大佐和キリスト教会

千葉県富津市・大佐和キリスト教会ブログ
当教会は正統なプロテスタント教会です

礼拝メッセージ 『愛が必要な時代』 (2006・7・9)

2006-07-17 20:33:16 | 今週のメッセージ
説教者:宮崎一実伝道師 
説教箇所:新約聖書Ⅰヨハネの手紙 4章7節~21節

1・愛の出発点
自分に与えられている賜物を知り、神様から自分の人生に与えられているテーマを考えることがあると思う。ある人は自分の人生は試練の連続と思え、テーマを「試練と神の憐れみ」とつけるかもしれない。そういう人は、同じ試練に遭っている人に、ケアをすることができる。私は、まもなく人生の半分にさしかかろうかと思うとき、私のテーマは、「愛」なのかと考える。人一倍愛されていると思えるからである。
自分の名前「一実」は、宣教師の先生によって、ガラテヤ5章に記されている御霊の実から付けられている。「First Fruit」= 第一の実=愛である。
私は神にも人にも愛を受けて生かされている。だからこの愛を流していかなければ
いけないと思う。愛が分からねば神様は分からない。
なぜなら神は愛であるから。

2・愛の本質
愛は、犠牲の上に成り立っている。それだけに大きいもの。
神が愛であり、愛が神であるから、生命を捨てるまでの大きな愛の本質を持っている。
だから互いに愛し合いましょう。愛し合うことは、難しい。
心の底から愛している人でも、ちょっとしたきっかけで、死ぬほど憎くなる。

3・神と愛
「互いに愛し合いなさい」は、神様からのご命令。
私たちに神の愛が与えられているなら、私たちが互いに愛し合うことは完璧にできる。
神の愛は制限も限度も無いから、神の愛が流れている、それを持って愛するなら
欠けることなく愛することができる。

4・愛のもたらすもの
神は私たちを愛するがゆえに、御霊を与えてくださる。
御霊が内住することで神様がおられることを知ることができる。
イェス様を信じ、イェス様が神の御子であることを口で告白するなら救われる。
私たちは溢れる愛に決して無関心であってはいけない。
当たり前に愛されることを無意識になりがち。
お母さんお父さんに愛されているにもかかわらず、
子どもが、親を殺し、逆に親が子どもを殺す事件が起こっている。
自分が愛されていることをちゃんと意識しなさい。
神様の愛が注がれていることを自覚しなければならない。

5・キリストの命令=愛し合う
(1)神を愛すること
(2)自分を愛する如く、隣人を愛すること。

本当に心のそこから互いに愛し合うことこそ、神の愛を全うすること。
神の愛を得るならば、互いに愛し合うことができる。
愛は恐れを消し去る。たとえ何かあって、死ぬことがあっても、
永遠の命が与えられているのならば、死の恐れすらなくなる。
イェス様は、私たちに愛し合うことを、教えられた。
イェス様がまず愛してくださった。イェス様の愛は、
愛してくれる人だけ愛するのではなく、全ての人を愛された。     

まとめ
そこにいるだけで、愛が溢れるようなクリスチャンでなければ、世の中は良くならない。愛を流していくならば、必ず世の中は変わっていくはず。
第一は、神に愛され人に愛されているという自覚を持つことである。
第二は、どれほど自分が大切であるかを知り、愛を行うことである。
(文責:三浦)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 礼拝メッセージ 『 講解説教... | トップ | 礼拝メッセージ 『主イェス... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

今週のメッセージ」カテゴリの最新記事