「赤とんぼ」にかんするコメント その4
前記事について、私の初代ブログにコメントが殺到しました。
理解できない部分もあると思いますが、適当に考えて適当に解釈してください。
タイトル Unknown 名前 通りすがり
そんなことを書いてから、こんなのも見つけました。
「秋津」で「あけず」と読んでいるのですね…。
http://www.hyakuchomori.co.jp/benricho/ayashi/pages/9910.html
タイトル Unknown 名前通りすがり
すみません。もう一ついいでしょうか。実は赤とんぼの詩の解釈なんですけど、
背負われて見たのは「ねえや」の背中です。実は姉のことはねえやとは呼びません。
じいや、ばあやと同じく他人です。昔の子供は幼くしてよその裕福な家に働きに
出かけていました。女の子の仕事はたいてい子守と相場が決まっていたようですね。
タイトル 通りすがりさんへ 名前 橋
自分の姉ではないと言うのに、おさとのたよりが引っかかりました。
この歌でよく問題にされるのは3番です。「ねえや」は大家に雇われて、
その家の幼い子どもたちの面倒を見たり、炊事の手伝いなどをした年若な女中です。
他人である女中が嫁にいってしまったら、なぜおさと(実家)のようすが
わからなくなってしまったのか……その理由がわからないというのです。
この解釈をめぐって、これまでいろいろ意見が交わされてきました。
たとえば、おさとはねえやの実家だという解釈があります。たしかに、
子どもがねえやを慕っていた場合、ねえやの実家と交流があったというのは、
そう珍しくないケースでした。以上ネットから引用しました。
じつは私がこの体験をしています。詳しくは「私が幼少の頃」ここ参照。
私は5人兄弟の真ん中でした。上の姉は5歳の時病死しました。
私の生まれるまえです。すぐ上の姉は内のある家
で生活していました。
私は隣の姉ちゃんに小学校に入るまで子守りをしてもらっていました。
私には祖父祖母がいなかったので、両親は貧しくて働かなければならなかったのでした。
また、子供は地域のものという暗黙の了解みたいなことが感じられる所でした。
下の弟妹は私達が子守りできるようになり、どこにも預けないでそだちました。
だが、ある日弟がヤケドしました、熱湯をあびてしまったのです。
これは両親が悪いわけどもなく、姉と私が悪いわけではないともいえません。
10年前に一緒に風呂に入った時悪いことしたなぁ、思い出しました。
弟は恨んではいません。
この「赤とんぼ」には小さい頃の思い出が蘇えってきます。
私はそのことは知っていましたが、もう少し詳しく調べてみました。
奉公に入った女中さんが、ねえやだろうということです。
私も隣の姉ちゃんに子守してもらったが、
「赤とんぼ」のような記憶にないのです。
5,6年前に、彼女の実家で偶然に逢いました。
ちょっと照れくさかったです。いい思い出です。
オイラもコメントした一人です。
橋さんの、返信コメントも見事でした。
そうでしたか、気がつきませんで。
>橋さんの、返信コメントも見事でした。
いや間違って返信すれば面倒になるので気をつけました。