東屋と母屋の間に落ちる雨
手を差し伸べて又 湯舟に沈まん
何をやっても落ち着かない日、というのがある。
窓の外を眺めても駄目。パソコンを開いても駄目。柔軟体操をしてみてもすぐに止め、コーヒーを淹れようと薬缶に水を溜めるが、結局気が変わり火にかけずじまい。思い切って屋外に出て街中を歩いてみても駄目。コンビニに立ち寄り菓子パンを買ったところが、全然食べたくなかったことに気づく始末。
音楽でも聴けば良いが、音楽を聴く気にもならない。部屋のどこに座り込んでも、数分で、まだ立ち上がっている方がマシな気分になる。こんな精神状態で、用もなく電話できる相手もいない。
何より落ち着かなくさせるのは、その原因が自分にあるからだ。
ああ。そうだ。まるでずっと、「自分が気に食わない」、「自分が気に食わない」、とつぶやいているようなものなのだ。
掻痒! 心の掻痒!
私は逃げようがないのです。と、花は答えた。
私はただ、ここで咲き続けるしかないのです。
あなた方に狂わされた日の光に照らされても
最後の水一滴が喉元から消えて去るまで
ただじっと微笑み続けるしかないのです。
それから静かに項垂れ、枯れ果てて
あなた方に踏まれる時を待つのです。
暑い。孤独だ。
五十になって、自分で選んだ自営業の道に孤独を感じるとは、今日が暑過ぎるせいだろう。
もっと同僚とふざけ合いたかった。
上司に叱られたり褒められたかった。
部下に恰好つけたかった。
いろいろな煩わしさを振り払ったがため、
発泡スチロールのようにすかすかな日々になってしまった。
やむを得ない。これも自分で選んだ道だ。
孤独と暑さのあまり事務所を飛び出し、近くの商店に飛び込む。
店という店が軒並みコンビニとモールに食いつぶされた中で、
辛うじて昔ながらの個人商店として続けている稀有な店だ。
百円のトマトをひっつかみ、金を払い、
事務所に帰ってかぶりつく。
ジュースのように分かり易い甘味はないが、旨い。かすかに大地の香りがする。
百円のトマトが、自分にはお似合いだ。
窓から七月の青い空を睨み、
少しだけ闘争心を取り戻す。
雨が重い。
今日という日の一つ一つを雨が黒く塗りつぶす。
青空に浮かぶ雲。
そよ風を感じる散歩。
賑わう街角。
あの人の笑顔。
雨はいつの間にか私の心の中にまで降りしきる。
もっと楽しかったころの記憶。
もっと自由だったはずの人生。
あの人の横顔。
窓辺の長い沈黙。
後悔と
孤独。
雨は無慈悲にすべてを冷たく濡らしていく。
それが雨の慈悲なのだ。
未明の清冽な空気の中きつく締める靴紐。
ポールが駐車場のアスファルトに当たる音。
山に足を踏み入れた瞬間の、腐葉土と全身が一体化するような感覚。
木立から次第に届く朝日。
鳥たちの絶え間ないさえずり。今日という日を懸命に生きる者のさえずり。
森の匂い。
・・・・・
・・・
山は、登り始めが一番好きだ。
なぜ世の中はこんなにもどんどん変わっていくのだろう。学生時代にポケベルを持たされたと思ったらやがて携帯を勧められ、ようやく携帯を使い慣れた頃に辺りを見渡せば、みんなスマホを握りしめていた。近所の商店が軒並みシャッターを降ろし始め、その理由がコンビニと郊外の大型店にあると気づいたときには、買い物はネットで済ます時代が到来していた。散歩するための用事がどんどんなくなってきている。人と会う必要もなくなってきた。こんな風に変わって欲しかったのか、みんな、と疑問に思う。誰に聞いても、あいまいな答えしか返ってこないだろう。自分たちの意志で変化してきたわけではないのだから。
おそらく、資本主義はそれ自体、社会的変化を強要するのだ。だってそうしないと儲からないから。常に古いものが廃れ、新しいものが流行らなければ、マネーは世界を巡り、誰かの懐に流れ込まないから。
だから、淘汰と革新こそが幸福への道だと、我々資本主義の申し子たちは、知らず知らずに洗脳されているのだ。
だが、人は本性として、安定と落ち着きを求める。動物は皆そうである。ここが、社会の構造と人間の本質が決定的に相いれない部分である。こんな便利な時代────新しいものがポンポン生まれる時代に、なぜ人々が不幸を感じ、情緒不安定になるのか、その主な要因がここにある。
と、言い切っていいのかはわからない。
鯛萬の井戸で水を汲み、誰かが鉢植えしたチューリップを眺めながら、ふとそんなことを考えた。
テレビで放映されたから登ってみたいという妻の世俗的欲望に付き合わされ、八坂村の大姥山を登る。番組では70代と元グラビアアイドルが実に気持ちよく登る姿が映し出されたらしいが、案の定、実際は直立する岩と鎖ばかりでなかなか難度の高い山であった。妻は70代と元アイドルが本当に登ったのかとぶつぶつ疑問を呈しながらも、何とか二人とも登りきった。
大穴と呼ばれる巨大な洞窟や、山頂の東屋から北アルプスの遠景を満喫した。
カレーうどんを作り、啜る。
何でも、大姥山は金太郎伝説の発祥の地らしい。立て看板曰く、大姥と八面大王との間にできた子供だとか。名前からして凄い両親を持ったものだ。昔は鎖とてなかったろうし、こんな峻険な山で育てば、金太郎もさぞかし強くなったろう。
初夏を思わせる陽気に、谷間の微風が心地よかった。木々の枝先は芽吹き、これから全山が新緑に覆われることを強く実感させた。
まだまだに 春で良かろと 山桜
できないことがあることは
ほんとに不幸なことかしら
できないことがあることは
希望を持てることであり
できないことがあることは
明日を想うことである
できないことがあることは
世界のあらゆる人々と
できないことがあるだけに
今の自分の存在を
できうる限りの真心で
どちらも尊ぶことである