アジアの魂を清く逞しく結集させよ
--タイのめざましい躍進--
自書●「改訂 日本海時代の首都実現に燃えて」
【25】
--それでも私はなぜ出馬するのか-- 西川攻著
6・アジアの魂を清く逞しく結集させよ
--タイのめざましい躍進--
欧・米・露によってアジア諸国が分断された歴史事実は、忘れてはなりません。
アジアが侵略され、植民地化され、果ては日本に(広島・長崎に)原爆が投下されるに至りました。
アジアの戦禍の悲惨さは自ら招いたものではなく、欧・米・露の操作に振り回された感じがしてなりません。
その辺の歴史的事実を再分析し真実に基づく実体を把握し、日本は法と正義を国際社会の中に貫き毅然として之を実行してゆかなければなりません。
今年で敗戦から67年目、主権奪還が急がれます。
とりわけ北方四島は、強奪されたまま、いまだに返還されてないとは言語道断という他ありません。
この解決こそ戦後政治の総決算そのものと考えております。
「東洋の徳・西洋の芸(技術)」と言われ、日本は黙々と西洋の技術力を習得し、更に微にいり細際に亘りそのものに更に創意工夫を凝らし、遂に今日、自動車やエクスを代表としてして完成したあらゆる製品の精巧さは、西洋の技術を遥かに凌ぐまでに至っております。
茲で日本はアジアに対し、世界に対しどのような心組みを持っていくかは極めて重要なことです。
日本は古来より農耕民族であります。もともと争いを望まない伝統が一貫して流れており、今日の平和国家日本の姿は本来の日本の姿そのものなのです。
軍事力の脅威から軍事力整備を図るアジアの同胞に対し、何らかの転換を提案するにふさわしいだけの信頼ある国になるよう努力を惜しんではなりません。
アジア諸国には内乱やク-デタ-などの現象がありますが、之は国の自立に向けて避けて通れない因果関係の経過であり、あまり深入りすべきではありません。
日本が幕末に勤皇・佐幕にわかれ、ともに価値観を競う争いをしたと同様に、国としての試練であり、言わば産む苦しみの陣痛といえるものであります。
従って、余計な干渉は実質的に見た場合、あまりにも尊大な対応であり、その国の歴史の重みに反する行為になり兼ねません。
但し、その国が他国の陰謀などにより唆されている面が強いとしたら、之は断固として平和国家日本が介入すべきであり、その勇気を日本が持てることが出来るか否かが、今後世界に試される場面が多くなることも考えられます。
その意味において日本は、アジア人同士が結束の絆を強めるために最善の努力を続けるべきです。
アジアは一つであり、東洋の道徳の下にアジアの魂を清く逞しく結集させる必要があります。
ただその弊害となっている第2次世界大戦中の日本軍によって侵犯された朝鮮・中国を主体とする人々の損害賠償問題があちこちで話題になっており、之が何時までも日本の軍事大国化への警戒を強めています。
過去の償いは償いとしてとして、調査の上しかるべく応えていかなければなりません。
然し問題は今後、如何にアジアの繁栄と信頼を高める方向に全ての力点を各国の各分野(マスコミを主として)の関係者も置くべきであり、ことさら償い問題だけが突出して之だけが全てに優先する最重要課題の如く扱う風潮は哀しいしいことです。
戦争そのものを憎み、それに追い込んだ当時の国際情勢にこそ問題があるとの原点に戻って考えるべきです。
いずれにしろ、今、アジアは確実に大きく進歩していること事実です。
とりわけ、タイの如く既に東南アジア大陸部に於ける援助国の中心になることをめざし、ラオス・ミヤンマ-・カンボジアに対し既に援助の手を差し伸べるまでに成長しています。
タイの如く日本に次ぐアジアの国々の努力は必ず報いられることを考えると、日本はもっともっとアジアの飛躍のチャンスの柱となりうるような諸施策を考え実現に取り組む覚悟が必要です。
アジアを正しく躍進させる使命を教育立国をめざす日本は十字架を背負う気持ちで果たさなければなりません。
同時に私たちは日本人であること、アジア人であることにもっと誇りを持つべきです。
その辺の勉強があまりにも足らない気がします。
ついに歴史的残滓になった西洋かぶれからはサヨナラできない輩は、時には徳の修行でも試みることです。
平成24年3月16日
西川攻(さいかわおさむ)でした。