1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月23日・ジャニー喜多川の握手

2014-10-23 | ビジネス
10月23日は、「サッカーの王様」ペレが生まれた日(1940年)だが、事業家のジャニー喜多川の誕生日でもある。いまをときめくジャニーズ事務所の総帥である。

ジャニー喜多川は、本名をジョン・ヒロム・キタガワといい、1931年に、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた。父親は高野山の僧侶だった。
太平洋戦争中は、彼の一家は日系人の強制収容所に入れられていたこともあった。
戦後、ロサンゼルスの高校に入り、高校卒業後は、ロサンゼルス市立カレッジに進んだ。
19歳のとき、歌手の美空ひばりが米ロサンゼルス公演をおこなった際、ジョンは公演を手伝い、美空ひばりとその関係者の知遇を得た。
ジョンは21歳のとき、来日し、米国大使館員となり、通訳助手や朝鮮戦争の戦災孤児の対応などに従事した。日本の上智大学に入った喜多川は、24歳のころ、音楽のバンド活動をはじめ、31歳の年に芸能プロダクションを興した。
喜多川の愛称である「ジャニー」から、会社の名前をジャニーズ事務所とし、彼は若い少年をスカウトし、歌やダンスの練習をさせ、アイドル歌手として売り出すビジネスをはじめた。ジャニーズ事務所からは、フォーリーブス、郷ひろみ、田原俊彦、近藤雅彦、シブがき隊、少年隊、光GENJI、SMAP、嵐、などの大スターたちが輩出し、喜多川は芸能界、放送業界に隠然たる力をもつジャニーズ王国を築き上げた。日本芸能誌史に残る大プロデューサーである。

ジャニー喜多川は芸能界の人だといっても裏方だから、自分はその素顔を知らない。でも、ちょろちょろと漏れ聞こえてくるうわさを聞いていると、とても魅力的な人らしい。
たとえば、田原俊彦がまだデビュー前の高校生だったころ、週末になると甲府から電車で上京してレッスンに通ってくる田原の交通費はすべて喜多川がもち、さらに、田原が帰る際には新宿駅までかならず自分で見送りにいったという話。
あるいは、SMAPの中居正広 かリズム感が悪いので、喜多川みずからがカスタネットをたたいて、マンツーマンでレッスンしたという話。
放送界に勢力を誇る事務所のトップだから、まずい話が放送から漏れてくるはずもないが、なかなか味わいがある。

自分が興味深く思ったのは、やはりジャニーズ事務所のアイドルグループ、KAT-TUNの亀梨和也が、テレビの歌番組で明かした逸話だった。亀梨は「オレが悪かったんですけど」と前置きした上で、以下の内容を語った。
あるとき、KAT-TUNがテレビの収録かコンサートでステージを務めている最中に、亀梨が歌か踊りを忘れてしまった。ステージを降りた後で、亀梨はKAT-TUNの同僚に食ってかかった。
「ああいうときは、うまくフォローしてくれよ」
すると同僚は、こう答えた。
「おれは自分のことでいっぱいいっぱいなんだよ」
「なんだよ、それは」
とつかみあいになりかかった。そこへ、わきで見ていたジャニー喜多川が手を差しだした。亀梨に握手を求めて、こう言った。
「仕事でけんか? かっこいいね」
身内による暴露話だから、すくなくとも多少の脚色はあるだろうし、情報操作の可能性を考慮した上で聞く必要があるけれど、これがたとえ作り話だったとしてもなお、このエスプリは秀逸である。いつか機会を見つけてまねしたいものだと思っている。
(2014年10月23日)


●おすすめの電子書籍!

『新入社員マナー常識』(金原義明)
メモ、電話、メールの書き方から、社内恋愛、退職の手順まで、新入社員の常識を、身につまされる具体的な実例、驚きのエピソードを交えて解説。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする