土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

 日本人が目覚めれば、絶対に日本は負けない。

2013-11-08 18:27:49 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

昨年の夏には、竹島に韓国大統領が上陸し、尖閣諸島には中国の活動家が上陸しました。
昨年は、日本の国防は、誠に危うかったと私は感じておりました。

その冬に、突如行われた感のある衆院選挙において、日本は保守復帰を果たし、
日本はなんとか、ギリギリの状態で、その時点での国防の危機を回避したと考えております。

近隣諸国に良いようにあしらわれ、侮辱されながら、何も毅然とした、国家としての対応をしなかった民主党政府に、
やるせなさと、日本人としての無力感が、保守回帰として現れたとも思います。

しかしまだ、日本人は国防のことから、目を背けようとしているように、私の眼には映ります。

私は思うのです。
否、信じて疑わないのです。

今を生きる日本人は、本当は誇り高き人々であることを。

その誇り高き、日本の民の誇りを傷つけ、無力感に打ちひしがれる境遇においたのは誰だ!

昨年までの与党、民主党政権は当然であります。
しかし、戦後から今に至るまで、国家とは名ばかりの、

ただの、”日本民族が住む地域”として、長らく放置してきた価値観そのものが、現在の国防への閉塞感を生んでいるなら、
将来の子孫の誇りに賭けても、ここは”国家”としての誇りを、我々今を生きる日本人は、取り戻す必要があると私は思います。

それは、自分の国は、自分で守るという、
国家としては、ごくごく当たり前の姿を取り戻すことこそ、本来持ちえる、日本の誇りを取り戻すことに他ならないのです。

しかし多くの日本人は、「そうは言っても、護れるのか?」という、素朴な疑問をお持ちだろうと思います。

否、持っているはずです。
そういう疑念がなければ、ことここに及んで国防の話から、目を背けたくなるはずはないからです。

皆様はどうですか?
日本は、中国や北朝鮮の脅威から、国家と国民を護りきれると、本心からお考えですか?

私は、護れると信じて疑わないのです。
しかしそれには、条件があります。

日本人が、国防の重要性に目覚めれば・・・という条件です。

目覚めなければ、すなわち、価値観が今のままなら護れません。

今のままというのは、「日本はアメリカに保護してもらわないと、どうしようもない。」とか、「日本は軍隊がないから、守れない。」という、戦後の常識ともなっている価値観です。

このままでは護れません。
しかし、この価値観から脱却し、日本人が国防に目覚めさえすれば、100%護れます。

それには理由があります。
日本は戦後からこれまで、何もしていないからです。
特に何もしては来なかったのに、現代、世界の大国になっているからです。

皆様ご存知ですか?
日本と中国とでは、核兵器以外の通常兵力ならば、日本の自衛隊の方が強いことを。

ということは・・・
日本にはまだ、相当な伸びシロがある。
すなわち、まだやれる事がたくさんある・・・ということです。

やれること、すなわち、
護る方法論、やれる手立てが無限にあるのが、今の日本の強みなのです。

簡単なことです。
手かせ足かせ状態で、中国より強いということは、手かせ足かせをはずせば、さあどうなりますか・・・?
ということですよ。(笑)

他の国では、こうはいきません。
皆どこの国も、努力の限界、パッツンパッツンの状態でありますからね。

しかしそれを行うには、今を生きる日本人に、国防に目覚めてもらわないといけないのですね。

日本人が目覚めなければ、現有戦力すら使うことができません。
しかし目覚めれば、現有戦力にとどまらず、潜在能力も使うことができます。

中国・北朝鮮など、手も足も出ないほど、日本は本来強いのです。

土佐のくじら国防論として、日本の防衛に関して、今後もエントリーしてみたいと思います。

テーマは、「私なら日本をどう護るか。」でございます。