「人一人死ぬと、見慣れた風景もまるで変わって見えるのね」
「何ですか奥様」
「何でも」
大仁田は女主人の呟きを聞き取るべく自らもしゃがみこんだ。「何でございましょう」
女二人が庭に膝を抱えていると、まるで鶏である。飼う人がいなくなっても、鶏は庭に出て草をついばむ。
「何でもないけどさ」美咲は思い出を点検するかのようにあちらこちらを眺めている。首が疲れたのか、俯いて次の雑草に手をかけた。
「でもね、この家を買ったころからなのよ。宇津木との夫婦関係がぎくしゃくしはじめたのは」
「私が出入りさせていただくようになった前のことでございますね」
「そうね」
くたびれた苦笑い。「皮肉よね。家を買って、いよいよ家族の場所を確保したら、家族の絆が解けていくなんて」
大仁田はげんこつを三重顎に当てて唸った。
「家の種類によりけりでしょうね」と不明なことを言う。
「あたくしどものアパートなんて狭過ぎて駄目でございます。主人と口喧嘩が始まるでしょ、すると声が壁に反響して、すぐエスカレートしちゃうんです。狭過ぎて何言い合ってるかわかんなくなるんですから。こちらのお宅は逆に広過ぎるんでございますよ」
「そお」
美咲は雑草を手にしたまま屋敷を振り返った。
「そうでございます。広過ぎるんでございますよ。今だから言うんですが、この家の中にいると、ちょっと寂しい感じがしたもんです」
「そりゃ、会話が少なかったもの」
「ええ。やっぱり旦那様があんまり・・・・」
「私、ここを出たかった」
美咲は大仁田の言葉など待っていられない。熱に浮かされたように饒舌になっている。
「ずっとね。ずっとこの家を出たかった。どうしてだろうね。ずっと飛び出したかった。逃げ出したかった。狭い所に閉じ込められている気がしたの。こんなに広い家なのに。ここに引っ越してきてすぐに、この家の何もかもが嫌になっちゃった。古い台所やお手洗いとか、床の間が暗いのとか、重そうな屋根とか、廊下を歩くとき、ぎいっと鳴るのとか。もう何でもよ。そう・・・そういうマイナスの気持ちが起こるのは、宇津木のせいだとずっと思っていたわ。彼が暴君で我が儘で、私を嫌っているからと。私も、彼を嫌っているからと。でもね、彼が死んでもやっぱりこの家は何だか高圧的な気配がするのよ。嫌な感じが続いているの。この家の主人が死んでも、この家はぜんぜん変わらなかったの。それでわかったわ。家庭不和の原因は、宇津木じゃなくてこの建物にあったんだって。あの松の木と一緒。この敷地にあるものは、何かを感じさせるのよ。なんて言うか、この家には意志があるのよ」
(つづく)
「何ですか奥様」
「何でも」
大仁田は女主人の呟きを聞き取るべく自らもしゃがみこんだ。「何でございましょう」
女二人が庭に膝を抱えていると、まるで鶏である。飼う人がいなくなっても、鶏は庭に出て草をついばむ。
「何でもないけどさ」美咲は思い出を点検するかのようにあちらこちらを眺めている。首が疲れたのか、俯いて次の雑草に手をかけた。
「でもね、この家を買ったころからなのよ。宇津木との夫婦関係がぎくしゃくしはじめたのは」
「私が出入りさせていただくようになった前のことでございますね」
「そうね」
くたびれた苦笑い。「皮肉よね。家を買って、いよいよ家族の場所を確保したら、家族の絆が解けていくなんて」
大仁田はげんこつを三重顎に当てて唸った。
「家の種類によりけりでしょうね」と不明なことを言う。
「あたくしどものアパートなんて狭過ぎて駄目でございます。主人と口喧嘩が始まるでしょ、すると声が壁に反響して、すぐエスカレートしちゃうんです。狭過ぎて何言い合ってるかわかんなくなるんですから。こちらのお宅は逆に広過ぎるんでございますよ」
「そお」
美咲は雑草を手にしたまま屋敷を振り返った。
「そうでございます。広過ぎるんでございますよ。今だから言うんですが、この家の中にいると、ちょっと寂しい感じがしたもんです」
「そりゃ、会話が少なかったもの」
「ええ。やっぱり旦那様があんまり・・・・」
「私、ここを出たかった」
美咲は大仁田の言葉など待っていられない。熱に浮かされたように饒舌になっている。
「ずっとね。ずっとこの家を出たかった。どうしてだろうね。ずっと飛び出したかった。逃げ出したかった。狭い所に閉じ込められている気がしたの。こんなに広い家なのに。ここに引っ越してきてすぐに、この家の何もかもが嫌になっちゃった。古い台所やお手洗いとか、床の間が暗いのとか、重そうな屋根とか、廊下を歩くとき、ぎいっと鳴るのとか。もう何でもよ。そう・・・そういうマイナスの気持ちが起こるのは、宇津木のせいだとずっと思っていたわ。彼が暴君で我が儘で、私を嫌っているからと。私も、彼を嫌っているからと。でもね、彼が死んでもやっぱりこの家は何だか高圧的な気配がするのよ。嫌な感じが続いているの。この家の主人が死んでも、この家はぜんぜん変わらなかったの。それでわかったわ。家庭不和の原因は、宇津木じゃなくてこの建物にあったんだって。あの松の木と一緒。この敷地にあるものは、何かを感じさせるのよ。なんて言うか、この家には意志があるのよ」
(つづく)