「葛城の道」を歩く その14
九品寺を左折して葛城の道を進みます。
九品寺の石仏の数の多さを思い出しつつ、歩いて行きます。
この九品寺は、行基が開祖、空海が中興の祖、歴史を感じます。
しかもこの地は、空海が気に入った所です。
葛城の道は、歴史ある街道です。
ここにも石仏が・・・・・・ ここの村人の信仰の厚さが思われます。
遠くに大和三山が・・・・・・
葛城の道 ここは畦道を歩く感じです。
なにか塔が・・・・・・
見落としそうですが「番水の時計」です。これは利水のための時計があります。
今でも約40件の農家がこの時計の時間に合わせ取水をされているそうです。
ところどころに水路を堰止めて水の流れを調整されています。
塔の中には実際に時計があって(夏季だけ)、この地区の田の水は
この時計の指す時刻を基準にして分配されています。
時計を見ようと思って覘きましたが良くわかりません。
夏の間だけ時計があるようです。
番水の時計を見て次のポイントへと・・・・・
突き当たりを左折します。
民家の間を抜けて・・・・・・・
葛城の道を歩いて行きます。1人ですのでのどかな風景を楽しみながら・・・・・
突き当たりを左に山に向かって・・・・・
この先を右に・・・・
右に曲がると、また田園風景が・・・・
狭い道を歩いて行きます。
もう少し先に六地蔵が・・・・・・
やっと六地蔵に到着。これが六地蔵 ?
六地蔵石仏があるこの地区は櫛羅(くじら)と呼ばれています。
中世には、倶尸羅と書かれた。語源は「崩れ」であることから。
そして伝承によれば、六地蔵が彫られた大きな石も、室町時代に
土石流が発生し、現在の場所に流れ着いたと言われ、その大災害に対し、
村人は仏教の六道をもって衆生を救うという、仏法の精神に照らし
極楽浄土を願い、その頃に彫ったと伝えられています。
この地の六地蔵は特別な石仏ではなく、村人の強い信仰心から大きな石に
刻んだものと考えられいます。
向かって右から天上道(日光菩薩)人間道(除蓋障菩薩)修羅道(持地菩薩)
畜生道(宝印菩薩)餓鬼道(宝珠菩薩)地獄道(壇蛇菩薩)となっています。
石の刻みが少なくなりよくわかりません。
何か修復をほどかさないと消えていく運命かと心配になります。
このまま近鉄御所駅へと・・・・
反対方向は、葛城山ロープーウェイ乗場です。
とにかく下っていきます。
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