説教者:宮崎 健男 牧師
聖書箇所:新約聖書ヘブル人への手紙 11章6節
「出発信仰」というテーマの下で夏季聖会がありました。この夏の聖会のことをお証ししたいと思います。聖会は恵まれました。若い講師の方だったので、若い方が増加してきています。ヘブル人への手紙11章6節にあるように、たとえ優れた聖歌隊があっても、立派な教会堂があっても、神様への信仰がなければ、神様に喜ばれませんとあります。それは神様を信ずる人たちが教会にいるということです。神様がおられるという信仰がまず必要。次に神に求める者には、報いてくださることを信ずる信仰も必要です。悪魔、悪霊でさえ神様おられることを信じている、ふるえおののいている。やがて永遠の裁き、滅びに入ることを知っている。そのことだけの信仰では喜ばれない。神様は求める者には報いてくださることの信仰が必要。「神仏を尊び、神仏に頼らず」という信仰のあり方が日本古来の美徳とされてきました。しかし聖書の神様は、勿論神様を尊敬し崇めることは大切だが、神様に全部頼る信仰を喜ばれる。
詩篇23篇はダビデ王が神様への信仰を見事に告白している。神様は私の羊飼いです。どんなときにも乏しいことはありませんという信頼。個人的に神様に信頼を寄せていても、本当に困ったときに神様は頼りにならないという思いが生ずる。それは悪魔の働き。羊は非常に愚かで、迷いやすく従わない動物である。イェス様は、ご自身を良い羊飼いであると自己紹介しておられる。羊は神様から離れ、危険な目に遭うが、羊飼いである神様は、決して見捨てず、守ってくださる。御心を知り、完全に歩むことはできないが、ダビデ王様でも、いろんな経験をもってしても、失敗した。しかし神様は情け深く哀れみ深く、敵の前でも食事を整え、油を注いで、敗北することなく勝利をして乗り越えさせてくださったとある。神様に信頼しておゆだねしていけば、聖霊様のお働きによって、勝利の奇跡を起こしていくことができます。
(文責:三浦)
聖書箇所:新約聖書ヘブル人への手紙 11章6節
「出発信仰」というテーマの下で夏季聖会がありました。この夏の聖会のことをお証ししたいと思います。聖会は恵まれました。若い講師の方だったので、若い方が増加してきています。ヘブル人への手紙11章6節にあるように、たとえ優れた聖歌隊があっても、立派な教会堂があっても、神様への信仰がなければ、神様に喜ばれませんとあります。それは神様を信ずる人たちが教会にいるということです。神様がおられるという信仰がまず必要。次に神に求める者には、報いてくださることを信ずる信仰も必要です。悪魔、悪霊でさえ神様おられることを信じている、ふるえおののいている。やがて永遠の裁き、滅びに入ることを知っている。そのことだけの信仰では喜ばれない。神様は求める者には報いてくださることの信仰が必要。「神仏を尊び、神仏に頼らず」という信仰のあり方が日本古来の美徳とされてきました。しかし聖書の神様は、勿論神様を尊敬し崇めることは大切だが、神様に全部頼る信仰を喜ばれる。
詩篇23篇はダビデ王が神様への信仰を見事に告白している。神様は私の羊飼いです。どんなときにも乏しいことはありませんという信頼。個人的に神様に信頼を寄せていても、本当に困ったときに神様は頼りにならないという思いが生ずる。それは悪魔の働き。羊は非常に愚かで、迷いやすく従わない動物である。イェス様は、ご自身を良い羊飼いであると自己紹介しておられる。羊は神様から離れ、危険な目に遭うが、羊飼いである神様は、決して見捨てず、守ってくださる。御心を知り、完全に歩むことはできないが、ダビデ王様でも、いろんな経験をもってしても、失敗した。しかし神様は情け深く哀れみ深く、敵の前でも食事を整え、油を注いで、敗北することなく勝利をして乗り越えさせてくださったとある。神様に信頼しておゆだねしていけば、聖霊様のお働きによって、勝利の奇跡を起こしていくことができます。
(文責:三浦)