いい日旅立ち

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連作「生存について」~アウシュビッツの男~小池光

2019-07-05 18:35:56 | 短歌


小池光の連作に「生存について」がある。

……

①草叢に吐きつつなみだあふれたりなんといふこの生のやさしさ
②ナチズムの生理のごとくほたほたとざくろの花は石の上に落つ
③かの年のアウシュビッツにも春くれば明朗にのぼる雲雀もあるけむ
④夜の淵のわが底知れぬ彼方にてナチ党員にして良き父がゐる
⑤ガス室の仕事の合ひ間公園のスワンを見せにいったであらう
⑥隣室にガス充満のときの間を爪しゃぶりつつ越えたであらう
⑦充満を待つたゆたひにインフルエンザの我が子をすこし思ったであらう
⑧クレゾールで洗ひたる手に誕生日の花束を抱へ帰ったであらう
⑨棒切れにすぎないものを処理しつつ妻の不機嫌を怖れたであらう
⑩夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして
⑪現世のわれら食ふための灯の下に栄螺のからだ引き出してゆく
⑫沢蟹のたまごにまじり沢がにの足落ちてゐたり朝のひかりに

これは、現代日本の中年男性が、アウシュビッツ収容所のナチ党員のことを思う、という状況を設定して、この両者の共通性に思い至るようにしむけている。
①で、情けなくも酔っぱらって草叢に吐く、情けない中年日本男性の姿を描く。
②では、一転して、「ナチズムの生理」という言葉を出して、読者をびっくりさせる。どういう脈絡なのか?
③では、アウシュビッツでも日本でも春、雲雀が鳴くであろうことを詠う。隣り合わせなのである。
④は、この連作の意味的要約である。ナチ党員であることと、善き父親であることは、容易に共存する。
⑤~⑨は、すべて「あらう」で終わる。④で述べたことの具体的姿である。
⑩~⑫の終結部では、日本の中年男である主人公の生活が、丁寧に描写される。

このように、いかに異常な事態も、日常の何気ない出来事と併行して起こることを詠っている。
短歌集を読んでいると、突然人間に共通する理不尽な状況を目撃させられる。
そうして、自らの立つ地盤の脆さに、思い至るのである。

そう、魚やカニを食べ、子どもを公園に連れていくことと、ユダヤ人をガス室で殺すことは、なにげなく両立するのである。

……

この連作によって、小池光の才能が、弾けるように展開されている。

















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