いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

詩~仔羊~

2019-04-10 21:33:18 | 文学


仔羊

海の青さに耳を立て 囲いの柵を跳び越える 仔羊
砂丘の上に駆け上り 己の影に跳びあがる 仔羊よ
私の歌は 今朝生まれたばかりの仔羊
海の香りに目を瞬き 飛び去る雲の後を追う


詩~砂上~

2019-04-08 22:24:24 | 文学


砂上

海 海よ お前を私の思い出と呼ぼう 私の思い出よ
お前の 渚に 私は砂の上に臥よう 海 塩からい水……水の音よ
お前は遠くからやってくる 私の思い出の縁飾り 波よ 塩からい水の起き伏しよ
そうして渚を噛むがいい そうして渚を走るがいい お前の飛沫で私の睫毛を濡らすがいい

開高健の人生相談⑨文明人の失ったもの

2019-04-08 09:42:07 | 文学


(問)

「われわれは虹を見ても、
未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことができない。
というのも、虹がどうしてできるか知っているからだ。
われわれは、そうしたものを詮索することによって、
獲得したのと同じだけのものを失っている」
と、マークトェインは言ったのでありますが、
「パパラギ」を読んで、まったくその通りだと思いました。
我々文明人は、<手>が何のためにあるのかすら知らないのではないでしょうか。
巨匠、この文明の行き先は、いったい何なのでしょうか。
ああ、恥ずかしい。ジッポ、欲しい。

(答え)

君の手紙はいじらしくてよろしい。
君の手紙の3分の2は正しい。その通りである。
虹がなぜできるかを知ったがために、
虹についての原初の感動を失ったというのはマークトエインの言うとおりである。
我々は何かを手に入れると何かを失うという仕掛けになっているんだ。
我々文明人は、手が何のために存在するかもしれないと君は言っているが、
まったくそのとおりだナ。
だから、数千年前に孔子は警告を発した__
ばくちでもいいから手を使え。

恩田陸著、ベストセラー「蜂蜜と遠雷」を読む

2019-03-11 12:44:08 | 文学


直木賞を受賞し、
本屋大賞にノミネートされた
恩田陸の「蜂蜜と遠雷」を読んだ。
この本は、今も盛んに読まれており、
地域の図書館で、
予約140件という状況である。

ピアノコンテストが主場面で、
不思議な少年ピアニストと
他の新人ピアニストたちとの
織りなす関係を物語り、
意外な展開に読み手を感動させる。

ピアノ曲の諸作品を丁寧に説明しながら、
弾き手の個性を浮き彫りにする、
優れた佳品である。

遠藤周作の傑作「侍」を読む~キリスト教の禁教~

2019-03-06 18:39:42 | 文学


遠藤周作の傑作小説「侍」を読了した。

これは、江戸時代の初期に
イスパニア(スペイン)との通商を狙った幕府に任命され、
はるばるローマまで赴いた支倉常長を描く純文学である。
支倉は、その任にあたるため、キリスト教の洗礼を受けた。
彼は、2年にわたる航海の果てに、
親書を携えてローマ教皇と謁見した。
返書を勝ち取ることはできなかったが、
また、苦難の旅を続け、日本に帰還する。
ところが、その間に幕府の方針が変わっており、
キリスト教は迫害されていた。

彼は、旅の詳細と、自らが、目的達成のために洗礼を受けたことを
報告した。

しかし、結局、切支丹迫害の方針をとる幕府の命により、
切腹させられる。

その生涯を詳細にわたって語ったのが、
この小説である。
発表当時は、爆発的な売れ行きであった。

「侍」の生涯は、どんな意味をもつのだろうか?

上田三四二の徒然草と方丈記

2019-01-28 20:24:39 | 文学


高校時代、古文の時間に、
「徒然草」の原文を読んだ。
当時は、わけもわからないくせに、
参考書のマネをして、
「悟道的人生享楽主義」だ、
などとほざいて、
国語教師の苦笑をかった。

ところで、
上田三四二には、
「徒然草」
「方丈記」
に関する著作がある。

自身、がん患者として
「死」と隣り合わせに住んでいた。
それだけに、叙述は、痛切な悲しみを帯びる。
病床にありながら、
読み
書く
姿が、目に浮かぶ。

66歳で逝去。

67歳になったわたしには、
そろそろ
「徒然草」
の感想を、率直に語ることも赦されるだろう。

少しずつ語りたい。





上田三四二~その多様な文才~

2019-01-28 20:11:45 | 文学


上田三四二は、多才な文学者である。
内科医として仕事をしながら、
短歌
小説
エッセイ
を書いて活躍し、数々の賞を獲得した。

歌風は、写実に偏らず、
叙情だけを目指すのでもなく、
人生の諸相を表現した。

ことに、
2回のがん手術を受けたので、
当時としては、
長生きできない、
と、自らの医師としての見解ももっていた。

哀切な小説、
みずみずしいエッセイ。

短命を自覚するゆえの
透徹した文体に、
見るべきものがある。

66歳の死にいたるまで、
病床にありながら、
作品を創作し続けた。

詩「志おとろえし日は」

2019-01-11 20:28:03 | 文学


「志おとろえし日は」

こころざしおとろえし日は
いかにせましな
手にふるき筆をとりもち
あたらしき紙をくみのべ
とおき日のうたのひとふし
情感のうせたなきがら
したためかつは歌いつ
かかる日の日のくれるまで

こころざしおとろえし日は
いかにせましな
冬の日の黄なるやちまた
つつましく人住む生路
ゆきゆきちょうと海を見る
波の声ひびく卓に
甘からぬ酒をふふみつ
かかる日の日のくれるまで

詩「砂上」

2019-01-07 20:54:33 | 文学


「砂上」

海 海よ お前を私の思い出と呼ぼう 私の思い出よ
お前の渚に 私は砂の上に臥よう 海 塩辛い水 ‥‥水の音よ
お前は遠くからやってくる 私の思い出の縁飾り 波よ 塩辛い水の起伏しよ
そうして渚を噛むがいい 
そうして渚を走るがいい
お前の飛沫で私の睫毛を濡らすがいい

詩~昨日はどこにもありません~

2019-01-06 20:09:33 | 文学



「昨日はどこにもありません」


昨日はどこにもありません
あちらの箪笥の抽斗にも
こちらの机の抽斗にも
昨日はどこにもありません

それは昨日の写真でしょうか
そこにあなたの立っている
そこにあなたの笑っている
それは昨日の写真でしょうか

いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計

昨日はどこにもありません
昨日の部屋はありません
それは今日の窓かけです
それは今日のスリッパです

今日悲しいのは今日のこと
昨日のことではありません
昨日はどこにもありません
今日悲しいのは今日のこと

いいえ悲しくありません
何で悲しいものでしょう
昨日はどこにもありません
何が悲しいものですか

昨日はどこにもありません
そこにあなたの立っていた
そこにあなたの笑っていた
昨日はどこにもありません




文学における老いと死

2018-12-14 20:58:51 | 文学


文学は、
死と老いについても、
語る。
いや、
文学者のみならず。
多くの人が、
必ず死と老いに直面する。

幾人かの人たちは、
夭折し、
自死し、
病死した。

しかし、
幸か不幸か、
生き残ったわれれれは、
人生に残された
この問題に直面せざるをえない。

政府高官や医者や法曹になった
多くの友人たちも、
若い時、
多くは、文学を志したり、
そこに慰みを求めたりした。

今、老齢になって、
再び、
誰もが
死と老いに直面する。

文学を志したときと同じで、
そこには
絶対的


があり、
何人も平等にそれらに
直面せざるを得ない。

成功したとか
財を築いたとか
名誉にあずかったとか、
とは
関係がない。

若い時、
文学の目には、
すべての事象が、
平等に眺められると思ったことを、
振り返りながら。

誰にとっても、
死は平等にやってくる。
文学においては、
すべての価値が転倒することを
思ったように、
死に直面する。

老いや死をどのように表現しようか。

伊藤左千夫伝~短歌と小説~

2018-12-11 19:54:22 | 文学


伊藤左千夫は、
明治時代の
歌人・小説家である。

それまで、
貴族や皇族の
専売であった短歌を、
庶民も歌える時代になった、
と、
次の歌をつくった。

牛飼いが歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる

実際、新しい歌人が、
続々と誕生する時代であった。
彼は、搾乳業を営んだが、
文学に耽溺するようになってからは
妻や子が生計をたてたようである。

正岡子規は、
左千夫はより
3歳年下だったが
師となった。

伊藤左千夫自身、
次のような歌人を育てた。

斎藤茂吉
島木赤彦
中村憲吉
古泉千樫

「アララギ」

よって立った
歌人群である。

伊藤左千夫は、小説においても
その才能を開花させた。

「野菊の墓」の伝える悲しみ

2018-12-11 19:38:03 | 文学


伊藤左千夫に、
「野菊の墓」という
作品がある。
明治時代だから、
恋愛には不寛容な頃である。
舞台は
地方の素封家の周り。

主人公は、
幼馴染で2歳年上の娘民子と
恋仲になる。
周りは、それを許さない。
母も
親戚も
女性が年長であるために
恋愛が成就されることを
妨げる。
しかし、
2人は深く愛し合うようになる。
妨げられても、
恋の焔は燃え上がる。

が、
主人公政夫は、
学校にあがるため、
実家を離れる。

その間に
民子は、
意にそわぬ相手との結婚を強いられる。

結婚して
子どもまで設けたが、
民子の政夫への愛は
変わらない。

結局、
失意のうちに
民子は
病のため、
死んでしまう。

それを見て、
政夫の母や親せきは
後悔するが、
それは先に立たず。

政夫は民子の墓に参り、
彼女が好きだった
野菊をたむける‥‥

現代では
想像もつかない、堅苦しい時代の
恋愛であった。