊流と、起倒流の二つの流派のよいところを取り入れ、それまでただ経験を積んでからだで覚える方式だった柔術を理論化し、新しい柔道の上達法を作り上げた。
22歳のとき、現在の台東区にある永昌寺の居間と書院を道場として借り、講道館を設立。囲碁や将棋から段位制を取り入れて弟子を集め、後進の育成に尽力した。
講道館を運営するかたわら、嘉納は学習院教頭、東京高等師範学校校長、第五高等中学校校長などを務め、現在の灘中、灘高の設立にも関わり、教育者としても活躍した。
中国人留学生の受け入れ施設として、彼は東京の牛込に弘文学院を解説し、後に作家となる魯迅はここで学んだ。
49歳で日本人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となり、76歳のとき、IOC総会で東京オリンピックの招致(1940年開催予定)に成功した。が、これは戦争のため返上された。
1938年5月、エジプトのカイロで開かれたIOC総会からもどる帰国途中、氷川丸の船上で肺炎のため没した。77歳だった。

ロシアのプーチン大統領がかつて来日した際、大統領は多忙な日程に入ってくるべきだったほかの用事を削って、東京ドームの近くにある講道館を迷わず訪ねた。そして柔道着姿になり稽古をした。講道館は、やはり世界の柔道家にとっての聖地なのだなあ、と感じさせるニュースだった。

嘉納治五郎が柔術を習いはじめた当時は、さむらいの時代が終わり、文明開化たけなわの時代だった。そんなハイカラな新時代に、いまさら武術を学ぼうというのは、まったく時代に逆行する方向性だったが、治五郎としては自分の体力が虚弱で、しばしば力の強いものにねじふせられるのを悔しく思っていて、なんとか非力な者でも力の強い者に勝てる方法を会得したいという願いからの行動だった。無論、家族は反対したらしい。
この時代に逆行して大成したところが、自分はとても興味深いと思う。だし、逆行してやれと狙ったのではなく、自分がやりたいと思ったからはじめた、その出発点が肝心である。

嘉納はこう言っている。
「人生には何よりも『なに、くそ』という精神が必要だ」(名言集.com: http://www.meigensyu.com/)
茶道家でも、音楽家でもなく、いかにも柔道家らしいことばだと思う。
(2014年10月28日)



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