1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月11日・アート・ブレイキーの講義

2014-10-11 | 音楽
10月11日は、「コムデギャルソン」のファッションデザイナー、川久保玲が生まれた日(1942年)だが、ジャズドラマー、アート・ブレイキーの誕生日でもある。

アート・ブレイキーは、1919年、 米国ペンシルベニア州のピッツバーグで生まれた。未婚の母の子どもで、その母親もアートを産んですぐに亡くなった。母親の友だちだった家族に引き取られて育ったアートは、学校でピアノを習い、十代のころにはクラブでピアノを弾いて働きだした。あるとき、クラブの経営者が彼にピストルをつきつけてきて、べつのピアニストと代わるよう命令された。以来、アート・ブレイキーはドラマーに転向したそうである。
23歳のころ、ニューヨークへ移り、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカーなどと共演した後、35歳のころにジャズ・メッセンジャーズを結成。以後、メンバーを入れ替えながらも、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズとして、ライブ演奏やレコード録音をした。
日本にもジャズ・メッセンジャーズを率いて何度も来日し、人気を博した。日本は、黒人である自分を差別せず、人間として迎えてくれたうれしい国だとし、大の日本びいきだった。
ブレイキーは、 1990年10月、肺ガンのため、ニューヨークで没した。71歳だった。

ずっと昔、自分は米国ニューヨーク市のマンハッタンにいて、ある夜グリニッジヴィレッジにジャズを聴きに行った。自分はジャズについてまったく無知だったのだけれど「ヴィレジ・ボイス」というタウン紙を見ていたら、ジャズバーの広告が並んだなかに、知らない黒人の顔写真が他の写真よりひいでて大きく載っていて、これはきっと有名なジャズマンなのにちがいないと、出かけていってみたのだった。
バーは地下1階のとても広いところで、自分はテーブルにつき、マンハッタンやトムコーリンズをお代わりして、開演を待った。やがて、ピアノやダブルベース、トランペットなどの楽器奏者がでてきて、最後に白髪の黒人の老人がドラムセットの奥にすわり、演奏がはじまった。生まれてはじめて聴くジャズのライブだった。
何曲か白目を出してドラムをたたいた後、老人が立ってきて、スタンドマイクの前に立って、語りだした。
「ジャズというのは、クラシックやポピュラーなど、ほかのジャンルの曲とちがって、いま、この瞬間しかない音楽です。今日、この場所で、この瞬間のミュージシャンの感覚で演奏する音楽で、それは過去にも未来にも二度とないものなのです。それがジャズ音楽の特徴であり、尊いところなのです」
そう言って、またドラムのほうへもどっていき、演奏をはじめた。そうやって説明された上で聴いてみると、これがすばらしく聴こえる。ああ、この瞬間は二度と帰らないのだ、すごく貴重な瞬間なのだ、と。後でドラマーの名前をたしかめると「アート・ブレイキー」とあった。彼は当時64歳だった。
はじめて聴いたジャズの生演奏がアート・ブレイキーで、彼からジャズについて講義を受けたというのはステイタスだと思う。アート・ブレイキーのジャズ論は、そのままわれわれの人生にもあてはまると思う。
(2014年10月11日)



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