大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
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礼拝メッセージ 『十字架の奥義』 (2007・4・1)

2007-04-16 11:07:23 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎 健男 牧師
説教箇所:新約聖書 Ⅰヨハネ 4章9~10節

神様の本当の真理でなければ私たちに何の力も与えず何の喜びももたらさない。
しかし本当の真理だから頼ることができどんな時にも委ねることができる。
神は愛である。神様の愛はどんなに広く高いものか、神の愛を知れば知るほど、
頼りがいのあるお方であることを知るようになる。
神の愛とは、御子を私たちのために遣わし、その方によって私たちにいのちを得させようとさせられたことをいう。(Ⅰヨハネ4:9~10)
イエス様は30歳になるまで貧しい家庭にあって両親に仕え兄弟姉妹を助けられた。
30歳になると公生涯に入られた。まず郷里ガリラヤの会堂で
イザヤ書(イザヤ61章1節)の記事を読まれ、イエス様による救いの預言の
成就を人々に説かれた。ところが郷里の人々はイエス様をがけから
突き落とそうとした。イエス様は、その3年半の後十字架にかけられた。
それは滅びに向かっている私たちの罪のために、代わりに命を捧げられ贖って
くださった。滅びに向かう私たちに命を得させるためであった。
金沢フィラデルフィア教会に杉山貴子姉妹がおられる。
彼女は静岡三島の出身で紡績女工として若い頃働いていた。
灰じんを吸い肋膜炎にかかってしまい、家で過ごすようになった。
希望もなく寂しく窓から眺めていると「貴ちゃんは死ぬずらよ」と陰口をたたかれた。
友達の看護師さんがクリスチャンで集会に連れていってもらった。
ちょうど癒しの賜物をもつ先生に祈ってもらい、それ以来徐々に癒されていった。
しかし教会で「イエス様の血潮で罪赦された」と喜ぶ人を見ても、
自分には分からなかった。ところがある日、彼女が道を歩いていると
「イエス・キリストの血が汝の全ての罪を清む」という聖書の御言葉が急に入ってきた。全然知らない人に挨拶して回るほど喜びが沸き起こってきたという。それは聖霊様のお働き。聖霊というもう一人の助け主が来られてあらゆる真理に導いてくださるとイエス様は教えられた。私たちは聖霊様のお働きでイエス様を信じ、御言葉を信じることができる。恵まれたという喜び体験は一時的なもの。信仰による歩みは、つらい重いのが通常。しかし神様に従っていくならば、信仰が成長していく、証しすることができるようになる。試練に感ずる時は、恵みをいただいたことを思い出すようにする。朝に夕に祈っても何も感じず、神に見捨てられたと感ずる時もある。しかし御言葉はいつも変わらない。御言葉に望みをおいていく。私はカナダの宣教師に導かれた。宣教師は聖書を開くことさえ戦いと感ずることがあると言われた。宣教師でさえそのような状況。
御言葉に立って御言葉を喜ぶようにしましょう。
(文責:三浦)
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