バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

木曽義仲ゆかりの地:槻井泉神社

2021-09-14 22:20:18 | 木曽義仲
義仲の嫡男は清水冠者義高と言われている
信濃で勢力を広げてきた義仲が頼朝と険悪な雰囲気になったとき
義仲は他意はないと11歳の義高を頼朝の長女大姫の婿という名目で海野幸氏、望月重孝等を伴って鎌倉へ送って一件落着
要するに人質だ

二人は仲睦ましく暮らしていたが
最終的に義仲が討たれたことで義高の立場が悪化した
復讐を恐れた頼朝に誅殺されることを察して逃げたが結局入間川辺りで討たれてしまった
それを知った大姫は嘆き悲しみ病の床に伏してしまった
母親の(北条)政子はそれは義高を討ったせいだと頼朝に迫り
討った内藤光澄を晒し首にした

そんな悲劇の義高が生まれ育ったという清水丸館はこの槻井泉神社の辺りにあったとも言われている
傍らにはこんこんと湧水が沸いていて地名はそのまま清水だ
上水道のない時代において湧き水の豊富な場所は一等地だったのだろう
この泉水を義高の産湯に使ったのかも知れない

また館はここから少し離れた地蔵清水の辺りとも言われているがそこは後日触れよう
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