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土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

日本弱点の無力化 新旧憲法共通の欠陥の克服2  (脱皮できないヘビは死ぬ)

2013-11-16 14:03:19 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
前回に引き続き、憲法問題に関する私見です。

良く聞かれる議論で、現行の日本国憲法支持者の中には、

「軍隊があるから、戦争が起こるんだ。」
「だから、軍事力そのものをなくさないといけないんだ。」
「世界から、軍隊をなくすには、まず日本がそれを示さなければならない。」
「だから、軍事力保持を禁じた日本国憲法を遵守し、日本は自衛隊を解散するべきだ。」

というお話をなさる方がいらっしゃいます。

これは、良く言えば理想主義的、しかし論理的に言うと、無茶苦茶な話です。
私は現実主義者ですので、理想主義的、否、夢想主義的議論は嫌いです。

では、病院があるから、病気があるのでしょうか?
警察があるから、犯罪者が存在するのでしょうか?
刑務所があるから、囚人がいるのでしょうか?

体の免疫機能がなければ、咳きやクシャミや発熱などの、うっとうしい症状はないでしょう。
しかし体に免疫がなければ、生き物は一発で死んでしまいますよね。

病気があるから、病院が必要なのです。
犯罪者がいるから、警察が必要なのです。
囚人がいるから、刑務所があるのは仕方ないのです。

また、この世界では、どうしても病気の原因がありますから、身体も免疫機能を持ち、治癒を促進しているのです。

自衛隊を始め、世界に軍事力が存在するのは、なければ攻め取られる危険が大きいからです。
また、大規模災害時においては、大型の重機が使え、過酷な環境での訓練を重ね、ノウハウの蓄積のある軍事集団がいなければ、
被災者を救えないのは、東日本大震災やフィリピン台風で実証されております。

つまり、必要だから軍事力はあるのです。
なければ、「ああ、やっぱり必要だった。」と言うに決まっているのです。(笑)
大事なことは、「やっぱり必要だった。」と、言った時にはもう遅いということです。

ですから国を護り、国民を護る軍事力放棄を記した日本国憲法は、実質的で現実的な方向へ修正するべきなのです。

しかしここで日本国憲法は、旧憲法である大日本帝国憲法と同じ欠陥を露呈します。
それが第2の欠陥、『 変えられない 』という事実です。

明治憲法は欽定憲法、すなわち、天皇から与えられた憲法ということで、絶対不触、憲法改正を論じることすら恐れ多いものでした。

一方、日本国憲法は最近は改憲論も出てきましたが、改憲には3分の2以上の全国会議員の賛成が必要です。
そしてその後、国民投票が必要です。

かなりきついハードルで、事実上改憲は無理な数値設定となっています。
(ただし、憲法停止は過半数の国会議員で可能です)

新旧両憲法には、どんどん変化する国際情勢の中で、この『 軍事力を行使の仕方が曖昧 』 と 『 変えられない 』 という共通の欠点があるが故に、たとえ平和を愛して、日本国憲法を守りたいという動機を持っていたとしても、現実は憲法の欠点が戦争の火種になりかねないという矛盾を、現憲法は内抱しているのです。

この件は、渡部昇一上智大学名誉教授が、たくさんの関連書籍を出版なさっています。

50年、100年そして未来永劫この国が存続し、平和と幸福の理念を具体化するためには、勇気を持った憲法の改正論議が、絶対に不可欠です。

現政権は、硬性憲法である日本国憲法を、過半数で変えられるようにすることを公約に、政権に復帰しました。

現行の日本国憲法は、硬性憲法の上条項も多く、憲法から派生した多くの法律によって、
このままでは国民は不自由になり、また世界の流れにも着いていけなくなるでしょう。

ただ現政権案のように、過半数で変えられるのであれば、法律と変わりはありません。
また、政権交代があるたびに、国家の大方針がコロコロ変わるのも、危険が伴います。

そこで私は、憲法の条項数を制限し、そして10~20年単位で、国民投票によって見直せば良いと思うのです。
期限内であれば、たとえ政権が変わっても、憲法自体は変わらければ、国家の方針の統一性は保てます。

そして、憲法の条項を20項目以内とすれば、国家の大きな方針だけとなり、細かなことは法律でまかなえます。
そして、憲法更新期限近くになれば、1年くらいかけて国会で議論し、どの案が良いかを国民投票に委ねれば良いです。

ともあれ、脱皮できないヘビは死ぬのです。
今がその時です。

憲法を守って国家国民が護られないならば、現代日本人の知性は原始人レベルと、未来の人々に揶揄されるはずです。


日本弱点の無力化 新旧憲法共通の欠陥の克服  1

2013-11-15 10:09:31 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

私は平和主義者です。
元々戦争をなくしたいという動機で、歴史や政治、宗教や民族学を勉強する機会を得ました。

よく巷(ちまた)では、日本国憲法は平和憲法で、軍国主義化の原因となった、大日本帝国憲法(通称明治憲法)の
欠点を修正したものだ、という認識がなされていると思います。

日本国憲法は戦争放棄や、自国の防衛力の保持まで禁じた徹底したもので、「日本国憲法は、世界の誇り」と言ってはばからない人たちもいます。

しかし、軍事面においての日本国憲法は、明治憲法と同じ欠点を持っています。
これは日本にとっても他国にとっても、憲法論議をしている方にとっても重要なことのはずです。

つまり、日本国憲法を守っていても、平和にならないのであれば、憲法に人生を捧げた方の時間は無駄になってしまうからです。

ただ、明治憲法の欠陥を修復したとされる日本国憲法とは、同じ欠陥があることは事実です。
護憲派も改憲派も、この共通の欠点から眼を背けていては、平和の実現という、崇高な理念など実現できるはずはありません。

それに目をそむけ、ただただ「日本国憲法大事。」だけ唱えているだけならば、
もはやそれは論議ではなく、日本国憲法教という信仰であります。

ではその共通の欠点とは何か。

第1に、
『 軍隊を誰が統治するかの記載が曖昧である 』ということです。

明治憲法での軍隊の立場は、『天皇のもの』となっておりました。
ですから憲法上、軍隊は内閣の命令に従う必要はありませんでした。
これが、戦前戦中、軍事が独走できた要因です。

そして日本国憲法が施行されて後、自衛隊は発足しています。
現憲法には、自衛隊に関する記載そのものがありません。

ですから、悪魔的知性を持つ誰かが自衛隊を動かして、他国に戦争を仕掛けても、
たとえクーデターを起こしても、それは憲法違反にはなりません。

法律の解釈などどうにでもなります。

憲法に記載されていない法律は無効です。
現行憲法ならば、自衛隊法そのものが無効とも言えるのですね。

であるならば、細々とした自衛隊法に違反する行為であっても、その自衛隊法そのものが無効であるならば、
自衛隊が政治の言う事をたとえ聞かなくても、憲法違反にはならない・・・という解釈も可能なのです。

「だからこそ、自衛隊をなくせ。」とおっしゃる方も多いのでしょう。
しかし、東日本大震災や各種国内復旧作業、そして今回フィリピン台風への具体的支援など、
自衛隊なくして、健全な国民生活など不可能ですし、自衛隊廃止は非現実的です。

良い軍隊か悪い軍隊かを見分けるのは簡単です。

丸腰の人々に対し、銃を向けるのが悪い軍隊です。
丸腰の人々を護るのが、良い軍隊です。

自衛隊はどちらですか?
戦前日本軍は、どちらの軍隊ですか?
一目瞭然です。

良き軍隊は、国内外の治安と平和のためにあるべきです。
良き軍隊なくば、悪しき軍隊がはびこることになります。

それは腸内細菌にも、善玉菌と悪玉菌があり、それらか腸内で抗争し、
善玉菌が勝利することで、健康バランスを保っているのと同じです。

平和は、良き軍隊を勝たせることで実現するのです。

ですから日本は、現存する自衛隊を自衛隊法の上位法に記載し、国防軍として認めることです。

でなければ、実在する軍事力を、誰が責任を持って把握し、戦闘状態の開始と、収束の具体的方法論が欠如したままです。
これは、新旧両憲法双方に、共通している欠点です。

先の戦争の敗因の一つが、大日本帝国憲法の欠陥であったことは私は認めます。
しかし、平和憲法と呼ばれる日本国憲法は、その旧憲法の欠陥をそのまま残しているのです。

とりあえず、前回記事の「日本に侵略的意図を持つ国家への、憲法9条適応除外。」で急場をしのぎ、
順々に憲法論議をして、自衛隊を国防軍として憲法に明記し、自衛隊の目的と交戦の範囲を明記するべきです。

でなければ、平和など夢想です。


日本の弱点 憲法9条を無力化せよ!

2013-11-14 20:24:25 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

国防の基本の一つは、自国に進入してくると推定される敵国が、嫌がることをすることです。
敵国が喜ぶことをしてはいけません。
そして相手の長所を無力化し、自国の短所を無力化することです。

侵略国家というのは、侵略が割に合うと判断するからこそ侵略できるのですね。
軍事行動は狩りと同じで危険を伴いますので、確実に侵略できるからこそ侵略行動を起こします。

相手が強ければ侵略行動派しません。
相手が強ければ、弱くしてから行うのが侵略です。

かつてアメリカを中心とした連合国は、第1次世界大戦から25年経過した時点で日本と戦いました。
ということは、第1次世界大戦直後、世界で最も強かったのは日本であり、それを弱らせるのに25年かかったと見るのが歴史的視点というものです。

その戦前日本の強さを無力化する方法論こそ、ABCD包囲網などによる、対日石油全面禁輸だったのです。

一方の日本は、連合国の強みを無力化するような手立てを講じた形跡はありません。
日本は自らの強さを、武士道を極めるがごとく、ただ磨いていただけという見方もできるのです。

現代の日本も、決して弱い国ではありません。
建国の翌年から、周辺諸国を侵略しまくり、今もなおインドやベトナムなどと係争中である中華人民共和国が、
明らかな日本侵略の意図を持ちながらそれがまだできていないのは、中国側からすればまだ、日本は手ごわい相手だからです。

日米安保条約があり、沖縄に世界最強の米海兵隊が駐屯する基地のある日本は、中国にとっては強い相手だから攻め切れないのです。
日本の弱点は、はっきり申し上げれば、日本国憲法9条があることです。
これが、本来持つ日本の国防力を、ほぼ無力化しているのです。
戦力があっても使えないからです。
また、攻撃されてからでないと反撃できないような法体系であれば、音速の何倍もあるミサイルなどから、国土や国民を守ることはできません。

私は平和主義者ですから、憲法9条の理念自体は尊いとは思います。
しかし、侵略と国防は違います!

平和は尊い。
しかし、国を守る気概を失うことは醜い!

日本は憲法9条は、無力化することです。 そして

日本に、侵略の意図を持つ国家への、憲法9条適応を除外すべきです。  

憲法改正には、全国会議員の3分の2以上の賛成が必要ですが、憲法執行停止ならば、過半数議員の賛成で可能です。
ですから、9条適応除外国家の制定だけならば、実はすぐに可能なのです。

適応除外国家が相手ならば、日本は思う存分戦うことができるようにするのです。
さすれば日本は、憲法の解釈自体が、外交カードにもなります。

つまり北朝鮮や中国に対し、「憲法9条適応除外国家になりたくなかったら、日本に向けている軍事施設を取り払いなさい!」と言えるようになるということです。

これは私の発案ではありません。
幸福実現党総裁、大川隆法氏の発案です。

幸福実現党の母体は、宗教法人幸福の科学ですが、宗教勢力としてではなく、政治勢力幸福実現党として、このような発言をすでに大川氏がしていることで、実は日本は、いつでも憲法9条適応除外国家審議を行える状態にあります。

幸福実現党総裁大川隆法氏は、日本の国師として、十分すぎる働きをなさっています。
日本はつくづく、神様に愛されている国だと私は痛感いたします。


国防における日本の弱点 その1 (きちんとした、敗戦の反省ができていないこと。)

2013-11-13 19:09:33 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

国防の基本は、戦わずして勝つことです。
そしてその方法論は、敵国よりも高い防衛力を持つことです。
そのためには、相手の長所を無力化し、自国の短所も無力化することです。

私は平和主義者ですから、決戦や玉砕や、他国への屈服は大嫌いです。
最近は保守への機運も高まり、戦前日本の美しさを紹介してくださるブログの記事も増えました。

しかし私は、少し残念に思うのです。

戦前日本を美しく思う心は尊いです。
戦前の日本が、高き志を持った、勇ましく美しい人々であったことを発見することは、
日本の誇りを取り戻すことであり、失われた歴史を知ることでもあります。

しかし残念ながら、それでは戦前日本が負けた反省にはならないのです。
つまりそれだけならば、また負けるということです。

自虐史観は最悪です。
戦前日本侵略国家説で、人が良く、理想主義的な日本人は萎縮し自信を失います。

しかしそれを払拭するために、戦前日本を美化するだけでは、日本を守ることにはなりません。
また負けるだけだからです。

なぜ日本は負けたのですか?
本当にその原因にまで、到達していますか?

その原因を、
「ABCD包囲網など、当時のアメリカを中心とした、白人至上主義的侵略の罠にはまったからだ。」として、
では、その罠にはまらないようにするには、どうすれば良かったのですか?

そこまでたどり着かなければ、バリバリの侵略国家である、現中華人民共和国が仕掛けてくる罠など、見破ることなどできませんよ。

私は今、志を同じくする保守派の方々の心情を、悪くする言葉を発しているかも知れません。
しかし私は言います。
私は、日本を愛しているからです。

私の見立てでは、日本が世界の幸福に責任を持とうとする国家に成長しない限り、
日本は中国から侵略の危機にさらされ続けるでしょう。

それは、歴史には法則があるからです。
日本が内向きになり、精神的に鎖国している時には、世界は侵略国家が成長しているのです。

平安時代に遣唐使を廃止したときには、元(モンゴル)が興隆しました。
日本が戦国時代を続けているときに、ヨーロッパの大航海時代、すなわち植民地時代は始まりました。
江戸時代に、再び日本が鎖国している間に、世界は白人の植民地で塗りつぶされました。

そして戦後日本は、一国平和主義という精神的鎖国状態にあるのです。
それが、中華人民共和国という、筋金入りの侵略国家を育ててしまったのです。

現中国の最大の弱点は、信頼がないことです。
はっきり申し上げます。
中国は日本化し、信頼の大国と変貌しない限り、中国に未来はありません。

しかし一方の日本は、一国平和主義を捨て、世界の幸福に責任を持とうとする国家に成長しない限りは、
筋金入りの侵略国家である中国の、野蛮な勢いを止められず、飲み込まれてしまうでしょう。

日本はさらに国際化し、日本的価値観を世界に普及し、定着させる努力をすることで、
世界から争いそのものをなくせる国であることを、日本国民はもう知らなければならないのです。

日本が世界から目をそむけたら、弱肉強食の価値観で、世界は覆い尽くされるのです。
これが、世界の中の日本の歴史です。

歴史は繰り返します。
日本は自虐史観を捨てるだけでなく、戦前日本の凛々しさに酔うことなく、きちんと歴史を見つめることです。

そして、国防に関しての長所と短所を体系化した形で、国民レベルで認識するべきです。
でなければ歴史というものは、いつまでもいつまでも繰り返されることを、私は警告いたします。






兵法の基本 (相手の長所を無力化し、自らの短所を無力化する。)

2013-11-12 09:49:00 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

当ブログでは今、対中国との軍事的対立という国難を回避するための兵法を、構築しようとしております。
それはひいては、日本を知るということでもあるし、現在の日本の可能性を提示することになろうかと思います。

本質的発想として、侵略的遺伝子を持たない民族である日本人。
つまり他国を侵略したり、他民族を従えることで喜びを感じない人々の国である日本は、
弱点としれば、この「相手国の悪が見えない」ということがあろうかと思います。

しかし最近はさすがに、中国のあからさまな軍事的な動きや、恫喝とも取れる発言が取りだたされ、
平和を愛する諸国民ばかりではないことが、平和を愛する国民である日本人にも知られてきました。

その中国は、経済大国となって来ましたが、その本質は輸出大国であり、それを分析すると、
日本から部品を輸入し、それを中国国内で組み立てて海外に輸出しているだけです。

ですから、中国国内での純粋な輸出額は、総額から日本からの部品輸入代を差し引いた分であり、
中国の利益は全輸出総額の名目の、1%ほどではないかと想像いたします。
まさに巨大な、自転車操業国家なわけです。

そして巨大な人口のため、そのような経済体質であるにもかかわらず、年間5%以上の経済成長をしなければならないのですね。
国内インフラも、まだ未熟なので、これ以上の積極的な金融緩和もできません。

すれば、強烈なインフレと、通貨の下落を招きます。
ですから、このままであれば、中国は10年以内に破綻します。

この10年以内に中国は、国内に抱える諸問題を解決するか、先延ばしできる方法論を構築するか、
更なる経済のパイを大きくするか、他国から富を奪うかしなければならないわけです。

これを解決するには、中国共産党は解党し、巨大な自由主義市場として、中国を政治的にも開放しなければなりません。
さすれば、さらなる外資導入の機会が訪れます。

自由主義的な法整備をし、国際的信用さえつけば、中国はさらに発展するでありましょう。

しかし中国共産党は、それ(共産党解党)を最も恐れており、残りの選択である、外への進出に向かうと予想されます。

長年国内を粛清し、国内自治区へ圧政を敷き、国民に深い恨みを買っている中国共産党は、
共産党解党や、国家分裂による、民衆からの報復を恐れているのです。
これは、中国で政治形態が変わるたびに行われてきたことであり、「逃れられない。」と思っているはずです。

つまり、中国共産党の敵は、アメリカでも日本でもなく、中国国民なのです。

さて、本来は中国の内政問題から端を発する中国の軍事行動。
それを迎え撃つのは、太平洋の防波堤でもある、我が国日本です。
それは、地政学的条件ですから、日本国民である限り、これは致し方ないと腹をくくるべきです。

その前に、フィリピンやベトナムなど、弱いところから今、攻め入ろうと企んでいるわけですね。
向こうは戦略的構想の下、外国勢力との軍事行動のシナリオを描いているわけですから、
迎え撃つ側も、戦略的防衛構想を持っていないと、行き当たりばったり行動となり危険です。

それは、泥沼の抗争と発展する可能性があるので、最悪の選択です。
過去、満州事変などは、こういういきさつから端を発したものと、私は推測しております。

さて、孫子の兵法が、最も価値あるものとするものは、戦わずして勝つ・・・というものです。
戦って勝つというのが、近代日本の美意識でしたが、それは最後の兵法であって、戦わずして勝つが、最勝の法なのです。

「戦わずして勝つ」を実現するためには、相手の長所を無力化すること、そして、自軍の短所を無力化することです。

相手から見て、侵略するリスクが高すぎる場合には、相手国は攻めては参りません。
それは侵略の鉄則です。
中国が日本に対してあれこれ言っても、結局軍事行動を起こさないのは、結局今の日本が結構強いからです。

「相手の心情を逆撫でして、喧嘩の口実を与えてはいけない。」
これは、きわめて日本的な発想です。
世界は、こういう力学では動いてはいません。

そして現状を更に進化させ、相手国に侵略そのものを諦めさせることを探求し、構築することができれば、
期限は10年以内ですから、結果日本は護れてしまいます。

次回から、まずは自国の短所を無力化することから、土佐のくじら国防論を展開していきたいと思います。