土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
前回に引き続き、憲法問題に関する私見です。
良く聞かれる議論で、現行の日本国憲法支持者の中には、
「軍隊があるから、戦争が起こるんだ。」
「だから、軍事力そのものをなくさないといけないんだ。」
「世界から、軍隊をなくすには、まず日本がそれを示さなければならない。」
「だから、軍事力保持を禁じた日本国憲法を遵守し、日本は自衛隊を解散するべきだ。」
というお話をなさる方がいらっしゃいます。
これは、良く言えば理想主義的、しかし論理的に言うと、無茶苦茶な話です。
私は現実主義者ですので、理想主義的、否、夢想主義的議論は嫌いです。
では、病院があるから、病気があるのでしょうか?
警察があるから、犯罪者が存在するのでしょうか?
刑務所があるから、囚人がいるのでしょうか?
体の免疫機能がなければ、咳きやクシャミや発熱などの、うっとうしい症状はないでしょう。
しかし体に免疫がなければ、生き物は一発で死んでしまいますよね。
病気があるから、病院が必要なのです。
犯罪者がいるから、警察が必要なのです。
囚人がいるから、刑務所があるのは仕方ないのです。
また、この世界では、どうしても病気の原因がありますから、身体も免疫機能を持ち、治癒を促進しているのです。
自衛隊を始め、世界に軍事力が存在するのは、なければ攻め取られる危険が大きいからです。
また、大規模災害時においては、大型の重機が使え、過酷な環境での訓練を重ね、ノウハウの蓄積のある軍事集団がいなければ、
被災者を救えないのは、東日本大震災やフィリピン台風で実証されております。
つまり、必要だから軍事力はあるのです。
なければ、「ああ、やっぱり必要だった。」と言うに決まっているのです。(笑)
大事なことは、「やっぱり必要だった。」と、言った時にはもう遅いということです。
ですから国を護り、国民を護る軍事力放棄を記した日本国憲法は、実質的で現実的な方向へ修正するべきなのです。
しかしここで日本国憲法は、旧憲法である大日本帝国憲法と同じ欠陥を露呈します。
それが第2の欠陥、『 変えられない 』という事実です。
明治憲法は欽定憲法、すなわち、天皇から与えられた憲法ということで、絶対不触、憲法改正を論じることすら恐れ多いものでした。
一方、日本国憲法は最近は改憲論も出てきましたが、改憲には3分の2以上の全国会議員の賛成が必要です。
そしてその後、国民投票が必要です。
かなりきついハードルで、事実上改憲は無理な数値設定となっています。
(ただし、憲法停止は過半数の国会議員で可能です)
新旧両憲法には、どんどん変化する国際情勢の中で、この『 軍事力を行使の仕方が曖昧 』 と 『 変えられない 』 という共通の欠点があるが故に、たとえ平和を愛して、日本国憲法を守りたいという動機を持っていたとしても、現実は憲法の欠点が戦争の火種になりかねないという矛盾を、現憲法は内抱しているのです。
この件は、渡部昇一上智大学名誉教授が、たくさんの関連書籍を出版なさっています。
50年、100年そして未来永劫この国が存続し、平和と幸福の理念を具体化するためには、勇気を持った憲法の改正論議が、絶対に不可欠です。
現政権は、硬性憲法である日本国憲法を、過半数で変えられるようにすることを公約に、政権に復帰しました。
現行の日本国憲法は、硬性憲法の上条項も多く、憲法から派生した多くの法律によって、
このままでは国民は不自由になり、また世界の流れにも着いていけなくなるでしょう。
ただ現政権案のように、過半数で変えられるのであれば、法律と変わりはありません。
また、政権交代があるたびに、国家の大方針がコロコロ変わるのも、危険が伴います。
そこで私は、憲法の条項数を制限し、そして10~20年単位で、国民投票によって見直せば良いと思うのです。
期限内であれば、たとえ政権が変わっても、憲法自体は変わらければ、国家の方針の統一性は保てます。
そして、憲法の条項を20項目以内とすれば、国家の大きな方針だけとなり、細かなことは法律でまかなえます。
そして、憲法更新期限近くになれば、1年くらいかけて国会で議論し、どの案が良いかを国民投票に委ねれば良いです。
ともあれ、脱皮できないヘビは死ぬのです。
今がその時です。
憲法を守って国家国民が護られないならば、現代日本人の知性は原始人レベルと、未来の人々に揶揄されるはずです。
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