別所温泉手前の閑静な山際にある八木沢天満宮
ここには江戸時代中期(1732年)に建立された義仲の古碑がある
脇に立てられた説明書きによると
建立した者は手塚光盛の子孫ということで2度移設されてここに落ち着いている
古碑はかなり風化されているが隣に並んだ祠は輪郭明瞭でそんなに古くはなさそうだ
側面には手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が、裏には手塚光盛の名が刻まれている
江戸時代中期の建立とはいえ義仲没後500年以上も経っている
確たる文献的証拠はないものの口伝として
木曽義仲や手塚光盛とこの地との縁について綿々と語り継がれてきたことだろう
手塚地区の無量寺には空海が柳の木の根元から彫ったという「元木の地蔵」があり光盛の守り本尊だったという説もあるが
寺自体は戦国時代の建立ということだ
その近くの手塚八幡社には戦勝祈願したのだろうか?
三つ盛亀甲紋
無量寺
手塚八幡社
ここには江戸時代中期(1732年)に建立された義仲の古碑がある
脇に立てられた説明書きによると
建立した者は手塚光盛の子孫ということで2度移設されてここに落ち着いている
古碑はかなり風化されているが隣に並んだ祠は輪郭明瞭でそんなに古くはなさそうだ
側面には手塚家の家紋「三つ盛亀甲紋」が、裏には手塚光盛の名が刻まれている
江戸時代中期の建立とはいえ義仲没後500年以上も経っている
確たる文献的証拠はないものの口伝として
木曽義仲や手塚光盛とこの地との縁について綿々と語り継がれてきたことだろう
手塚地区の無量寺には空海が柳の木の根元から彫ったという「元木の地蔵」があり光盛の守り本尊だったという説もあるが
寺自体は戦国時代の建立ということだ
その近くの手塚八幡社には戦勝祈願したのだろうか?
三つ盛亀甲紋
無量寺
手塚八幡社