た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

松本ダンス 第三話『エオンタ』後編

2012年01月16日 | 短編
 彼は目を閉じた。

 再び目を開けると、彼はポケットに手を入れ、携帯電話を取り出した。三回ボタンを押す。それから、彼は天守閣の向こうの空を見上げた。

 「もしもし。警察ですか。───情報を流します。先日、岩代組組長舟橋竜雄が狙撃された事件に関して、容疑者の長谷川松茂なる人物が、現在、松本城本丸内に観光客に粉して入っていきました。───ええ、そのハセ松です。───ええ。すみませんが、それは申し上げられません。では」

 携帯を切ると、老紳士はさらにいっそう沈痛な面持ちになり、萎びた両手に顔を埋めた。


☆   ☆   ☆



 松本城は古い城である。あまり古いので、明治のころにはピサの斜塔よろしく傾いてしまった。言い伝えによれば、年貢軽減を訴え、捕まって磔の刑に処された加助という農夫が、呪いの言葉を吐いたために傾いたとか。しかし加助の生存したのは江戸時代前期であり、城が傾き出したのは明治もだいぶと経ってからである。言い伝えがまことだとしたら、呪いの潜伏期間は随分長いことになる。斜めになった烏城は、仕舞には競売にかけられ民間人の手に渡る。それはさすがにあまりにも、と良識ある市民の手により買い戻され、十余年に及ぶ大改修を経て現在に至る。もちろん、背筋もピンと伸ばされた。

 老いゆく人間の場合には、とてもこのようにはいかない。変装の場合は別として。


☆   ☆   ☆



 登城者たちはぞろぞろと蟻の行列を作って城を巡っていた。その中に、背筋のひどく曲がった老婆の姿があった。彼女は人ごみに揉まれながら、ひいひい言いつつ階段を上った。「お婆さん大丈夫かい?」と声を掛けられることもあったが、「なんのなんの。まだ若いだもん」と腕を振って答えた。

 城の三階は、「暗闇重」と呼ばれる、明り取りの極端に少ない板の間である。昼間でも夜のように薄暗い。老婆はそこまで来ると、「ちょいと一休み」と周りに聞こえるように呟いて、階段の裏手に回った。通行人からは死角になる。しばらくそこでじっとしていたが、行列がある程度動いたのを見計らって、素早く老婆の変装を脱ぎ捨て、中年男に生まれ変わった。折りたたみバッグを取り出し、年寄りの衣装を押しこんで背負い、縁の太い眼鏡を掛けてカメラを首からぶら下げる。それから、いかにも今カメラを撮り終えて出てきたかの様子で、観光客の列の前に再び姿を現した。

 最上階まで登る。狭い明り取りから眺望を一渡り確認すると、彼は深く、長いため息をついた。それからおもむろに階段を下り始めた。

 下りのコースは月見櫓の間を通る。他の部屋と違い、歓楽用に建て増しされた一角であり、随分開放的な造りである。

 長谷川松茂は明るい採光に引き寄せられるかのように手摺りまで近づき、そこに腰を下ろした。

 光の加減か、内堀の水面は、藤棚から見たときよりも、いっそう燦然ときらめいて見える。

 彼は眼鏡を外した。

 彼の肩を背後から叩く者がある。

 「ああ」と彼。振り向きもしない。

 「ハセ松さん。警察の者です」

 「わかってらあ。お前さん方がさっきから、ぎこちない変装で金魚のフンみたいに俺にくっ付いてたのは」

 彼はちらりと背後の男達を一瞥すると、また堀の水面に視線を戻した。

 「もうちっと。もうちっとだけ、眺めてからでもよかろう?」


☆   ☆   ☆



 お城というものはもともと、非道の産物である。加助の怨念は二百年後に現実化したわけだが、いまだ本懐を遂げない恨みつらみは、松本城の至る所に、目に見えない血糊となってべったりと滲みついている。

 築城の折、三メートルを超す巨石を運び込むのに大変苦労した。人足の一人が苦情を訴えると、即座に首が斬られ、首は槍の先に刺して掲げられた。そしてそのまま、巨石運びの号令を掛ける者が持つ旗印として使われた。人足たちは、死んだ仲間の首に追い立てられながら、動かぬ石を必死で曳いたわけである。

 城に流された無念の涙は数知れない。どんな不条理も、三百年保存されれば、文化財になる。

 松本城は国宝である。


☆   ☆   ☆



 「国宝 松本城」と彫られた石柱の脇を抜け出て、街中を南東の方角に向かうと、歩き疲れる前にジャズ喫茶『エオンタ』に辿りつく。落書きだらけの狭い階段を上り、黒塗りの扉を押して入ると、劇場用のスピーカーから迸り出る重厚なジャズの音色に圧倒される。席に着く前に、すでに酔っ払ったような非現実的な感覚に襲われる。

 カウンター席で、JKは泥酔していた。

 「珍しいねえ。こんなに飲むの」

 マスターがLPレコードを拭きながら声を掛ける。

 「飲んでも、飲んでも、酔えないんだ」

 「酔ってるよ」

 「酔ってない」彼は長い前髪を掻き上げた。老紳士に変装していたときから四十歳は若返りしているが、眉間の皺はむしろそのときより深い。

 ジャック・ダニエルをストレートで呷る。

 「仕事?」

 「いや。ボラティアだ」

 「ほう」

 「監獄送りのね」

 「後悔してるの?」

 「後悔はしない主義なんだ」

 「なるほど」

 空のグラスが鈍い音を立てる。

 「だって、やっぱり、人を殺めちゃいけないよね」

 「うん」

 「どんな理由があれだよ」

 「うん」

 「なのに───こんなに後味が悪いのはなぜなんだ」

 「水を飲みなよ」

 「うん。そうする」

(終)

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告知

2011年10月28日 | 短編
『神になりたかった男』期間限定公開終了いたしました。

秋晴れの気持ちの良い日が続くこの頃です。

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松本ダンス 第二話『東寿し』 完結

2011年09月21日 | 短編
物語順に並び変えました。秋の夜長にご一読ください。

(写真は7月14日JR大糸線)
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松本ダンス 第二話『東寿し』 その一

2011年09月21日 | 短編
 夕暮れ縄手をぶらり歩いて

 小路を曲がれば緑町

 昔々のなつかし話に

 暖簾をくぐろか『東寿し』


 自転車は、歩行者の眼前に、突然現れた。

 短いブレーキ音。控え目な悲鳴。横転。そして静寂。商店街の狭い通りで、自転車と歩行者は、思いの外静かに衝突する。

 呆然とうずくまるのは、学生らしき年齢の若者である。倒れた自転車から這い出したのは、三十代のスーツ姿の男。ひどく狼狽している。

 「うわあごめんなさい! 怪我とかないですか?」

 「大丈夫です」彼が呆然としているのは、周りがよく見えないからである。「すみません、眼鏡がどこかに落ちてませんか」

 「眼鏡? うわあ!・・・本当にごめんなさい!」

 横倒しになった自転車のハンドルは、黒ぶち眼鏡の左レンズを綺麗に八方位に割っていた。

 誰だ誰だ、縄手通りを自転車に乗って通る馬鹿者は、ざまは無い、追突事故を起こしてやがらあ、という顔を一様にした見物人たちが、餌にたかる蟻のように、早くも周りに人垣を作り始めていた。


 縄手通りは全長二百メートルほどの商店街である。成立は江戸時代かそれ以前にさかのぼる。ただしその名の由来となると、外堀を作るときの測量用語から来ているとか、縄のように細い通りだからとか、今一つはっきりしない。道の左右には、どこの誰が買うのか想像もつかない古道具などを売る店が所狭しと軒を並べている。行き交う人々が足を止めるのは、もっぱら、何かを買うためと言うより、かつてどこかで似たものを目にしたような、不思議な懐かしさに浸るためである。ここでは西日も長く差し込む。
 

 神社を過ぎてそば屋の角を左に曲がり、縄手通りを外れると、緑町と呼ばれる、さらにひっそりとした路地に入る。その一角に、東寿しの看板が見える。

 五月のたそがれどきである。

 からからと引き戸を開ければ、ひと時代前の、いかにも寿司屋らしいあっさりとした内装に迎えられる。六人掛けのカウンター席にはすでに酔客が二人。真新しい銀縁の眼鏡を掛けた青年と、上着を脱いでカッターシャツの袖をまくり上げた男。

 「久保さん、貝類も何かいこう」

 「もうお腹いっぱいです。田中さんどうぞ」

 「そりゃない。そりゃないなあ。あと十貫か二十貫は食べてもらわないとね。罪滅ぼしにならないですよ、本当に。大将、この人にビールと、私には酒のお代り。それにアオヤギとつぶ貝と・・・そうだな、アジが美味しかったから、アジと、それぞれ二人前ずつ。そうだ、ウニも気に入ってもらえたから、ウニももう二人前お願い」

 「あいよ」

 店主は手際よく寿司を握る。

 しばらく二人ともその作業を眺める。

 久保青年が赤い顔で嘆息した。「幸せだなあ」

 「ふむ」と袖まくりした田中。

 「え? だって、幸せですよ。眼鏡まで新しく買ってもらって」

 「私が壊したんでしょ」

 「でもフレームまで替えてもらって。フレームは壊れてなかったんですよ。そりゃちょうど替え時だったから、すごく嬉しかったですけど。おまけに寿司屋でご馳走にまでなって。そんな体験は・・・」

 「初めてじゃないでしょう」

 久保青年はびっくりして同伴者を見た。「え、なぜ」

 「何となく。何となくですよ。最初の注文の仕方からかなあ。白身から光り物、赤身と来たでしょ。それに、何というか、食べ方が様になっている」

 青年は難しい顔をして寿司台を見つめていたが、ふっと笑顔を作った。

 「実はですね、田中さん」

 「はい」

 「この店自体が、初めてじゃないんです」

 「え?」

 今度は田中が驚く番である。彼は自分と同じく目を丸くした店主と顔を見合わせた。

 店主は腕を組んで唸る。

 「うーん、来店されたときから、ちょっと面影が気になったんだけど・・・でも私の記憶の人と、名字が違うんだなあ」

 「私が中学生になるまでは、久保ではなくて牛尾でした」

 「やっぱり!」店主は手を打った。「テーラーウシオの息子さん!」

 「そうなんです」赤い顔は更に赤らんだ。

 「何だ何だ、大将、知り合いかい」と田中は呆れて二人を交互に見比べる。

 テーラーウシオの息子は目を伏せてビールを啜った。(つづく)


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松本ダンス 第二話『東寿し』 その二

2011年09月21日 | 短編
 テーラーウシオの息子は目を伏せてビールを啜った。


 日は暮れた。

 店の入口のガラス戸には宵闇ばかり映る。人影はなかなか映らない。

 東寿しは暇である。

 牛尾青年が視線を落したまま、ぽつりぽつりと語った身の上話の大意は、およそ次の通りである。

 テーラーウシオは六年ほど前に潰れた緑町の洋服店である。一時期は大変羽振りが良く、当時社長だった彼の父親は、一人息子の彼と彼の母親を伴い、三人で東寿しにしばしば姿を現した。社員を十人くらい連れ、店を貸し切ることもあった(「あの頃はお父さんにほんと落としていただきました。時代がいい時代でしたねえ」と店主がしみじみとして口を挿み、ついでに閑散とした今の店内を睨んで鼻息を荒げた)。

 しかしバブルがはじけ、経営が傾き始めると、それと呼応するように、家庭内の歯車が軋み始めた。父親の飲酒量が日を追って増えた。外で女を作り、内では母親に暴力を振るうようになった。父親は別人格になった。泥酔して深夜に帰宅し、罵詈雑言を吐きながら母親に手を上げる度に、牛尾少年は身をもって彼女を庇おうとした。父親に突き倒され、柱で腰をしたたか打ったこともあった。彼が中学へ上がる年に店は倒産。父親は名も知らぬ女と蒸発。あとに残された母親は、借金取りに追い立てられながら、一人息子を養うために昼夜なく働きづめに働いた。三年前に過労で倒れ、帰らぬ人となる日まで。

 「父が家を出て以来」

 牛尾青年はカウンターに両腕を突いた。指先に力が籠る。

 「父には、一度も会っていません。母親の葬式にも呼びませんでした。当然。あの男のことは、死ぬまで許せないと思います。でも」

 赤い顔を上げ、彼は狭い店内をぐるりと見渡す。

 「でも、こうして懐かしい場所で食べていると、ああ、家族三人で幸せだった時代があったんだ、確かにあの頃にはあったんだなあって・・・すみません、俺何話してんだろ。暗い話ですよね。すみません、本当に黙っておくつもりだったんです。酔っぱらったんですね」

 田中は首を横に振った。長い前髪に隠れた目は、充血していた。

 「いや、よく話してくれました。よくぞ話してくれました。ふむ・・・うん。さ、飲んで! 食べて! くぼ・・・いや、牛尾さん。駄目ですよ。そんな話を聞かされると、あと十人前は食べてもらわないとね。ちょっとこっちの気が済みませんよ」

 「はは、どうしてですか田中さん。私の家族の問題ですよ」

 「うーん、何て言うかなあ。誤解して欲しくないですが、何だか、あなたのお父さんの代わりに、詫びたい気分なんですよ」

 「会いたい、と何度か言ってきたんですけど」

 聞き取りにくい声だった。田中は彼の横顔を覗き込んだ。「え?」

 「父親です。会いたいって、電話で、私に・・・とてもくたびれた声でした。五、六年で、あんなに声って変わるのかなあって・・・でも、会いませんでした。どうしても会いたいって言われたけど、断わりました。電話を切ってしまいました。できないんです。許せないんですよ。絶対に許せないんですよ」

 ほとんど涙声である。答える田中の声も震えた。

 「いいから、飲んで! 大将、ビールお代り!」

 「どうしても、どうしても、どうしても許せないんですよ」

 「さあぐっと飲んで! え? 許さなくていいから。そうそう。許したくなかったら、許さなくていいんです。何もかもすべて。お父さんのことも、私が今日、自転車であなたに突っ込んで、あなたの眼鏡を叩き割ったこともね!」 

 青年は泣きながら笑った。(つづく)

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松本ダンス 第二話『東寿し』その三

2011年09月19日 | 短編
 青年は泣きながら笑った。


 四〇年ほど前までの縄手通りは、露天商のひしめく松本随一の繁華な盛り場であった。年中お祭りのような気分を味わえるところだったと、当時を知る人は言う。何かしら人をわくわくさせるものに満ち溢れていた。ときに見世物がかかり、河川敷では野外音楽の催し物があり、映画に、買い物に、そぞろ歩きに、連日大勢の市民が押し掛けた。喧嘩や酔っ払いの騒動もしょっちゅうであった。

 往年の面影を今に見出すのは難しい。古道具屋に並ぶのは、多くがかつて価値を帯びていたものである。昔の指輪、時代遅れの手鏡、色あせた引き出し。探し物は、そう簡単には見つからない。


 静かな夜が更けゆく。東寿しの店内には、袖まくりしてビールを啜る客一人、カウンターの中で腕組みをする店主一人。牛尾青年は先程帰ったばかりである。

 田中と呼ばれる男は、グラスを置き、長い前髪を掻き上げた。形の良い鼻を擦り、溜め息を一つつく。それから彼は声に出した。

 「もういいですよ。牛尾さん。出てきて下さい」

 カウンターの奥の厨房からおずおずと出てきたのは、くたびれた服を着て、頬の病的にこけた、白髪の男である。

 目の縁には泣き腫らした跡。

 「お世話になりました、JK」

 彼は掠れた声で、深々と頭を下げた。

 田中改めJKと呼ばれる私立探偵の男は、頭痛のようにひたいを押さえた。

 「いいえ。私もあなたのお金でずいぶんご馳走になりましたから。でもねえ。本当にいいんですか、これで」

 「ええ。いいんです」

 「息子さんは、今日のご馳走と眼鏡があなたからのプレゼントだってことを、一生知らないまま過ごすことになりますよ」

 「いいんです。私からだとわかったら、決して受け取らなかったでしょう。これでいいんです。三代目、あんたにも本当に本当にお世話になった」

 「確かに、いい演技だった」JKも笑ってつけ加えた。

 店主は首と手を振った。

 「牛尾さん、そんなに頭を下げてもらっちゃ、何しろ今日唯一のお客さんだったんですから。こちらこそまいどです。この店のことを忘れずにいていただいて、ありがとうございます」

 「使える金があったら、以前のように毎週でも来たいんだが」

 そう言って初老の男は力なく笑った。

 「横浜に行かれるとか」とJK。

 「ええ、弟がいますので。そこで、一から出直します。私の歳では、一からってわけにもいかないでしょうが」

 「大丈夫ですよ」

 JKは椅子を鳴らして立ち上がった。

 「大丈夫です。だってそうでしょう? 今回それを行動でお見せになったじゃないですか。息子さんに対する、あなたのその愛情を失わない限りは、大丈夫です。すみません、僭越なことを言って。牛尾さん。あなたはこれからまた汗を流して金を貯め、いつの日か再び、息子さんに寿司か何かを食べさせたいと思われることでしょう。そのときに・・・そのときにまたもし、私に依頼したくなったら、ご連絡ください。これはなかなか美味しい仕事なのでね」

 JKは上着を羽織りながら、いたずらっぽく笑った。

 「でも、次回は、あなた方親子二人が会食する番ですよ」

 牛尾はすがるように問い掛けた。「あれは・・・いつか、あれは、私と会ってくれるでしょうか」

 JKは立ち止った。前髪を掻きあげてから嘆息する。それから振り返った。

 「わかりません。人にはなかなか忘れられないものもあるでしょう・・・一生涯背負い続けざるをえないものも、中にはあるでしょう」

 カウンターの隅に飾られたホタルブクロの花に、彼は視線を落とした。淡い赤紫色で、包み込むように咲く花である。

 「でも、どうかな・・・どんな過去も、思い出も、いつの日か、違って見えてくるもんじゃないですか。ありきたりの物や、風景だって、そうなんですから」

 誰もが沈黙した。それから、短い別れの挨拶が交わされた。

 からからと、引き戸が閉まった。(おわり)
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予告

2011年09月12日 | 短編
近日、松本ダンス第二話『東寿し』掲載、の予定です。
(写真は「延命水」付近の渓流 9/10)
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松本ダンス 第一話『シエラ』完結

2011年09月06日 | 短編
物語順に並び変えました。飲み物片手にご一読ください。

(写真は自宅の小庭で採れたミニトマト)  
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松本ダンス 第一話『シエラ』 その一

2011年09月06日 | 短編
 
 松本平は春夜も寒い
 
 人気がないからなお寒い。
 
 女鳥羽の川の水面に映る
 
 『シエラ』のネオンは虹の色。



 暗く狭い店内である。
 
 女主人は痩せた腕を伸ばして無造作にカウンターを拭きながら、たった一人の客を横目で観察する。

 いい男ね。トレンチコートがよく似合う。でも、あまり思い通りの人生を歩んでこなかったみたい。酒の飲み方が自棄気味だし、それにとってもさびしい目をしている。その辺は、たぶんあたしと同じ。
 
 彼女は煙草に火を点け、震えないよう用心して細い煙を吐き出す。薄い下唇を噛むのは、気を落ち着かせるためである。絶望。疲労。不意に興奮。静かな恐怖。気が遠くなりそうなほどおびえていながら、そのくせ意を決した目つきをしている。

 あの人は、きっと来る。美しい奥さんと家族を守るためだもの。きっとここに来る。それがあの人の一巻の終わり。そして、あたしの終わりでもあるわ。

 ヘネシーXOスリムボトル。廉価な酒ばかり並んだ棚の一番上で、ひときわ丁寧に磨かれて異彩を放つその葡萄色の瓶を、彼女は睨み上げた。鉛色のネームタグには、サインペンで『Toshio』。

 死ぬのよ。あたしたち。
 
 四半時が過ぎた。


 「お客さん、松本の人じゃないね」
 
 トレンチコートの男は女主人に声を掛けられ、焦点の合わない目を寄せて微笑んだ。「わかるかな」
 
 「雰囲気ですよ。私もそうだから。松本は何年目?」
 
 「四年目」
 
 「そう。私は二十二年目。もともとは別の店で働いてましてね。この店を開いて、もうすぐ十年目です」
 
 「十年目か」
 
 「十年目ですよ」
 
 女は店員用のグラスに口をつけた。いつもはただの水だが、今日は密かにアルコールを混ぜている。そうしないではいられないのだ。長い睫毛の憂いを帯びた目で、ガラス張りのドアを見やる。ドアの向こうには暗闇がある。暗闇の底には、女鳥羽の細い流れがある。
 
 待ち続けた歳月のように静かに流れる川。 


 「松本には慣れました?」
  
 「え? まあ」
 
 「松本の人は冷たいでしょ」
 
 「そうかなあ」
 
 「この街じゃね、よそ者はいつまで経ってもよそ者なんですよ」
 
 酔客は自分の頭を手のひらで叩いた。
 
 「そういう扱いには慣れてるんでね」
 
 「おや、そうですか」
 
 「姐さん、これもう一杯」
 
 「ちょいと、八杯目ですよ。こんなに飲むんだったら、ボトルを入れりゃよかったのに」
 
 「ボトルは入れない主義なんだ」
 
 「どうして」
 
 「よそ者なんでね」
 
 女主人は鼻で笑った。
  


 女鳥羽川は、誰かの流した涙のようにちょろちょろと細い川である。三才山から南下した流れが、どうした気紛れか不意に右折し、おまけに川幅まで狭くなって、松本市内を東から西へと抜ける。何でも戦国時代、かの武田信玄が、松本城の外堀代わりに無理矢理水路を変えたという説もあるが、定かではない。不自然な川筋が災いして、過去に何度か氾濫し、近辺住民の膝頭を濡らした。涙とすれば、なかなか迷惑な涙である。しかし平生は、穏やかさと安らぎの権化のように、カルガモを浮かべて陽光に煌めいている。



 一時間が経った。(つづく)



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予告編

2011年08月25日 | 短編
『松本ダンス』始まる
 
                        

この物語は実在する街並みを舞台としていますが、登場する人物は全て架空であり、現実の人々とは一切関係を持ちません。


第一話「シエラ」


 松本平は春夜も寒い
 人気がないからなお寒い。
 女鳥羽の川の水面に映る
 『シエラ』のネオンは虹の色。



次回より掲載!

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