土佐っぽ

四国は土佐国のもんが、日々の中で思いゆう事や、得手勝手な考えを書きよります。どうぞよろしく。

「暴力」は強いですか?

2013年02月03日 12時43分09秒 | Weblog
「ハゲ」と言われ平手打ち 神奈川の教諭、生徒16人に(朝日新聞) - goo ニュース





「ハゲ」「デブ」などと言う情緒障がいの生徒がいる。
しかし、彼は、わたしには、その言葉が言えても、
学年団の先生には言えない。


何といっても、、
学校内で、わたしの教室だけが、
彼にとってのオアシスであり、
廊下で会っても、彼の教室に行っても、
彼は、表情を硬くして、言葉を出そうとはしない。

情緒であり、知的障がいの重複であるゆえなのか、
ではなく、、、、、、
要は、学校の中では、自分の素の姿を現せないという
そんな状態なのだ。

わたしの教室では、彼は大声で話し、数人の気の許せる友達と、
いろいろな話しや遊びができる。
しかし、いざ、通常学級に戻ると、
まるで、借りてきた猫状態になる。
そして、
廊下で、「さよなら、、、また明日。」と、言っても、
ほんのかすかに頷くぐらい。

この教員は、生徒になめられた。
バカニされた。
そんな重いが、こころの中を支配したんだろう。

確かに、腹がたっただろうし、もちろん、悔しかっただろう。
しかし、
生徒が、校長以下誰にでもその言葉をだしているのなら、
それは、それで結構だろうが、
もしかして、その学校の中に、

教師から生徒への、暴力の蔓延。
教師から生徒への、暴言の蔓延。
教師同士の、差別性や力の差による格差。
教師同士の、いじめや、嫌がらせの存在。
生徒同士の、いじめや、嫌がらせの存在。
などなどが、
あるのではないだろうか、

そういう学校の中で、
まるで、牢獄のように隔離され、管理され、抑圧され、
幸福や、ゆたかさを奪われた状態の生徒が、
言いやすい教師に、それを言う。

それは、もっと別の視点観点で、見る事ができるのではないか、、、。

冒頭の生徒は、
わたし以外の怖い先生には、「敬語」を使うらしい。

確かに、
世の中では、言葉の使い方は、
時と場合や、人によって、変える事はあるだろうが、
しかし、
その理由が、『怖いから』だとするなら、

なんと言う、恐ろしい学校、社会と言う事にもなる。

強いニッポン。
強い、政府などと、
新しい総理大臣は豪語する。

武装し、暴力を基本とした強さのどこに、「強さ」があるのだろう。

どうも、この国は、おおきな間違いをさらに拡大させている。
そして、
それに、国民が、主権者が気づいていない。
そこが、最大級の恐怖なのだが・・・・・・・・・・・・・
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