前回、「家族の歌」(河野裕子、永田和宏、永田淳、永田紅著)
のことを書いた。
河野裕子の死の直前344日の記録である。
河野の10年間の闘病記は、
京都大学名誉教授で歌人の永田和宏が、
「歌に私は泣くだらう」
で公にしている。
2人は、永田20歳、河野21歳の時、
短歌を通じて知り合った。
6年ののち、結婚。
2人の子ども淳、紅も歌人である。
2人の間に交わされた相聞歌(恋文)
は、500首ずつ。
40年間で1000首つくられたことになる。
54歳で、河野裕子乳癌発病。
64歳逝去。
死に至るまで、2人は、一緒にふろに入った。
悲しむ河野を支える永田。
夫の老年をを気遣う裕子。
悲しむ永田は、河野の胸にうずくまって、泣く。
ふたりで抱きしめあう。
河野の諦念。
最期は、自宅で息をひきとった。
壮絶な場面もあったが、最期は静かに逝った。
最期の歌。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が