(問)
「われわれは虹を見ても、
未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことができない。
というのも、虹がどうしてできるか知っているからだ。
われわれは、そうしたものを詮索することによって、
獲得したのと同じだけのものを失っている」
と、マークトェインは言ったのでありますが、
「パパラギ」を読んで、まったくその通りだと思いました。
我々文明人は、<手>が何のためにあるのかすら知らないのではないでしょうか。
巨匠、この文明の行き先は、いったい何なのでしょうか。
ああ、恥ずかしい。ジッポ、欲しい。
(答え)
君の手紙はいじらしくてよろしい。
君の手紙の3分の2は正しい。その通りである。
虹がなぜできるかを知ったがために、
虹についての原初の感動を失ったというのはマークトエインの言うとおりである。
我々は何かを手に入れると何かを失うという仕掛けになっているんだ。
我々文明人は、手が何のために存在するかもしれないと君は言っているが、
まったくそのとおりだナ。
だから、数千年前に孔子は警告を発した__
ばくちでもいいから手を使え。