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土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

戦略的核根絶のための、日本核武装論。

2013-11-20 10:08:30 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

核武装を日本は、いつかは選択しなければいけません。
それは核を保有することによって、諸外国への威圧のための核武装ではありません。

諸外国を核兵器によって威圧し、覇権主義を推し進めようとする、
時代遅れとなった、とある覇権主義国家軍の軍事的強みを、一時的であっても封じるための核武装です。

核保有国同士は、全面戦争はできません。
なぜなら、報復攻撃を受ければ、自分たちが全滅しかねないからです。

侵略的意図を持つ者というのは、割の合わないことはいたしません。
ですから、核保有国家同士は、必然的に別の方法論、つまり、
核を使わない、または、武力そのものを使わない争いに、必然的に移行して行くこととなります。

つまり、対象が中国・北朝鮮からの防衛だとすれば、彼らは核保有国ですから、
彼らの矛先は常に、非核保有国に向いているのですね。

核保有国というのは、核を持たない国に対してのみ、恫喝的な行動が可能なのです。

ですから、こちら(日本)が核保有国になれば、彼らは別の国家軍に矛先を変えるだろうし、
一時的にであっても、一方的に日本だけが甚大な被害を受ける、日本への核兵器の直接的攻撃は、
核以上の兵器が現れたり、核兵器そのものを無力化するシステムができない限りは、未然に防げるわけです。

そうすれば、現に覇権主義的な動きを見せているこれらの国々を、その時間の期間内に、覇権主義をあきらめさせるなり、
核保有ができないくらい、国力を落とさせたり、そういった外交的努力が可能となるのですね。

つまり、平和的に非核三原則等を遵守したり、
世界一の核保有国はアメリカだから、アメリカの核を減らせば、世界の核兵器が減る・・・といった、
一見正当な、表面上の核軍縮論を行うよりは、今現に、核兵器を年々増強している地域の核を無力化する方が、
世界の平和にとっても、有意義なわけです。

つまり、これはある意味で、とても乱暴な喩えですが、
すべての国々が、核兵器を保有すれば、核兵器は無力化してしまう・・・とも言えるわけですね。

しかしこれでは、いつ核兵器が使用されるかわからなくなって、人類は日々戦々恐々とする日々を送ることとなります。
ですから、実質的に核兵器を無力化するならば、いつかは核兵器を使用する、”動機”そのものをなくしてしまうことが重要です。

つまり世界が、仲良し国家だけになれば、「核兵器を使ってでも、相手を滅ぼさなければならない」という、
非人道的な発想そのものがなくなり、核兵器はその瞬間、いにしえの古代兵器のひとつとなります。

それをするためには、現に覇権主義的侵略的意図を持った、政治勢力の持つ核兵器を、
まずは無力化し、兵器としての有用性をなくしていくことこそ、最も理にかなった方法論なのです。

たとえば、警察に拳銃が厳重に保管されてあっても、それは脅威ではありませんね。
同様に、美術館に、古代の槍や剣が保管されていても、やはり脅威ではありません。

しかし、暴力団に拳銃があれば・・・、それは脅威ですよね。
また、狂人が、ナイフ一本持っていても脅威です。

アメリカの銃社会が問題になっていますが、だからと言って、アメリカの警察官から拳銃を奪ったところで、
それでは、たとえアメリカ全体の拳銃保有総数は減ったとしても、アメリカ社会の不幸は絶対になくならないのです。

ですから、世界から戦争をなくし平和に至りたいのなら、まずは暴力団(中国・北朝鮮)の持つ武力を無力化し、
意味をなさないものとして、世界から具体的な脅威をなくして行く努力こそ、平和を実現する有効な方法論でありましょう。

将来、核兵器を根絶するための、日本の一時的な核武装論。
それは一時的には誤解されたとしても、いつかそれは世界にとっても、大きな福音となるだろうと私は思います。


防御核という考え方

2013-11-19 19:43:00 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

何事も、定見というものが大切です。
つまり、「こうなればこうする。」「ああなれば、ああする。」ということを、あらかじめ決めておくことです。

「地震が起きたら、ここへ非難する。」と決めていて、あらかじめ準備している人と、全く何も決めていない人では、生き残る確率は相当違うものになるはずです。 

国防も同じです。
ミサイルやレーザーなど、見た時にはもう攻撃が終わっている武器が主流の現代では、
「攻撃されてから判断する。」では、どうしようもなく遅いです。

つまり、現状の自衛隊法は、早急に改善する必要があります。
現行自衛隊法は、すでに時代遅れなのです。

政治家にとって、定見がないこと・・・が、最もいけないことです。
日本は民主主義国家であり、軍備は民主的に選ばれた政府によって動きますから、政治家の定見こそ、実は全てなのです。

日本国民の皆様、今後は防衛への定見なき政治家や、間違った定見を有している政治家を、選挙で選んではなりません。
それは、民主主義国家として当たり前のことです。
なぜなら民主主義国家にとって、政治家の正しい国防定見こそが、国民の生命線だからです。

さて以前の記事で私は、「日本は、核保有するべきだ。」と述べました。

それはなぜかというと、核保有することで、核兵器を現在保有している国との戦争を、事実上防げるからです。

核保有国同士は、戦争できないのです。

日本人というのは、歴史を見る限り、侵略や戦闘行為を嫌う民族であると私は考えています。
逆説的ですが、それゆえに国家間の仲がこじれるところがあります。

他国のように、論理的に戦争や侵略を、ビジネスライクに考える国民であれば、
日清・日露・大東亜戦争等の近代戦争は、むしろ防げたのではないかとも、私は考えております。

日本の平和を愛する、ある意味での美意識が対応の遅さとなり、
それが日本を窮地に追い込んで、がむしゃらな戦争の時代を経験させたと、私は思っています。
近代日本が経験した戦争が、全てキツイ戦いだったのは、それが全て国防戦争だったからです。

侵略戦争ならば、ヤバクなれば、撤退すれば良いからです。

今また、日本にとっての、試練の時代が始まっており、選択を間違えば、

過去の戦争の歴史と同じような、 人々にとっては生き難い時代になる可能性があると、私には強く強く感じてならないのです。

本当に平和を愛するのであれば、平和ボケこそ払拭しないといけないですし、
国防に関してはクールに、ある意味でビジネスライクに考える習慣が必要だと思います。

日本人はその心の本質において、侵略を嫌います。
兵器や戦闘行為を使うのは防衛のため・・・という思考習慣がある国民です。

それを使って、他国の利益を取ってこようとか、
他の民族を屈服させ、言う事を聞かせてすっきりしよう・・・ という、発想そのものがないのです。

どこかの国々のように、他国民を侮辱しないと、自民族の誇りが保てないような、
脆弱で貧弱なな精神をしていないし、とっくにそういう時代は卒業しているのが日本です。

ですから反面では、戦闘行為がなければ決して使用しない兵器などには、
余り予算や経費をかけたがらないのですね。

ですから今後、核保有の議論は避けて通れないのでしょうけど、
防御核、つまり、 戦争をさせない、核兵器を使用させないための核・・・という考えを出し、定着させていく必要があります。

また、その防御核に関しても、持たざるを得ない状況であるからこそ、持ちたくはないけど持つのであって、 脅威が去れば、核放棄するというような、状況を見ての核武装ですね、 それを国際的にも演出する必要もあります。
(ただ、とっかかりは難しいものがありますが。)

しかしそれだけの信頼感は、国際的には日本にはあるのですよ。
何せ、60年以上戦闘行為を経験していない国家など、世界では日本しかありませんのでね。

つまりこれは、日本が戦争や侵略を必要としない国家であり、
戦争や侵略をせずとも、国家は繁栄できるというモデル国家が日本だからです。

この実績が実は世界に、国境という概念を、完全に定着させたのですね。
世界はある意味で、日本化したわけです。

日本は核保有をすることで、更に世界の日本化を推し進める事になるだろうと思うし、
核保有により、中国との戦争が回避できることが理解できれば、日本人は受け入れるだろうと思います。

中国にとっては・・・。
日本が核保有すれば、中国は日本侵略は完全についえますから、
これを阻止するために、あらゆる努力や妨害工作をするだろうと思います。

日本侵略、または属国化ができないことは地理的には、中国は自由に太平洋に出られないことを意味します。
つまりこれは、日本の核保有は、それだけ効果があるという事を意味しております。

確実に言える事は、日本が核保有を決断すれば、50~100年後の日本国の存在は確定します。
これは保障いたします。

それ以外の選択ならば、不確定要素が相当ございます。

日本人は平和を愛する国民ですから、平和ボケしていたいのだろうと思います。

なぜそう思うか?
私が、平和ボケしていたいからです。(笑)

日本が核保有に踏み切れば、日本人は平和ボケしていてもかまわなくなります。
これだけは、確定事実です。

本質論を言えば、核兵器を使用された経験を持つ日本だけが、核武装する権利があるのです。

 


定見なき国家の夕暮れ

2013-11-18 09:49:00 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

今、当ブログでは、土佐のくじら国防論を中心にエントリーしております。
国防に関して、最もいけないところ、それは、”定見”がないことです。

定見とは、定まった見解ですね。
これがないことが、最も危険なのです。

○○の場合はこうする。
●●の方針で、△△をする。

こういう、国家が目指す、全体方針がないといけません。

前政権の民主党には、これが全くありませんでした。
経済面において、消費増税導入などで、野田首相が定見があるような行動をしましたが、
これなども実は、定見がないがゆえに、マニュフェストを撤回できるわけなんです。

この定見のなさが、国防で現れたらどうなるか・・・。
衆院選挙で「増税はしない。」と言っていたにもかかわらず、その後増税法案を、”命がけ”(笑)で通したように、
あっちにフラフラ、こっちにフラフラするわけですよ。

それが、今の外憂の正体です。

国防に関する一定の定見があれば、それに従って物事に当たれば良いのですから、実はこれが、国家を護るのですね。

たとえば、

自分の国には自分で守る。
しかし日米同盟は強化する。
集団的自衛権を、当然のごとく行使する。
憲法は、今後このように改定する。
改憲には時間がかかるので、それまでの緊急措置として、憲法前文に沿わない平和的でない国家に対しては、9条適応除外する。
日本の周辺諸国事情に合わせ、今後日本の核保有も検討する。

まぁこれは、幸福実現党の外交政策、国防政策を、一部まとめてみたものですが、
これを政府が言えば、はっきり言えば、それだけで国家は護れるのですね。

周辺諸国は、日本に対し挑発をすればするほど、日本を攻めにくくなるので、手が出せなくなるからです。

まぁ民主党に、「国防に関する定見を出せ!」と言っても無理だったのですね。

なぜなら、民主党には党是、すなわち党の方針がありません。
って言うか、党是を作れません。

作ったら最後、解党してしまうからです。(笑)

民主党の党是は、強いて挙げるなら、”政権交代”だったのです。
ですから党名を、”政権交代党”にしなければいけなかったのです。(爆笑)

政権交代のために有志(?)が集ったのが民主党なので、党是(中身)を作れないのです。

しかし自民党やその他の政党に、国防に関する定見があるかと言えば・・・、やはりないのですね。

自民党内には、左派も右派もおりますし、護憲派改憲派の寄せ集めです。

民主党が、=政権交代党であったように、自民党は、=政権運営党とも言えますので、
自民党もやはり、事情は民主党とそう変わらないのが現状です。

「日本を取り戻す」というキャッチフレーズで、昨年政権奪取した安倍政権も、
支持率を見ながらの国会運営ですので、国家の防衛よりは、自内閣の政権基盤の方が大事なのかなと勘ぐってしまいます。

今後日本は、

国防定見があるかないか。
その国防定見の、中身はどうなのか。

それを問うように、ならざるを得ないと思います。
そのときこそ、民主党や自民党などの、古い政治体制の終焉となります。

なぜなら彼らには、定見を定めて闘う・・・ということが、怖くてできないからです。
それは、世論を説得できるだけの、確固たる定まった見解がないからです。

定見なき闘いとは、言わば、旧式の兵器です。
幕府軍にたくさんの兵隊がいようと、最新兵器の薩長軍に敵わなかったように、
定見という最新兵器による、古い時代の駆逐が始まるでしょう。

そのときのために今、国民が定見を磨く、努力のときがあるのです。


あたりまえのこと 

2013-11-17 18:30:50 | くじらの詩(うた)

あたりまえのこと

神様が 人を愛して くださること

夜に星が またたくこと

夜が明け 朝がくること


あたりまえのこと

冬がおわれば 春がくること

夏があり 秋が来て また冬がくること

決まったところに 決まったぶんだけ 雨がふること


あたりまえのこと

吸う息があり 吐く息があること

今日も 食事に ありつけたこと

眠りについたら 目が覚めること


あたりまえのこと

父ははたらき 母はご飯をつくってくれたこと

買い物に行ったら 買うものがあること

出かけた家族が またかえってくること


あたりまえのこと

それが いちばん ありがたい

だれも 感謝は しないけど

世の中から あたりまえが 消えたなら

わたしは きっと 途方にくれる



 


侵略すると貧乏になる国 日本

2013-11-17 12:57:00 | 土佐のくじら国防論

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

最近は中朝韓の横暴もあり、かなり薄まってはまいりましたが、
日本では憲法や軍事問題を語ると、まだ軍国主義者や軍事ヲタクと見られる風潮が残っており、残念に思います。

しかし日本が民主主義国家であり、政治には国家を護る義務がある以上、
一市民が国家を護ることに関心を持ち、自らが選出した議員たちが、その義務を果たしているかを監視することは、至極当然のことだと思います。

左翼的心情では、「子供たちを戦場に送るな!」と民衆を煽るのですが、まず大事なことは、
自国を戦場にしないこと であり、戦争の要因そのものを無力化する努力 だと思います。

それこそが愛する子孫を、平和の国家に暮らさせるために、必要な選択だと私は考えます。

ある意味で今なお平和ボケしている、現在の日本国内において常に語られている、不毛な左翼的議論は、
実はそれこそが、日本の平和を害する考え方なのです。

日本人は良くも悪くも 水に流す民族ですから、何でもすぐ、過去の歴史の中に閉じ込めて、
「ああ、昔は大変だったんだね。」 「今は平和で良かったね。」という、話にもって行きたがる人たちです。

つまり、「戦争は過去のことで、今はもう平和の時代なのだ。」という考えです。
これはとても危険な思想です。

ですから、本当の意味で日本人は歴史を真摯に学び、


「戦争の危機は、現在ただ今の出来事ですよ。」
「選択を間違えば、簡単に苦しい時代になりますよ。」
「空襲になりますよ。沖縄が取られたらね。」
「シーレーンが取られたら物不足になって、ハイパーインフレですよ。」という、統一的な見解を持つ必要があるのです。

神風特攻隊や、人間魚雷は物不足が原因です。
よく言われる、『戦争の狂気』ではないのです。

ハイパーインフレは、物不足の状態でしか起きません。
ABCD包囲網によって、戦前のかなり前から日本は物不足でした。

それは、今現在でも簡単に起こせます。
海上封鎖すれば一発だからです。

そして、「平和憲法を守っていれば、平和なのだ」と言う勢力があります。

しかし現実は、好戦的と言って左翼勢力が嫌う大日本帝国憲法と全く同じ欠陥が、日本国憲法にはあります。
それは『現実的な軍事力を行使する権限と範囲の欠如』と、『変えられない』という欠陥です。

それって、矛盾していませんか?
「きちんと議論しましょうよ。」と、私は言いたいのです。

そして最後に、よく平和主義者たちが使う論調に、
「日本が再び軍国主義に向かわないように、日本に軍事力を持たせてはいけない。」という議論があります。

しかし、日本が他の国の領土を取って、何か得することがあるんですか?
どこにもありません。

現在の日本は、防衛以外に軍備を持つ意味が、全くない国なのです。
なぜなら、日本以外の国は、日本よりはるかに貧しいからです。

損するために、軍事力を使う国はありません。

日本再侵略説の議論、そのものが無意味なのです。
大富豪がスラム街に、強盗に行く訳けないからです。

日本は、国防以外軍事力を持つ必要がない、
つまり、侵略する必要そのものがないのですから、こういう国家こそ、強い軍備を持つべきなのです。

左翼主義的平和論ならば、日本の富や領土を狙う泥棒が喜ぶことになります。
むしろ、泥棒が嫌がることをしなければなりません。

そしてかつての日本が、戦争に歩まざるを得なかった原因が、要するにエネルギー問題であるならば、
石油輸入ルート(シーレーン)の確保や、石油代替エネルギーに対して、十分な方法論を構築するべきです。

これが、論理的な議論というものです。

左翼主義的平和への議論は、三つ揃って 『 不毛平和の三兄弟 』 です。

口では「平和を願って」と言いながら、実際は平和が遠のく議論です。
言えば言うほど、頑張れば頑張るほど逆効果なのですね。

こういうことを言う人は、私にはまるで、
借金を返すために、サラ金から資金を借りて、パチンコに励んでいる人のように見えてしまうのです。(笑)

私は、筋金入りの平和主義者ですからね・・・。