1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月8日・武満徹の前衛

2014-10-08 | 音楽
10月8日は、精神医学者エルンスト・クレッチマーが生まれた日(1888年)だが、天才作曲家、武満徹(たけみつとおる)の誕生日でもある。

武満徹は、1930年、東京で生まれた。祖父は国会議員で、父親は保険会社に勤めるサラリーマンだった。父親の転勤にともない、生後1カ月で満洲の大連に引っ越したが、7歳のとき、小学校入学のため、家族と離れてひとり帰国。東京の伯父の家で育った。
戦後の16歳のとき、進駐軍のラジオ放送で音楽を聴き、音楽家を志すことを決意。横浜の進駐軍キャンプでボーイとして働いた後、18歳のとき、作曲家の清瀬保二に師事。しかし、技術的なことはいっさい教わらず、二人は音楽論を戦わせるばかりの師弟だった。
このころ、武満はピアノがないため、東京の町を歩きまわり、ピアノの音が聞こえると、見知らぬ家に頼みこんであがり、ピアノを弾かせてもらって練習したという。
ほぼ独学で作曲を学んだ武満は20歳のとき、清瀬と仲間が開催した作品発表会で、ピアノ曲「2つのレント」を発表し作曲家デビュー。
21歳のとき、交際していた画家、音楽家たちと芸術集団「実験工房」を結成。以後、この集団のつながりを通して演劇、映画、バレエなどの音楽を作曲するようになり、武満徹の音楽作品は知られるようになっていった。
日活映画「狂った果実」、劇団四季の「野性の女」、チョコレートのコマーシャル音楽などを手がけた後、27歳のとき、初のオーケストラ作品「弦楽のためのレクイエム」を発表。作品は新聞に酷評されたが、その録音テープを、たまたま来日中だったストラヴィンスキーが聴く機会があり、聴いたストラヴィンスキーはこう言って絶賛した。
「武満のは誠実さがあって厳しくていい」(小澤征爾、武満徹『音楽』新潮文庫)
それから武満は、日本フィルなどオーケストラからの依頼を受けて作曲したり、「切腹」「不良少年」「砂の女」「暗殺」「四谷怪談」といった映画音楽を担当したりしているうち、しだいに琵琶、尺八といった邦楽器を取り入れて作曲するようになった。この方向をオーケストラ用の楽曲に推し進めたのが、36歳のときの「エクリプス」であり、37歳のときにニューヨーク・フィルのために書いた「ノヴェンバー・ステップス」だった。琵琶と尺八がオーケストラと奏で合う斬新な「ノヴェンバー」は世界中で演奏され、タケミツの名は一躍、世界的なものとなった。
イェール大学の客員教授を務め、映画「天平の甍」の音楽を担当し、オペラ作品にも取り組んだ武満は、間質性肺炎や膀胱がんなどのため、1996年2月、東京の入院先で没した。65歳だった。

クラシック音楽にうとい自分は、指揮者の小澤征爾と親交のあった作曲家として武満徹の名前を知った。いま、小澤征爾指揮、トロント交響楽団演奏、ピアノが高橋悠治という豪華メンバーによる武満徹作品「アステリズム」を聴いているのだけれど、自分もようやくこんな現代音楽を聴くところまで来たか、と感慨深い。
武満徹作品には、音の美しさと鋭さ、そして自由があると思う。
ノーベル賞作家の川端康成がどこかで、
「いま、世界の最先端の文学とは、もっとも日本的な文学を書くことである」
というようなことを書いていたが、音楽の世界でそれをやったのが武満徹なのだろう。
(2014年10月8日)




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