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保元の乱の痕跡を辿る 後編

2018-04-13 | ぶらぶら
力水で元気回復したところで、後半を歩き始めました。



東山丸太町交差点から西へ数分歩くと、
ああ懐かしや我が母校京都大学(ウソ)の熊野寮に差し掛かります。



その熊野寮内の北西角に目的とするものがありました。

 

「 此附近 白河北殿跡 」 とあります。
保元の乱の前夜、崇徳院、摂関家の藤原頼長、源為義・為朝父子をはじめとする武士たちは
ここ白河北殿に入り、源為義は後白河天皇側に夜討ちを掛けようと進言しますが、
朝廷でちょっと浮いた存在の堅物な左大臣藤原頼長は無礼な策だと却下します。
そうこうする内、逆に後白河天皇側から夜討ちを掛けられ、武士たちは勇敢に戦いますが、
わずか4時間ほどの戦闘の後、屋敷に火を放たれ勝負が決します。

今はその面影は微塵にもありませんが、
現代において、かつて学生運動の中核派の活動拠点とされた場所だったというのは
何か因縁めいたものを想わずにはいられません。



白河北殿跡から更に西に向かい、丸太町橋で再び鴨川を渡り洛中へ入ります。



次に向かう白峯神宮はここから北西方向なので、京都御苑を横切って向かいます。
相変わらず広いです(当たり前やけど)。 御所が霞んで見えます。



幕末の悲劇の舞台、蛤御門から京都御苑を出て・・・



白峯神宮までやって来ました。

幕末の動乱期、王政復古の機運が高まる中、長く武家の政治が続いたのは崇徳院の祟りであると
考えた孝明天皇は、崇徳院の霊を慰めるためこの神宮の造営を命じたが、完成を見ずして崩御。
その遺志を継いだ明治天皇が、讃岐五色台の白峯陵から御霊を移して創建しました。



なかなか趣きのある境内・・・と思いきや σ(^_^;)?





この地は、蹴鞠の宗家であった堂上家の屋敷の跡地こ建てられており、
精大明神(まり精大明神)という、球技・スポーツ芸能上達の神さまも祀られています。
全体としては崇徳院どこ吹く風、まさに球技上達祈願の神社という雰囲気に満たされています。



もっと厳かで、おどろおどろしい空気を期待していたんですが、ちょっとがっかり・・・

 

お供えも球技であればなんでもあり w(*゚o゚*)w
野球、バレー、サッカー、ラグビーはもとより、ゴルフ、卓球、ボウリング・・・
ゲートボールまであったのには思わず笑ろてもうたがな (^▽^;)



そして肝心の崇徳院といえば、境内の片隅にひっそりと碑が建っています。
勿論、本殿には祀られているのでしょうが・・・



そして、その隣には崇徳院のために(自らの地位向上のため? 武士の地位向上のため??) に勇敢に戦った
源為朝を祀る社がありますが、彼は弓矢の名手だったため、弓道上達の神として祀られています (~_~;)

な~んか、ちょっと虚しい気持ちを残しながら白峯神宮をあとにしました。



堀川通に出て、堀川疎水端を南に向かいます。





遅咲きの八重桜が目を楽しませてくれます。



二条城の東大手門を過ぎると、最後の目的地はもうすぐそこです。



「 高松神明神社 」
姉小路通の商店と民家が密集した街中に、ひっそりとそれはありました。



「 此附近 高松殿跡 」 とあります。
こちらは後白河天皇側の本陣となった場所で、ここに摂関家の藤原忠通(頼長の兄)や
武士団の平清盛や源義朝(後に平治の乱で争うことになるのだが、この頃は仲良し?)らが集結し、
ここから崇徳院本陣の白河北殿に攻め入ったわけです。



今では間口4間ほどの細長い神社になっていて、往時の様子はひとかけらも残っていません。

つまらぬ噂により父の鳥羽法皇から嫌われ、ことごとく直系天皇の即位を阻まれ、
挙句の果ては鳥羽法皇崩御の後、後白河天皇から謀反の意ありと難癖つけられ、保元の乱で敗北。
讃岐に流配になったまま都には帰れず、当地で崩御。
一説では悔しさのあまり、自ら舌をかみ切って果てたとの説も・・・

「 彼の科を救はんと思ふ莫太の行業を併三悪道に投こみ、
其力を以て日本国の大魔縁となり、皇を取て民となし、民を皇となさん 」
自ら流した血で、こう書き残して死んでいった崇徳院。不遇であったと片づけるにはあまりに不憫。

私的に想うに保元の乱とは・・・
権力の座はいつの世も人を引き付けてやみません。
まして、上皇、法皇ともなれば、天皇では持てなかった荘園の私的所有も許され、
富と権力がダブルで手に入るわけですから、その座を巡っての骨肉の争いが起こるのも必然。
その争いを利用して地位向上を図る公家や摂関家、
武士たちが数々の思惑を巡らすのも、これもまた必然でしょう。
人の業が渦巻く中で起こるべくして起こった争いではなかったのでしょうか。

とは言え、僕は讃岐の生まれだけに崇徳院擁護派なんで、
鳥羽法皇、後白河天皇が悪人に思えてなりませんが・・・(^▽^;)

長々と、ぐだぐだ言いましたが、



三条通に出てレトロな京都文化博物館の前を通り、



いつも賑やかな三条通商店街を抜けて、



三条大橋で本日三度目の鴨川越えて、お京阪で帰路に着きました。

ああ楽しかった! いい勉強になった!! けどちょっと疲れた・・・

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