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いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

「されどわれらが日々--」を43年ぶりに読んで

2015-01-17 10:00:19 | 日記
「されどわれらが日々--」(柴田翔著)を43年ぶりに読んだ。1964年出版、芥川賞をとった作品である。
当時は大ベストセラーとなり、話題をさらった。
特に、学生には、必読の書となった。
私自身も、学生時代、興味を持って何度も読んだ、座右書のであった。
20歳のときである。
ふとしたきっかけから、この書の再読を思い立ち、昨日読み終えた。
筋は、平凡である。
すでに就職の決まった大学院生文夫が、婚約する。
相手は、小さな頃から仲の良かったいとこ、節子。
時は政治の時代で、ある政党が地下活動に走り、多くの学生が地下に潜伏する。
主人公や節子の友人、知人の幾人かも地下活動へといざなわれる。
そんな時代、二人は結婚を控えて、静かな時を送る。
それはそれで幸福だったのであろうが、何か、ぎこちない間柄である。
性行為もし、互いの家を行き来し、定期的に節子が主人公の下宿を訪れ、食事をつくる。
しかし、節子は、ときに
「わたしは、こうして一生あなたのために食事をつくるのかしら・・・」
とつぶやくのであった。
いったい、どんなことをおもっていたのか、文夫はわかりかねていた。
ある日、節子から、長い手紙がくる。
それには、ふたりの関係の話、主人公への思いが綴られている。
そして、節子が婚約を解消すること、地方の学校の英語教師として赴任することが綴られている。

 さようなら、文夫さん。また、いつお会いできるかと思うと、悲しみが私を打ちひしぎます。
 けれども、心の願いに従う他、私にどんな道がありましょう。
 文夫さん。この手紙を、私の別れを、私を、判ってください。
 今こそよく判ります。あなたは私の青春でした。
 どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした。
 私が今あなたを離れて行くのは、他の何のためでもない、ただあなたと会うためなのです。
 そうでないとしたら、何故この手紙を書く必要があったでしょう。
 判って頂きたいと思います。私のことを判って頂けるのは、あなただけなのです。・・・

青春の真っただ中で、そして、人生とは何か、若者らしい疑問を持ちながら、この作品を読んだ自分を、懐かしく思う。
節子は、自己実現のために教師になることを決めたのであり、今の時代には、ありふれた決断である。
当時は、多くの女性には、学校を終えれば、結婚を控えて家事手伝いをしたり、職場の花として会社でお茶くみをしたり、というのが普通であった。
43年たって、時代は変わったものである。
今回、43年ぶりに当時の愛読書を読む、ということをしてみて、大変良い経験になった。
色々な意味で、良かったと思う。
次は、「徒然草」にかかろうと思っている。