刻一刻と別れが近づくに従って・・・。
西川攻(さいかわおさむ)の
短編小説シリーズ第一弾
「愛憎の限界」
--サヨナラした日--
夕刻の上野公園にて
西郷さんの銅像を落ち葉散る晩秋の日差しが眩しく照らしていた。
「おまえも之しか方法が無いことを得心できたのか」
「はい、今度お会いするために、これからが正念場ね、龍太郎さん、私、力をつけます。」
負けん気の強い龍太郎と気丈な蘭子ではあったが、いまその眼には人ごみを歯牙にもかけない
大粒の涙がこみ上げいまに零れ落ちそうだった。
そのとき、別れを目前にした若い二人の悲しみを奏でるように
枯れ葉がヒラヒラと舞い、蘭子の涙で濡れた頬と嗚咽で震えるコ-トの肩に落ちた。
話は暖春にさかのぼる
明日また会えるにもかかわらず片時も離れたくない、別れたくない、互いに唯一無二を感じ合う間柄の龍太郎と蘭子であった。
日常は、ともに、法学部で司法試験に合格すべく日々研究室で猛勉強を第一義として実践していた。
およそミ-ハ-の片鱗もない向学心に燃えたぎる大学生であった。
初デ-トの夜の日比谷公園で二人っきりになった途端、
前日決断はしていたものの、龍太郎の愛撫を予感してか、純情一途だった蘭子は震えていた。
そして肩を抱き寄せようとした行為に及んだとき明らかに拒絶反応を示した。
今まで一度たりとも女性に拒まれた経験がなかった龍太郎は、之に戸惑い、激怒し、
「何だ、お前は娼婦なのか!今まで真剣に話し合って築いてきた僕たちの心の絆は嘘なのか」
「心が通じあっていれば体を抱くことはその因果関係の経過として至極自然な美しく健全な流れだ、」
「純粋が故の僕を拒むのか。」
「真理に背き体のみに価値や損得を置くようなお前の態度は商売女の専売特許だ、
そんな女は今の僕には必要ない」
1ヵ月後
蘭子が家路に向かうため電車の改札口に近づいたとき、
見送る龍太郎は例によって「今夜は、じゃ、な」と別れの挨拶をした。」
「・・。」
戻ろうとした彼にとっさに長身で長い黒髪の蘭子が思い切り龍太郎の体を渾身の力で抱きしめ、
身動きできなくなった龍太郎の唇を奪い吸い付いて離れない。
さながら映画の3分間濃厚キスシ―ンが展開されたわけだ。
御茶ノ水駅の最終近い時間帯でごった返す中、花見客と思われる
ほろ酔い気分の集団がしばし立ち止まり異口同音、大声で驚愕
「びっくりしたな-! もおっ」
を発し次つぎに通り過ぎる。
蘭子を見送ってから、改札口での蘭子の大胆な変身振りに
「成長したものだ、決して心に背かない力強い人間になったものだ。
然し、あそこまでやらなくとも・・・。」
おもわず苦笑する龍太郎であった。
一心同体となった後の、
若さは同棲に進んだものの両家両親の反対にとうとう抗し切れず蘭子はバイトにも見切りをつけ、
家に連れ戻されることとなった。
「力不足の私を許してください。
龍太郎さんにこれ以上ご迷惑はかけられません、
司試合格祈ってます。」
の置手紙の一字一字の背景には、
”四面楚歌になる実家には帰りたくない、
龍太郎さん、蘭子を助けて!”
と読み解いた龍太郎は「何とかしなければ」と思った。
両親に隠れて涙で書き綴った5通のラブレタ-は大学には届いてはいたものの
開封されないままになっていた。
5階の司法研究室の龍太郎の手元には20日経過してから届いた。
二人のボタンのかけ違いの始まりである。
最後に投函したと思われる手紙には、
本来の蘭子にあるまじき疑念と憎しみが文脈にちらついていた。
「私にとって,龍太郎さんてほんとうに必要な人なのかな、
なぜ連絡して下さらないのですか、
龍太郎さんは去るものは追わず主義だからそれをよいことに連絡をなされなかったのですか・・・。」
手紙を一気に読み終えた龍太郎は
「僕が蘭子に抱いている気持ちは、
そんな軽いものではないことを彼女は一番知っているはずなのに」
龍太郎は少し苛立ちながら呟いた。
別れて1ヶ月目にして蘭子の手紙に記してあった番号に龍太郎がかけた
電話の声を聴くや否や蘭子は、
「龍太郎さん、龍太郎さん,龍太郎さん」を繰り返すだけの涙声は震え、
言葉にならないほどだった。
龍太郎はこのままだと危ない一刻も早く逢いに行かなければと思った。
「龍太郎さん!]
『・・・・。』
二人の抱擁に入り込む言葉も会話する余地などはあろう筈がなかった。
漸く蘭子の実家近くでの夜の密会は1週間を重ねた。
人目を避けるようにして・・・。
しかし、このような関係が長く続く筈がなかった。
蘭子は大学には休学届を出し親戚で唯一の理解者である伯母の下で新たな生活をすべく準備を進めていた。
龍太郎は司法試験合格に向けて一心不乱の勉強が軌道にのってきた。
再び上野公園
「おたがいに力をつけもっとたくましい人間になることが先決だ!」
「龍太郎さん、ネッ、ネッ、龍太郎さん、これは二人の間で交わした憲法ね!」
今日別れる運命を納得させるための敢えて強気な会話の内容が
けなげさと痛々しさを一層かもしだしていた。
伯母の家に行く電車の時刻が刻一刻と近づくに従って、「・・・・。」「・・・・。」沈黙が続いた。
「離れたくない、別れたくない」と胸の痛みに耐えている若い二人にはもう言葉は未練がましくなるだけで不要であった。
「蘭子!元気でがんばれ!じゃここで別れよう」
走り出す龍太郎、
「ちょと待って、龍太郎さん,龍太郎さん」
と腕時計を見ながら追いかける蘭子、
土曜の夕方で賑やう上野駅周辺の雑踏の中に一人一人ばらばらになり
掻き消された二人は、はぐれたまま会うことはなかった。
懐中時計を取り出して見やる
「もう発車したな・・・。笑顔でホ-ムまで見送るべきだったかもしれない」
龍太郎は蘭子のぬくもりが残る西郷さんの前から去り難かった
「蘭子、よくつくしてくれた」,
もう本当に逢えなくなるかもしれないと思い始めると、
今までの蘭子の優しさと愛しさが走馬灯の如く頭をよぎり、耐え切れず、おもわず、言葉が口をついてでた。
「蘭子、蘭子、サヨナラ・・・・。」
龍太郎の目から明らかに涙が秋の夕日に照らし出されていた。
「女のために泣くなんて、蘭子の尽くした僕に対する無数の行為に報いるだけの男になって見せる、いまにみておれ!」
龍太郎は西郷さんを見上げ新たな闘志を奮い立たせた。
晩秋の枯れ葉が一枚、龍太郎の右の頬に舞い散った、
龍太郎はそれを左手で捉え、ジ-ト見詰め、そのまま左のポッケットに忍ばせた・・・。
一瞬、木枯らしが吹くと、それを待っていたように無数の枯れ葉が、カサカサと舞い散った・・・。
薄暗くなったそこには、すでに、龍太郎の姿も、蘭子の姿もなかった。
終わり
平成24年3月1日
西川攻(さいかわおさむ)でした。