竹内街道(古市~野中寺) その2
竹内街道(たけのうちかいどう)は、堺から長尾まで
おっちゃんは長尾から堺に向かっています。
日本武尊白鳥陵を左に見ながら歩いていくと
案内図が出てきました。
案内では・・・
この中の地図は・・・
そして白鳥陵の説明
日本武尊白鳥陵に行くことに・・・正面から
適当にここを左と思い、左折
進んで行きます。
標識もなく不安になりながら、細い道を・・・・
左手に御陵が見えます。
元気になり・・・ この先を左に
見えた! 左折して進みます。
これは何の建物でしょうか・・・・
見えてきました。
宮内庁の白鳥陵の標識
これが、日本武尊白鳥陵です。
後ろが前方後円墳
石柱に日本武尊白鳥陵と・・・
日本書紀には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、大和朝廷全国統一のために天皇の命令を受け
西方と東方に遠征、勝利を収めその帰途、能褒野(のぼの)(現在の亀山市)で没した。日本武尊は
白鳥に姿を変え、大和に向かって飛び立ち、琴弾原(ことひきのはら)(現在の御所市)に降り立った。
再び飛び立ち、河内の旧市邑(ふるいちむら)(現在の羽曳野市)に舞い降り、ついに、埴生野の空を向
かって羽を曳くように飛び去ったとの白鳥伝説。この3か所とも白鳥陵と呼ばれています。
そして羽曳野市の由来となった古墳です。
目的の白鳥陵を見られて満足と・・・
元の道へと・・・
進んで行き
この先が竹内街道です。
竹内街道を進んで行きます。
歩いていくと
趣のある家が・・・
木戸
焼き杉でしょうか・・・外壁に使って・・・
歴史を感じますね。
ここにも小さな神社が・・・
これは・・・軽羽迦神社(かるはかじんじゃ)。この辺は昔、軽墓村で昭和初めに軽里になったとか。
境内に入り
参拝して・・・・
竹内街道(たけのうちかいどう)は、堺から長尾まで
おっちゃんは長尾から堺に向かっています。
日本武尊白鳥陵を左に見ながら歩いていくと
案内図が出てきました。
案内では・・・
この中の地図は・・・
そして白鳥陵の説明
日本武尊白鳥陵に行くことに・・・正面から
適当にここを左と思い、左折
進んで行きます。
標識もなく不安になりながら、細い道を・・・・
左手に御陵が見えます。
元気になり・・・ この先を左に
見えた! 左折して進みます。
これは何の建物でしょうか・・・・
見えてきました。
宮内庁の白鳥陵の標識
これが、日本武尊白鳥陵です。
後ろが前方後円墳
石柱に日本武尊白鳥陵と・・・
日本書紀には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、大和朝廷全国統一のために天皇の命令を受け
西方と東方に遠征、勝利を収めその帰途、能褒野(のぼの)(現在の亀山市)で没した。日本武尊は
白鳥に姿を変え、大和に向かって飛び立ち、琴弾原(ことひきのはら)(現在の御所市)に降り立った。
再び飛び立ち、河内の旧市邑(ふるいちむら)(現在の羽曳野市)に舞い降り、ついに、埴生野の空を向
かって羽を曳くように飛び去ったとの白鳥伝説。この3か所とも白鳥陵と呼ばれています。
そして羽曳野市の由来となった古墳です。
目的の白鳥陵を見られて満足と・・・
元の道へと・・・
進んで行き
この先が竹内街道です。
竹内街道を進んで行きます。
歩いていくと
趣のある家が・・・
木戸
焼き杉でしょうか・・・外壁に使って・・・
歴史を感じますね。
ここにも小さな神社が・・・
これは・・・軽羽迦神社(かるはかじんじゃ)。この辺は昔、軽墓村で昭和初めに軽里になったとか。
境内に入り
参拝して・・・・
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