おっちゃんの四季通信

山のこと、花のこと、海のこと、思いつくまま

里山好きなおっちゃんが、四季を発信します!!

喜志駅から平石峠を越えて その9

2016-11-08 21:21:08 | ハイキング
喜志駅から平石峠を越えて その9
推古天皇陵、二子塚古墳を見て・・・
いよいよ小野妹子の墓まで歩いて来ました。
歴史の教科書でも有名でしたね。
その前に、科長神社(しながじんじゃ)を
参拝しようと・・・・
科長神社(しながじんじゃ)の手水舎が見えてきました。
真中にある階段の上が小野妹子の墓があります。

まず科長神社へと手水舎で清めて

鳥居へと・・・

拝殿が見えてきました。科長神社は太子町で唯一の延喜式内社で創建は詳しくわからないとのことですが、
元は二上山にあったものを、この地に遷座したとされています。

金平大明神と・・・・

お稲荷さんのようで、参拝して・・・

本殿へと・・・・

科長神社は、弉諾尊(いざなぎのみこと)の子である級長津彦命(しながつひこのみこと)と
級長津姫命(しながつひめのみこと)をはじめ、八神を合祀している。このため、俗に八社(はっしゃ)大明神と
呼ばれています。また、この神社の周囲に8つの峰があり、各峰のの神々を祀ってきたという俗信から、
八所明神とも呼ばれています。

本殿を参拝して・・・

絵馬ならぬ、「二礼 二拍 一礼」 と

小野妹子の墓へと・・・

鳥居をくぐり、左の階段へ・・・・

太子町の観光案内地図があります。

いよいよ小野妹子の墓へと・・・

100段あるといわれる階段を上がって行きます。

どんどん・・・

小野妹子の石標です。

階段が・・・

続いて、上がると

大きな木が・・・

これが小野妹子の墓です。滋賀県大津市の小野妹子公園そばの唐臼山古墳という説もありますが・・・。
おっちゃんは、このお墓が小野妹子の墓お墓と思いますが・・・推古天皇の御陵、聖徳太子の御廟からも近いのでと。

歴史で習った小野妹子は、推古天皇の時代に(中国が隋の時代)遣隋使として、派遣された人物で有名です。
小野妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、
華道の池坊流の起こりになったとされることから、このお墓は池坊によって管理されています。

階段を上り・・・

お墓・・・  古墳のようですが・・・

お参りして・・・ 

実は、おっちゃんは、推古天皇陵でデジカメの電池を入れ替えたために・・・
ザックから取り出したので、その時にスマホを忘れてわざわざ追いかけて
いただいて、名前も名乗らず渡していただいて、感謝、感謝です。

階段を下りて・・・

ここで別れましたが、よく考えれば名前をお聞きして謝礼をすべきだったと
後悔の念に・・・・

次は高貴寺の方へと

ここから左へ進みます。


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史は無知 (あんと)
2016-11-08 22:22:31
ですが、最近 軽い山道歩きに興味が出てきました。このブログを初めて見て山科 毘沙門堂から永観堂に抜ける道をご存じかも?と思い失礼を承知でコメントをさせてもらいました。あ、これはコメントじゃないですよね(-_-;)
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山歩き (おっちゃん)
2016-11-09 22:27:56
あんとさん
初めまして、おつちゃんは最近は里山や
街道歩きが好きで歩いています。
今日とも昔はよく歩きました。
今の時期永観堂の紅葉はいいですね。
山科 毘沙門堂から永観堂については直接は知りませんが、大文字山でご回答になるかわかりませんがコメント入れました。今後ともよろしく!(^^)!

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