釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

何が人の生活のあるべき姿なのか

2014-02-08 19:14:08 | 文化
今朝も氷が張り、霜柱が立っていた。曇天で、午後には細雪が降り続いた。周囲は真っ白に様変わりしてしまった。ほんとうに雪が降ると音が消える。小鳥たちのさえずりも聞こえなくなってしまった。雪で市街地の南側の低い山も見えなくなった。暗くなって来ると、本格的な雪に変わった。今晩も雪が続きそうだ。珍しく釜石でも大雪になりそうだ。釜石は沿岸部にあるため、南からの暖流で内陸より気温が高く、雪も積もることがあまりないが、一冬で何度かは積もることがある。しかし、ほとんどは一日もすれば融けてしまう。同じ東北にありながら、沿岸部は東北の冬のイメージはない。岩手県は四国四県の広さがあるため、地域差が大きい。北海道ほども気温が下がるところさえある。西は秋田県と接するが、秋田に近いほど雪の量も多くなる。沿岸部でも北の久慈市などは冬は時には内陸との交通が雪のために遮断され、一時的に陸の孤島になることさえある。気温が下がり、雪が降る景色を見ていると、東北や北海道の冬の寒さを凌いで来た人々のことが頭に浮かんで来る。戦後、電化製品や石油製品が普及するまでは太古から続いた暖房方法しかなかったのだ。木を燃料とする暖房しかなかったのだ。もう日常的にあたりまえのように使っているストーブ類も長い歴史からするとごく最近利用出来るようになったものなのだ。かまどや囲炉裏では十分な暖は取れなかったろう。ほとんど縄文や弥生の時代の人々と変わらない寒さの中で生活していたのだろう。冬の移動も車が普及するまではソリが使われていたのだ。今の子供たちの世代は生まれてからすでに生活で使われるものがすべて現在の便利な生活器具で満たされていたのだ。歴史の中で現代があまりにも急激に生活様式を変えてしまった。そして生まれた時からその変わった様式があたりまえのものとして存在した世代がいることに少し不安を覚えてしまう。「進歩」は人に快適さを与えてくれたが、それと引き換えに人は動物としての側面を急速に失って来ている。かっては古老が伝えた動物としての人間の知恵も失われて来ている。子供の頃は、風邪を引いたからと言って、すぐに医者にかかるようなことはなかった。今では子供が風邪を引くと早々と母親が医者に連れて行く。しかも高校生にもなっている子供に母親が一緒に付いて来て、母親が子供の状態を説明する。本人はほとんど何も話さない。心身ともに虚弱になって来ているのではないか、と思わざるを得ない。スーパーにも便利な食品がたくさん並び、それらはほとんどが何らかの保存料や添加物が加えられている。口に入るものまで自然、野生から遊離して来ている。人の体質が内部から変えられて行っている。様々のアレルギーはその現れだろう。そう見ると、人の生活がとても急速に変わっていることに驚きと不安が出るのも当然ではないだろうか。人は本来動物であり、その野生を失うことで動物としての強さをなくしている。もはや逆戻りが出来ないとすれば、人はどこに向かっているのだろうか。地球の歴史でも環境の変化が多くの種の絶滅に繋がっている。核物質や巨大な地殻変動などではなくとも人は自ら生み出したもので環境を大きく変えて来ている。豊かな食料と便利な交通手段がもたらす運動不足が生活習慣病を生み出したように、人は自ら病気をつくり出して来た。それは「進歩」なのだろうか。何が人の生活のあるべき姿なのか、何も考えないで流れに乗って生活しているのではないだろうか。
杉木立に積もり始めた細雪

情報規制に疑問を持たないメディア

2014-02-07 19:10:16 | 社会
昨年11月以後、NHKの経営委員が4名交替し、今年1月には新たなNHK会長が就任した。この交替に際し、安倍首相は強引に介入を行なった。その結果、新会長と二人の新しい経営委員は問題発言を行なっている。これまで、NHKのこうした人事は政治家から一定の距離をおいて行なわれて来た。民放は企業から広告料をもらうため、企業の機嫌を損ねることはしない。そのため、放送内容は国や企業に批判的な内容は極力抑えられるものになっている。NHKも国会での予算の承認などで政治家の圧力を受ける可能性があるため、やはり、放送内容は政治家からの圧力の原因にならないよう抑制されたものになっている。しかし、それでも安倍首相や与党から見れば、これまでのNHKの放送には不満があったのだ。まして、「日本を取り戻す」が「戦前を取り戻す」とほぼ同義である安倍首相にとっては自ら掲げた政策への支持をNHKを通して流布させようとの目論見があったようだ。異例の人事介入を行なった。介入によって新たに就任した会長と二人の経営委員の発言からは安倍首相の選定が首相の意向にそった適任者であったことが分かる。二人の経営委員の一人、長谷川三千子埼玉大学名誉教授は就任の1ヶ月前に1993年に朝日新聞社で抗議のために拳銃自殺した右翼団体元幹部について、「神にその死をささげたのである」と賛美し、元幹部の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と追悼文に書いている。そして、毎日新聞の取材に「経営委員には番組作りに関与する権限はなく、追悼文を書いたからといって意図的な特集番組を放送することはありえない。」としている。しかし、事実はこうした新しい人事によってすでに番組に大きく影響が出てしまっている。先月30日朝放送予定であったNHKラジオ第一放送の番組で、中北徹東洋大学教授が「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」と発言する予定であったことに、NHKから「東京都知事選の最中は、原発問題はやめてほしい」との「待った」がかかり、同教授は番組への出演を拒否している。他にもNHKのFM番組でレギュラー出演している英国出身の音楽評論家ピーター・バラカン Peter Barakan 氏に対しても、同じく東京都知事選が終わるまでは原発問題に触れないよう要請していた。バラカン氏は複数の放送局からやはり同じ要請を受けたことを明らかにしている。同氏は2011年3月の原発事故直後の自分の番組『BARAKAN MORNING』でロックグループRCサクセションの「ラブ・ミー・テンダー」を放送禁止にさせられている。原曲「LOVE ME TENDER」の替え歌を2009年喉頭癌で亡くなった忌野清志郎氏が作ったもので、チェルノブイリ原発事故後に反原発の内容を盛り込んだ歌として作詞した。福島第一原発事故後に視聴者からのリクエストが殺到したそうだ。バラカン氏自身はRCサクセションの歌があまり好きではなかったが、あまりにもリクエストが多かったためにこの曲をあらためて聴いて、適切な時期の曲として選んでいた。この時は局側から「風評被害を広げかねない」として止められた。バラカン氏は「風評被害ってなんなの?」と思ったと言う。「要するにうわさ話なわけで、なぜうわさ話が広がるかといったら、ちょうどエイズが蔓延し始めたときと一緒で、みんな事実を知らないから広がるんですよ。でも、しっかりした情報を与えられていれば、その情報に基づいて客観的に色んな判断ができる。ちゃんとした情報がないからこそ、うわさ話も広がるし、風評被害という堅い言葉で言うと、あたかも噂を広げている人たちに悪意があるかのように受け取られる。むしろ、情報を与えていない方が悪い。」と述べている。そして、「一応、民主主義を謳っている先進国の中でここまで情報を事実上規制している国はあまりないんじゃないかな。」と言っている。「日本の放送界は全体的に、視聴者のためというより、局の利益のためにあると思っていると感じることがある。」とも。日本の教育についても「昔から日本に対していつも心配に思ってたのは、お上を仰ぎすぎること。要するに自分で物事を考えない人が多いと思う。日本の教育を見ていると驚きますね。小学校に入って真っ先にやらされることが”前へならえ”。あれはなんの意味もないですよね。」「日本人は、小学校に入るとそれをやることが当たり前になってるから、あえて考えない、ということだと思う。そういうことで、小さい頃から管理しやすくなるように仕込まれている部分があって、授業でも先生の言うことをただ聞いて、ノートを取っていれば試験にちゃんと合格できる詰め込み教育。」と語っている。メディアの情報の自己規制一つを見ても、この国には民主主義を形骸化させる仕組みがあり、その淵源は教育の中にすでに組み込まれているようだ。
ゴイサギの後頭部から冬だけ見られる白い冠羽が伸びている


細胞のリセット

2014-02-06 19:19:33 | 自然
今朝は-7度まで下がった。家の外にしばらくいると、足先が痛くなってしまった。最高気温は1度にしかならなかった。昨夜半には久しぶりに地震で物が落ちて来た。震度は3だったが、少し長く感じた。過去30日の地震の震源地を見ると相変わらず、東日本の太平洋側が圧倒的に多い。来月で大震災から3年になるが、あれだけの地震だったので、余震も長く続く。今日でこのブログも開設からちょうど2000日を迎えた。現在毎日200~300人の方が訪問して下さっている。その方たちのおかげでこのブログも継続させていただいている。さすがに毎日の更新は大変なのだが、訪問して下さる方々のことを考えると、気持ちを奮い立たせて書き続けさせていただいている。この場を借りて皆様に感謝申し上げます。 先日、神戸市の理化学研究所、発生・再生科学総合研究センターの小保方晴子研究ユニットリーダーの万能細胞「STAP細胞」について書いたが、共同通信によると、その共同研究にあたった米国ハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授のチームが人の皮膚細胞から「STAP細胞」を作った可能性があるとの発表を昨日している。現在、それを証明出来る遺伝子解析を行なっている。これが証明されれば再生医療への大きな前進となるだろう。医療の大きな課題に障害された臓器・組織の回復と癌の克服がある。2012年2月、東京医科歯科大学の吉田清嗣准教授の研究チームは癌の増殖を制御する酵素を発見したと論文で発表した。癌細胞は一般の細胞に比べて、細胞分裂のサイクルが早い。癌の異常に早い増殖は癌の転移にも関係する。細胞分裂のサイクルは4段階に分かれているが、癌細胞は最初の段階が異常に早い。チームは細胞核の中で癌抑制遺伝子を働かせるスイッチの役割を果たしている酵素「DYRK2」を取り除くと、細胞分裂のサイクルの第一段階だけが異常に早くなり、細胞の増殖が活発になることを発見した。酵素「DYRK2」の存在が癌の増殖を抑えることが新たな治療法開発に結び付く可能性がある。先月には熊本大学の尾池雄一教授(分子遺伝学)らの研究グループが癌の転移を促進させる特定の蛋白質の仕組みを解明し、この蛋白質の働きを抑える酵素を発見した、と発表している。尾池教授らは肺癌や乳癌の癌細胞から分泌される「ANGPTL2」と呼ばれる蛋白質が癌の転移や周囲に広がる癌の浸潤を促進することを見つけた。そして、「TLL1」と呼ばれる酵素によって「ANGPTL2」を切断することが出来、切断すると癌の進行が遅くなることも確認している。癌の転移や浸潤を抑える治療に結び付く可能性を秘めている。また、やはり先月の末には鳥取大学医学部病態解析医学講座薬物治療学分野の三浦典正准教授の研究チームはさらに画期的な発見をしている。これまでに複数種の「マイクロRNA」によって癌細胞を良性細胞へ変えることに成功した報告はなされていたが、三浦准教授のチームはただ1種類の「miR-520d」と言われる「マイクロRNA」を使うことで悪性度の高い癌細胞が正常か良性に変わった。悪性度が高いほど、短時間で良性に変わっている。万能細胞を創り出す研究では今回の小保方晴子博士らの研究のように、すでに身体の構成部分になってしまった細胞を何にでもなり得る細胞に引き戻すことに成功している。三浦准教授の研究も正常から癌に変化した細胞を、再び正常あるいは良性に引き戻すことに成功したのだ。両研究とも変化した細胞をある意味で原点に引き戻すという意味で、極めて画期的であり、再生と癌抑制の両課題に重要な方向性を与えている。
透過光を受けた薬師公園の山茶花

縮小されて行く基礎研究

2014-02-05 19:12:20 | 文化
今朝起きると雪が舞っていた。一昨日の春を思わせる気温と大きく変わって、今朝は-6度になり、日中もー3度が最高で、一日氷点下の気温の日になった。さすがに東北の冬は一筋縄では春に近づけないようだ。犬の水入れもしっかり凍っていた。ただ釜石のありがたいところは内陸ほど雪が降らないことだ。今朝の雪も路面の所々で凍っているが大部分は雪が残っていない。さすがに氷点下が続いたために庭には融けずに少し雪が残っている。一昨日、一旦雪が融けた市街地周辺の山も今日はまた雪を冠ってしまった。一冬でも今日のように終日氷点下と言うのは釜石では珍しい。 体長が50μmから1.7mmのクマムシは4対の足でゆっくり歩く。そのため緩歩動物とも呼ばれる。地球上のあらゆる環境で生息し、種類は1000を超えている。このクマムシは米国航空宇宙局(NASA)も注目し、研究されている。クマムシは長期の乾燥状態に耐え、150度の高温や-275度の低温にも耐え、人の致死量の1000倍以上のX線や紫外線、電子線にも耐え、75,000気圧もの高圧にも耐え、宇宙空間のような真空状態にも耐える驚異的な能力を備えている。5億年前のカンブリア紀の化石からも発見されている。2007年9月フランスに本部を置く欧州宇宙機関( ESA)の衛星フォトンM3(FOTON-M3)はクマムシを10日間真空の宇宙空間に暴露したが、クマムシは生きていた。クマムシが何故こうした耐性を維持し続けているのか。また、何故、そうした耐性が獲得出来ているのか。科学者たちはその謎に取り組んでいる。顕微鏡で見たクマムシはクマに似ていることから名付けられたが、クマは冬になると穴の中で冬眠する。同じようにクマムシは乾燥状態が続く中では乾眠し、低温では凍眠する。乾眠中のクマムシは水分が3%にまで極端に減っている。最近、ニホンイシガメやクサガメなどに寄生する淡水性のヒル、ヌマエラビルがー196℃の液体窒素で凍結しても死なず、ー90℃の環境下で32カ月間も生存し続けることが、東京海洋大学と農業生物資源研究所の研究チームによって発見された。ヌマエラビルの孵化直後の幼体と、孵化前の卵についても同様な実験を行ったところ、孵化幼体も生存し、解凍した卵からも正常に幼体が孵化した。ヌマエラビルは体長が10~15mmで、日本では分布は東は千葉県、石川県から西は山口県までで、四国では北部で、九州ではまだ現在棲息が確認されていない。クマムシやヌマエラビルは現在の地球環境では不必要な低温耐性を持っている。こうした耐性メカニズムの解明は生物学的にとても重要になる。また、生物の進化とも関連して、どういう環境の中でこの種の耐性が獲得されるに至ったのか。高等動物である人間の遺伝子レベルの研究が進む中で、こうした比較的単純な生物に驚異的な能力が備わっていることは実に驚かされることだ。地球上にはまだまだ人知の及ばないことがたくさん残されている。そこには人間にとっても多くの科学的発見に繋がるものが含まれている。内閣府には基礎研究及び人材育成部会が設けられ、11人の大学教授、准教授や企業担当者で構成されている。そこで出された意見がまとめられているが、何よりも現在の日本の基礎研究分野では基盤経費が減額され不足し、研究費が採択されそうな流行分野(安全・安易・独創的でないテーマ)に研究課題が集中しているとしている。また、自然科学系の研究者に年齢的なヒエラルキーが強すぎ、若手のポストが不足し、国際的な研究協力不足や外国人研究者に魅力的な環境が不足していると述べられている。生物学のような基礎研究は地味で、ポストも限られるため優秀な人材を集めにくい。人体に直接関連する生命科学の方が脚光を浴びやすいし、ポストも増えている。しかし、科学の探究は裾野が広いほど発見や発明に至りやすいのであり、その裾野を広げるのが基礎研究だ。日本の企業も米国と異なり、短期的成果を求めるあまり、長期の基礎研究への支援はほとんどしていない。政治家も企業献金を頼りにするため、企業に有利となる政策へしか財源を投じない。医療・福祉と並んで教育・研究へは財源を縮小して行く一方だ。先進国となった国こそ基礎研究を重視しなければ、いずれその「先進性」を失って行くだろう。
水中を流れて来たパン屑を狙うオナガガモ

時代を読めない為政者が日本を滅ぼしている

2014-02-04 19:47:17 | 経済
昨日とは変わって、今朝は気温が下がっていた。それでもありがたいことに庭の水道は凍っておらず、素直に出てくれた。昼頃から雪が降り出し、午後も雪が続いた。湿った雪なので道路の雪はすぐに融けて行く。この時期そろそろ福寿草が咲いているのではないかと、出勤時に少し寄り道をして、例年見ている個人の庭を見てみたが、残念なことに整地をしてしまっていて、福寿草はすべてなくなっていた。とても残念だ。昼休みには雪が舞う中また白鳥たちに餌をやった。今日はキンクロハジロの番も近づいて来た。 政府は今日、設備投資や給与引き上げを促すためと称して企業減税のための本年度の税制改正の関連法案を閣議決定した。円安と株高の中で企業収益は回復して来た。巨額の財政出動と大幅な金融緩和というアベノミックスは日本の経済構造の変化を無視してただ国費を無駄遣いするばかりである。確かに輸出産業は円安と株高によりとりあえずの利益を確保したが、企業が自律的に今後成長を果たして行けるかは大いに疑問である。貿易収支は前年に続いて過去最大の赤字額更新となった。輸入が大きく増えて、輸出は微増である。原発を推進したい政府の意向を反映した各紙は赤字の原因を原発停止による燃料費の増加が原因であると喧伝する。2013年の貿易収支赤字額は11.5兆円である。過去3年間に18.1兆円もの赤字となっている。その3年間で年間の輸入金額は60.8兆円から81.3兆円まで20.5兆円(33.7%)も増加した一方、年間の輸出金額は67.4兆円から69.8兆円まで2.4兆円(3.5%)しか増えていない。過去3年間の日本の原油・粗油の輸入は4.8兆円増加しているが、数量は1.4%の減少となっている。液化天然ガス(LNG)は輸入額が3.5兆円から7.1兆円となり3.6兆円増えた。額では倍増しているが数量は25%しか増えていない。増えた3.6兆円のうち2.7兆円は価格上昇と円安によるものであり、数量の寄与は0.9兆円なのだ。過去3年間の18.1兆円の赤字のうち7.5兆円は価格の上昇と円安によるものであったのだ。対アジア貿易の黒字は2010年の10.3兆円から2013年の1.9兆円まで8.4兆円も減少してしまっている。過去3年間の18.1兆円の貿易収支悪化のうち8.4兆円は対アジア貿易の収支悪化によるものであり、実質的に貿易収支悪化の主因は原発停止によるものではなく、対アジア貿易にあった。では、何故対アジア貿易の収支が悪化したのか。理由は簡単である。日本企業の生産拠点がアジアにシフトしたのだ。新興アジア諸国と価格競争を激しくして行く中で、家電産業は国内工場の拡大を行なって行ったために賃金の低いアジア諸国に太刀打ち出来なくなり、大幅な減益となった。その家電産業の疲弊ぶりを見れば、旧来の製造業はあくまでも価格競争の視点で生き残ろうとして生産拠点をアジアに移して行ったのだ。アベノミックスはその日本の製造業を国内に留まらせようとして企業優遇策を打ち出している。低賃金労働を可能とする政策はそのためにある。1992年に1603万人いた製造業の就業者数は2012年には998万人となり38%も減少してしまっている。日本の産業構造は否応なく変わってしまっているのだ。それを政府は認識せず、旧来の「日本を取り戻す」と言っている。旧来の産業構造を維持しようとすればするほど就労者の賃金は低下せざるを得ない。アジア諸国とは価格的に太刀打ち出来ないからだ。アベノミックスは大規模な公共投資により見かけ上の需要を喚起してしているが、そのために国の債務残高は90年代後半の400兆円台から本年3月末には1100兆円を超える見込みとなっている。いつまでもカンフル剤を使い続けることは出来ない。アベノミックスの第三の矢である成長戦略があまりにも貧弱なのだ。そこでは日本の産業構造の変化にまったく対応が見られない。もう自動車や家電では日本は経済的に生き残っては行けないのだ。衣類はすでにmade in Chinaが普及し、電化製品にも浸透して来ている。made in Chinaの自動車が国内を走るのも時間の問題だろう。国税庁の2012年の「民間給与実態統計調査」によれば給与所得者の平均給与は1997年以来の減少傾向が続き、1997年の467万円が2012年には408万円となった。アベノミックスは労働者の流動性を高めるために雇用条件の緩和を押し進めている。その結果、賃金は一層低下して行くだろう。今後生産年齢人口の減少が続いて行く中で、このままでは国内需要は確実に低下して行く。今の日本が必要なのはアジア諸国が追随出来ない高付加価値の製品を創り出し、同じく付加価値の高いサービス業を創出することで就労者の賃金を高めることだ。。まさにそれをドイツが行なっている。
キンクロハジロの番 手前が雌


若い世代の活躍

2014-02-03 19:17:09 | 文化
今日は全国的に南からの暖かい空気が流れ込んで来て、釜石では朝、10度にもなっていた。日中は15度まで上がった。いつもの冬の服装だと暑いほどだった。しかし、この暖かさも一日だけでまた明日には真冬日に逆戻りする。暖かい気温の中で、職場の裏山ではいつものごとく、ゴイサギが休んでいた。最初は1羽が椿の木に止まり、その後もう1羽がその近くの木にやって来て休んでいた。昼休みには甲子川へ出かけた。白鳥たちが寄って来ると、ウミネコやカラスだけではなく、オオバンやカルガモ、オナガガモなどのカモ類も最近は近づくようになってきた。白鳥たちの餌のおこぼれを食べているようだ。 1日に行なわれたローザンヌ国際バレエコンクール第42回大会の最終審査で、6位までに日本人が3名入り、1位、2位、6位を占めた。同コンクールは15歳から18歳の若いバレーダンサーの育成のために毎年スイスのローザンヌで開かれている。一昨年の大会で初めて日本人が1位になった。今回で二人目になる。今回1位となった高校2年の二山治雄君は身長が166cmで国際的な舞台では低いが、そのハンディを感じさせない踊りで審査員たちを魅了させた。練習に厳しく励んだ結果だと言う。ここのところ日本人のバレーダンサーの活躍が顕著だと言う。日本には5000ものバレー教室があって、40万人がバレーを習っているそうだ。1908年(明治41年)に川上音二郎・貞奴夫妻が「帝国女優養成所」を創設し、3ヶ月後に帝国劇場(帝劇)が定礎され、翌年の1909年に「帝国女優養成所」を帝劇が譲りうけ「帝国劇場付属技芸学校」とされ、ミス・ミクスが舞踊教師として雇用された。その後1912年10月にイタリア人ジョバンニ・ヴィットリオ・ローシーが帝国劇場歌劇部のバレエ・マスターとして来日する。翌年の1913年には小林一三によって宝塚少女唱歌隊が結成された。1917年にロシア革命が起きると多くの亡命者が出たが、「瀕死の白鳥」で米国にもデビューして世界的に知られていたアンナ・パヴロワも国内の変化に早くから気付き、1912年にすでに英国に移住していた。1922年(大正11年) には来日し、全国8都市で公演し、バレーを日本国内に広く知らしめた。日本へもサンクトペテルブルクの貴族出身であったエリアナ・パヴロワがヘルシンキ、ハルビン、上海を経て、1920年(大正9年)に亡命し、1927年(昭和2年)に鎌倉の七里ヶ浜に日本では初めてのバレエの稽古場を開く。1937年には帰化し、霧島エリ子と名のった。後に「日本バレエの母」と呼ばれるようになったが、1941年(昭和16年)日本軍を慰問した南京で亡くなり、靖国神社に祀られている。1936年には日本人外交官と結婚したオリガ・イワーノヴナ・パヴロワが小林一三の薦めで日劇ダンシングチームのバレエ教師に就任している。これら三人の「パヴロワ」はいずれもロシアのサンクトペテルブルク出身だが、姻戚関係はない。しかし、「三人のパヴロワ」として、日本では日本バレエ界の恩人とされる。この3人の貢献により日本のバレーは広く浸透して行き、各地に門下生たちがバレー教室を開いて行き、若い世代を育てることに繋がって行った。戦後はソ連をはじめ、欧州、米国のバレーが世界でも突出していたが、日本でのバレー教室で育った若い世代が徐々に頭角を現し、近年では日本のバレーは世界でも層の厚いレベルの高いものとなり、国際舞台で多くの日本人が活躍するようになっている。しかも、日本に続いて韓国や中国が欧米よりも全体にレベルを上げて来ている。現在の10代後半の世代は体格的にも一般的に欧米とかなり近いものになって来ており、歳月をかけて地方にまで十分浸透した成果が近年のコンクールで現れて来ているのだろう。このことは別にバレーに限ったものではないだろう。どの分野もたゆまぬ努力で若い世代の世界的な活躍が見られるようになって来ている。整った環境が能力を引き出したとも言えるだろう。その意味では、むしろ、今後もこうした環境が維持されて行くかどうかが問題になって行く。
憩いの水辺

静か過ぎる列島の火山活動

2014-02-02 19:15:48 | 自然
今朝まで雪が降っていたが、雨に変わり、一日ぐずついた天気になった。おかげで、さほど気温は下がらず、寒さが和らいでくれた。小雨が降る中、玄関先には今日もセグロセキレイが姿を見せ、1mほどの距離をゆっくり通り過ぎて行った。庭では素心蝋梅に続いて、一輪だけだが満月蠟梅も開いて来た。冬の殺風景な中で、黄色花が目立つ。よく見ると近くで山茱萸(さんしゅゆ)の蕾も出ていた。椿の蕾もまた一段と大きくなっていた。明日は節分で、明後日には立春になる。暦の上ではもう春になる。そろそろ近所で福寿草が咲き始めているかも知れない。そのうち覗いてみようと思う。 昨日、インドネシアのスマトラ島北部のシナブン山(標高2460m)が噴火して、14人が犠牲となった。噴煙は2000mの高さに達し、噴石などが火口から4.5Kmの範囲にまで飛び散った。スマトラ島の南にはユーラシアプレートとオーストラリアプレートの境界が走っている。インドネシアでは過去1000年の間に地球規模の被害を与えた巨大噴火が3回も起きている。過去200年間の世界での噴火による犠牲者の半数はインドネシアの巨大噴火による。2000年以後ではスマトラ島沖ではM(マグニチュード)7以上の地震も10回起きており、M8.5以上の地震が4回起きている。2012年4月のM8.6の地震では新たなプレートが生まれてもいる。地球は常に動いている。地球上にはプレート境界が分布し、プレートの動きのために境界付近では地震や火山の噴火が起きる。古代ギリシアの哲学者であるアリストテレス(紀元前384年~紀元前322年)は『気象論』の中で2章を「地震論」にあてている。日本列島はギリシア以上に地震や噴火の多発する地帯であり、日本列島そのものが地震と噴火で生まれたと言っても過言ではない。日本では過去15万年の間に超巨大噴火であるカルデラ噴火は14回起きている。カルデラ噴火は日本列島全域に大きな被害をもたらす。9万年前の阿蘇カルデラ噴火では火山灰は北海道でも10cm以上積もっている。火砕流堆積物は近傍では100mの厚さに達し、150Kmの範囲にまで火砕流が達している。日本では世界の火山噴火の10%が起きている。カルデラ噴火は火山ガスの二酸化硫黄と水が結合して硫酸のミストを創り出し、それが地表近くを覆うため、陽光を遮り、気象の悪化をもたらす。7万4000年前のスマトラ島北部での長径100Km、短径30Kmもの超巨大カルデラ噴火では地球上の人類が死滅しかけたとまで言われている。9万年前の阿蘇カルデラ噴火は20Km のカルデラであった。火山噴火では地震の規模を表すM(マグニチュード)と同様の火山爆発指数(VEI)が設定されており、噴出量により0~8段階に分けられている。8が最も多い。7万4000年前のスマトラ島の噴火が8であった。日本で最後のカルデラ噴火であった7300年前の九州の南の鬼界カルデラ噴火は7で、南九州の縄文人たちは壊滅状態になった。火山灰は関東にまで達した。1707年の富士山の宝永噴火は5であった。5以上では1739年の北海道の支笏湖の南にある樽前山の噴火が最後となっている。樽前山の噴火までは指数5以上の噴火は頻回に起きていた。以後の噴火の静穏さは世界的な火山地帯を考慮しても異常なほどになっていると、火山学の東京大学地震研究所中田節也教授は考えておられる。1914年の桜島大正噴火と1929年の北海道駒ヶ岳の噴火がともに指数4で、その4の噴火でさえ以後ぴたりと止まってしまっている。同教授は近年の日本の静かさは異常であり、比較的大きな噴火が起きても不思議ではないとされる。日本の原発はこの火山活動の静穏になっている時期に導入されて来た。インドネシアはかって原発を建設しようとしたが、予定地が火山の裾野であったために火山学者たちが噴火の影響を論文で訴え、中止となった。インドネシアは現在も原発を導入していない。東欧のアルメニアには火山帯の中心に原発が建設されている。火山研究者たちは原子力発電所の設置基準に火山活動が考慮されていないことを国際原子力機関(IAEA)に申し立てて、20年もの歳月をかけて、ようやく、2012年に基準が出来たばかりである。従ってそれ以前に設置された原発は、日本の場合はすべてがそれにあたるが、火山活動はまったく考慮されていないに等しい。原子力規制委員会の審査が進んでいるとされ、再稼働一番手の可能性もある四国電力の伊方原発3号機の再稼働について、1月25、26の両日、共同通信と徳島新聞、四国新聞、愛媛新聞、高知新聞は合同で、四国4県の住民を対象に電話世論調査を実施している。その結果、「再稼働すべきでない」「どちらかといえば反対」と言う回答が計60.7%となっている。原発を「不安」「やや不安」とした人は計86.9%に達している。防災学の原典とされる英国ロンドン大学のベン・ワイズナーBen Wisnerの『防災学原論』では災害素因は社会基盤の脆弱性にあり、地震や火山の噴火はあくまで誘因であるとしている。
雨滴のついた満月蝋梅

砂糖

2014-02-01 19:18:30 | 文化
昨夜は雪が深々と降っていた。街灯に照らされた雪が音もなくゆっくりと落ちて来る様を見ていると幻想的ですらあった。あいがたいことに多くは積もらず、今日の日中にはすべて融けてくれた。最近の天候を見ていると昼過ぎまで日が射し、午後に少し入ってから雲が多く流れる、と言う変化が繰り返されている。昼頃には風もなくなり、いい日射しが射していた。そんな中で、庭の素心蝋梅(そしんろうばい)の花が3輪ほど開いて、とてもいい香りを漂わせていた。花の限られたこの時期、蝋梅が咲くと春が近いことを思い出させてくれる。その香りも寒さを忘れさせて、和みを与えてくれる。 お酒が飲めないせいか、甘いものが好きで、コーヒーなどもストレートではなく、砂糖を少し入れていた。最近、その砂糖の身体への影響について少し考えるようになって来た。そのついでに人類の砂糖はいつ頃から手に入れたのか、関心が出て来た。どうも人類の甘味料の最初は蜂蜜だったようだ。紀元前6000年頃に描かれたスペイン東部のアラーニャの洞窟の壁画には女性が高い崖で蜂の巣を採集しようと手を伸ばした絵が描かれているそうだ。紀元前2400年頃のインドの仏教典にはサトウキビから作られた「サルカラsarkara」の記録が出ていて、この言葉が「サトウ」の語源になったと言われる。英語の「sugar」やフランス語の「sucre」もこの言葉に由来するとされる。サトウキビはニューギニアが発祥地で、何千年も前からアジアの熱帯地方では皮をはいで、茎を噛んで甘い汁を飲んでいた。紀元前327年にマケドニア王アレクサンドロス3世、通称アレキサンダー大王がインドへ遠征し、サトウキビを知ったようだ。記録には「インドには、蜂の力を借りずに葦からとれる蜜がある。」「噛むと甘い葦・噛むと甘い石がある。」と書かれているそうだ。古代インド北部でサトウキビの汁を土鍋に入れ直火で煮詰めて汁を固めてサトウを人類で初めて作った。それが後に中国に伝わり、中国ではサトウが貴重であったが、主に漢方に使われるようになった。漢方の7割以上にサトウが使われているのだと言う。一方で、インドから西へもアラビア人のイスラム教の拡大とともに広がり、イタリアのベネチアを中心に十字軍により、一層欧州に広がって行った。15世紀には新大陸へも伝わり、その後、奴隷貿易に押されて、サトウキビ栽培が広がって行った。18世紀末に欧州でナポレオンが台頭して来ると、大陸封鎖でサトウが大陸に入りにくくなった。そのため、ドイツではサトウキビに代わって甜菜からサトウを得る方法が生まれ、寒い国でも栽培出来る甜菜が広まった。日本にはサトウは8世紀に薬、漢方として入ったとされる。825年の「正倉院」献納目録の「種々薬帖」に「蔗糖」の名で出ているのが日本の記録の最初だとされる。仏教や漢方は8世紀以前の九州王朝の時代に中国南朝から伝わっていたはずであり、近畿王朝によって九州王朝の史書が抹殺されたため、すべての歴史事実が本来よりも遅く日本へ伝来した形になってしまっている。いずれにせよ、日本では長い時代に渡って、サトウは貴重品であり続けた。江戸時代になり徳川吉宗の命でサトウキビ栽培が奨励されたことで、四国の讃岐、阿波の二藩が積極的にサトウ作りに乗り出し、「和三盆糖」と呼ばれる高級砂糖が作られ、和菓子などに利用されるようになって行った。1870年に明治政府は甜菜の試験栽培を開始し、その後、東北や北海道でも栽培されるようになり、1880年に日本で初めて北海道に甜菜糖工場が建設された。砂糖は現在南で育つサトウキビと北で育つ甜菜の二つから作られている。一般に南で育った植物から得られる果物は身体を冷やし、北で育った植物から得られる果物は身体を温めると言われる。同じ砂糖であっても甜菜由来の砂糖は身体を温め、サトウキビ由来の砂糖は身体を冷やすとされる。このあたりは東洋医学によるものと思われる。戦後の日本は欧米からの食品が大量に入り、食生活が大きく変わった。それに伴い、病気もずいぶんと増えて行った。食生活は毎日のことであるから、その積み重ねが人の身体を変化させるのだ。欧米で和食が注目されるのもそこに理由がある。スーパーの食品を見ると、ほとんどに調味料、甘味料、保存料が添加されている。便利さの代償に我々は自らの身体を投げ出しているのかも知れない。
庭の素心蝋梅 とてもいい香りを漂わせていた