思い出

2009年03月15日 23時59分59秒 | 一期一会

 

学校によって、また、専門によって、異なることであろうが、大学院も博士後期課程になると、いわゆる授業(講義)というものはない。
私的な研究会やら学会雑務やらは別として、学部での「授業」に相当する公的なものとしては、週に一度、「研究指導」があるだけだ。
人数もまちまちだが、一般に十数人から数人というところだろう。修士の学生や非常勤講師の先輩が非公式に参加する場合もあるが、指導教授一人に対して学生も一人、ということもある。実際、そうなったことがある。

一週間、ただひたすら勉強して、少しでも研究を進める。そして週に一度、研究室を訪れ、指導教授の前で、一対一で、発表し、質疑を受け、指導してもらう。そんな生活を続けた年もあった。

そんな研究指導の後は、くたくたになる。学校近くの喫茶店で先生にお茶をおごって貰うのが常だが、その後、学校から駅まで、(バスにも地下鉄にも乗らずに)歩いて帰るのが、微かに楽しかった。途中に公園があり、野良猫に会うこともできる。
暗い雲が低く垂れ込め、今にも雪が降りそうで、刺されるように寒い冬の日、疲れ果てた私がその公園のベンチに座っていると、仔猫が膝に乗ってきた。
私は仔猫を抱いたまま、震えながら、一時間ほど、一緒に過ごした。
だいぶ前のことだが、何かにつけて、思い出す。書いておきたかったので、書いておくことにした。

文章は読まずに写真だけ見ているという読者には気の毒だが、写真はない。当時もちろん、カメラなんぞ持ち歩く趣味はなかったし、そんな余裕もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


スランプ脱却法

2009年03月15日 15時11分00秒 | B地点 おかか

 

「参ったよ。どうも最近、スランプでな……」
「スランプに良く効くツボを押してあげましょうか?」
「ん? そうかい? じゃ、頼むよ」
「いいですか、いきますよ?」

「うん。思い切りやってくれ」
ぐいっ
「いたたたたっ!」
「あっ!? す、すみません」
「先生、今度は私がやりましょう」

「おっ、カメラの若造か!」
ぐいっ

「いたたたた~っ!」
「あああ……」
がくっ
「だ、大丈夫ですか、先生っ」
「……だ、大丈夫だとも」
「ツボ押しはともかく、お前たちの気持が効いたよ……」
めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ダブル敗退

2009年03月15日 14時32分00秒 | B地点 おむ

 

「うぎゃーッ」

追忍は今日も、抜け忍オムイにやられてしまったのだった。
せめて最期を華麗に飾るべく、追忍はグハーの体勢に入った。
「ふふふ。ちょっと待て」
「グハー!」
「ううッ!? 奴のグハーのほうが、かっこいい……」
「グハーでも負けた……」
「ぐはぁーーッ」
ガクッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿時バージョン→

 

 


若者たち

2009年03月15日 12時09分00秒 | G地点 チッチ

 

「いや~、あったかくなったねぇ」
「……ん? なんだこりゃ?」
「あ~、最近のレンズはダメだねぇ」
「絞りリングが無いなんて、信じられないよ」
「ペンタはやっぱり、Mシリーズ以前が良かったよねぇ」
「……ちょっとチッチ、一体どうしたの」
「そんな格好で座り込んで、カメラのレンズの話なんて。まるでおっさんじゃない」

「えっ!?」
「う、うーん、そうかなぁ」
「そうよ。若者は元気に遊ばなきゃ!」
「あ~、楽しい!」
「楽しいな~」
「……カナちゃんも結構おっさんっぽいぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もう少し

2009年03月15日 11時46分00秒 | G地点 ミーコ

 

「疲れ果ててしまった」

「何もかもやめてしまいたい」
「どこかへ消えてしまいたい」
「……でも、もう少し、待ちましょう」
「この桜が、花を咲かせるまで」
「もう少し、待ちましょう」
「蕾と一緒に、待ちましょう」

「きっとまた、気分が変わるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


疲労

2009年03月15日 10時28分00秒 | G地点 ミーコ

 

もうすぐ(今月末で)、このブログを始めてから一年になる。
最近は、スランプだ。楽しめない。

以前は、苦しむことすらも楽しかったのであるが。
お手上げである。
ランキングも、追い上げている内は楽しかったが、追い上げられるようになると、楽しくない。

にほんブログ村 猫ブログ 野良猫へ

私自身が楽しまなければ、読者も楽しくないだろう。

スランプ脱却と、一周年記念企画とを兼ねて、一眼レフも買ってみた。

なるほど、たまには綺麗な写真も撮れるが、それだけのことである。
私は野良猫は好きだが、「写真そのもの」は、別に好きではない。「メカとしての写真機」にも、さほど興味が湧かない。

綺麗な猫写真のブログなら、幾らでもあるので、私などが屋上屋を架す必要はないだろう。このブログに存在意義があるとすれば、それはもっと別のところにある筈だ。
表現欲求が涸渇するということは、何を意味しているのだろう。

これまでにもそういうことは度々あったが……。
私は、単に、疲れているのかもしれない。

野良猫は、疲れた時、どうするのだろう。ただ黙って消えるのだろうか。