釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

子供たちの教育

2014-02-18 19:17:18 | 社会
今朝は-2度で、朝から青空が見えていた。愛染山の南を雲が流れ、朝日を遮っていたが、雲が去って行くと、徐々に山頂が朝日に照らし出されて来た。その眺めがとても清々しく見えた。出勤時に6羽の白鳥たち親子の姿は見えたが、他の3羽の白鳥の姿はなかった。日中も良く晴れていたが、気温は2度までしか上がらず、風も冷たかった。職場の裏山ではゴイサギを1羽だけ朝見かけたが、午前中のうちにいなくなってしまった。職場の窓から薬師公園を見ていると、何羽かの小鳥がやって来た。よく見ると冬場だけ山から平地に下りて来るアオジだった。大きさも模様もスズメに似ているが、頭は緑がかったグレイで、お腹が緑で、スズメよりは綺麗な模様をしている。たいては群れで見かけることが多い。 2006年12月第一次安倍内閣によって戦後維持されて来た教育基本法の改定案が強行採決された。これにより法律的には教育に於ける民主主義が大きく交替した。1947年に成立した教育基本法は国家に対して、教育に関する国民への責務を定めた。第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきもの」と謳っていた。それを「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と変えてしまった。前者では国民が主体であったが、後者では国家が主体となってしまった。また前者では「自主的精神に充ちた・・・国民の育成」であったものが後者では「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた・・・国民の育成」に変えられてしまった。個人を育成する観点から国家や社会に適応する人材を育てる方向へ転換された。1989年に国連が定めた児童の権利に関する条約、通称子供の権利条約についても政府は批准をしぶり、ようやく第37条Cを保留にし、2項を独自解釈するなどして1994年に批准された。その後の度重なる国連からの勧告にも誠意的には答えていないばかりか、広く公表もしていない。戦前回帰を目指す安倍首相はこうして国民のための教育から国家のための教育への法的な変更を成し遂げた。次にはそれを実践させるための組織造りになる。それが現在報じられている「教育委員会制度改革」である。これまで自治体での教育は教育委員会が責務を負って来た。教育委員の中から教育委員長、教育長が選任される。教育長は事務の執行者であり、言わば役人と同列である。今回の改正は現段階では教育委員長、教育長を兼務した「代表教育委員」とし、首長が直接任命権を有するものとされようとしている。これが実現すれば、国家の思う教育運営が可能となる。教育に於ける政治的中立性などは完全に崩壊する。戦後、個性ある教員が次第に姿を消し、教科書検定により文部官僚が教科書を管理し、同じく指導要領と言う官僚お得意の手法で、法規を経ない、つまりは国会でのチェックを経ない形での教員の管理を行なって来た。「日本を取り戻す」安倍首相は教育をこれまでと180度方向を変えた国家のための教育に大きく変えようとしている。武器輸出の緩和により軍需産業をより強大にし、軍備を増強すると同時に、軍事活動の範囲を広げようとしている。あえて、近隣アジア諸国と対立し、不安を煽ってもいる。安倍首相が頼りとする米国すら危惧している状況だ。「日本を取り戻す」ことに執着した安倍首相は、自分の理念だけしか見えていない。国民も日本を取り巻く情勢も視野には入っていない。アベノミックスは膨大な国費の浪費であり、そのつけは後世に残される。震災復興、東京オリンピックに加え、やみくもな公共事業により建設労働者や資材の不足が深刻になっている。強引に教育で子供を変え、軍事活動を拡大することで周辺国に不信感を持たせ、国費を浪費することで企業からの支持を確保しようとしている。戦後に導入された理念としての民主主義を深めるどころか、むしろ、崩壊させているとしか思えない。主体が国民から国家に大きく変わろうとしている。世界の先進国とされる国々のなかでも異質で、孤立の道に入ろうとしている。少子高齢化が進み、人口は減少する。経済の支柱であった自動車や家電産業もこれからは斜陽化して行くことが見えている。こんな状況の今の日本こそ、自由な発想の出来る子供たちが求められている。これまでも官僚を育てるための暗記主体の教育でしかなかった。自分で考え、自分の意見をどこでも言える子供の育成こそが今の日本には必要なのだ。しかし、安倍首相はただただ過去の日本にこだわるだけで、日本の現在や未来を見ていない。少子化の歯止めすらなんの対策も打たれていない。国民は今後実質所得は確実に減少し、ますます貧しくなって行くだろう。「貧困大国アメリカ」を後追いしているのが日本なのだ。子供の数が増えようがないだろう。教育はこれから一層画一化されてしまうだろう。国家に従順な子供が安倍首相の理想像なのだろう。
薬師公園のアオジ

安重根(アン・ジュングン)

2014-02-17 19:21:18 | 歴史
今朝は-1度で日中も晴れてくれた。出勤時の主要道路はほとんど雪がなく、道路脇に雪が積まれていた。ただ脇道にはまだ雪が残っている。職場の裏山には今日はゴイサギの姿が朝から見られなかった。所用で釜石駅近くに昼休みに出かけたが、その際通った甲子川に架かる大渡橋の上から白鳥たちの姿は見ることが出来た。ゴイサギや白鳥たちを見るのが、日課のようになっている。ゴイサギなどは職場でも多くの人が気にするようになって来た。明日から明後日にかけてまた低気圧が南から北東へ進んで来るようだが、山梨県ではこれまでの観測史上の記録を倍する大雪が降り、胸の高さに達したようだ。いくつもの街が孤立しているようだ。また大雪にならなければいいが。 岩手が生んだ石川啄木は26歳で亡くなる2年前、1910年8月に論文『時代閉塞の現状』を書いた。同じ月に韓国併合条約が調印された。歌集に収録されていないが「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聴く」を歌っている。この論文を書いた後、啄木は社会主義に傾倒して行く。3ヶ月前の5月には幸徳秋水の大逆事件が起き、啄木に大きな衝撃を与えている。翌年の1911年に『日本無政府主義と陰謀事件及び付帯現象』で、幸徳事件が冤罪であることを克明に記している。その後雑誌『創作』に『呼子と口笛』を発表している。その「ココアのひと匙」は「われは知る、テロリストの かなしき心を――」で始まる。大逆事件の1年前、1909年10月26日には日本で初めて総理大臣となった伊藤博文が暗殺されている。場所は中国吉林省のハルビン駅で、ロシア蔵相ココフツォフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合う目的で訪れた。暗殺者は安重根(アン・ジュングン)であった。安重根は1年前から大韓義軍参謀中将兼独立隊長として日本軍との戦闘を行なって来ていた。1904年、満州と朝鮮半島をめぐって、日露戦争が行なわれ、日本が勝つと朝鮮半島への日本の影響は圧倒的となり、次第に大韓帝国の独立国としての権利は日本に奪われて行く。日露戦争が終結した1905年には大日本帝国の保護国として外交権なども奪われ、日本の韓国統監府が設置され、初代統監に伊藤博文が就任した。伊藤博文は父が萩藩の下級武士伊藤家に養子に入ったため姓が林から伊藤に変わった。長じて、吉田松陰の松下村塾の門下生となる。松蔭は「朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ」とあるように朝鮮を属国とすべきと考えていた。松陰門下生はそれを維新後に実行して行った。伊藤博文を殺害した安重根はカソリック信者であり、祖国の権益が損なわれて行くことに抵抗した。ロシアの官憲に逮捕された後、日本へ引き渡され、旅順の監獄に移され、そこで絞首刑となった。監獄を管理した憲兵千葉十七は安重根の人柄に打たれ、最期には敬礼で送っている。先頃、中国黒竜江省のハルビン駅に「安重根記念館」が開設された。すでに韓国ソウルにも「安重根義士記念館」がある。ハルビン駅に「安重根記念館」が開設されたことに対して、先月、菅義偉官房長官は「安重根は我が国の初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだと認識している」と語った。しかし、暗殺がテロリストであれば、伊藤博文もまたテロリストであった。倒幕運動の中で、勤王の志士として、伊藤博文もやはり暗殺を行なっている。近現代史の人物論にも詳しい作家半藤一利氏は「若いころに暗殺を行っていた者が初代総理大臣となったことは、近代国家の始まりとして問題だったのではないか」と疑問を呈している。安重根は獄中で『東洋平和論』を書いたが未完のまま最期を迎えた。歴史には多くの戦いがあり、勝者と敗者が登場する。近代は帝国主義による弱小国の植民地化が行なわれた。支配国と属国となった国では事象の捉え方が異なる。特に侵略を受けた国はそのことを決して忘れることがない。日本は侵略した側であり、ドイツのようにそれを忘れてはならないはずだが、多くの為政者がその事実を軽んじたり、忘れてしまっている。そして、それが外交を誤らせることに繋がって行くのだ。日本では明治の元勲と言われても、支配を受けた国では単に支配国の代表としてしか映らないのだ。
釜石駅前

釜石の雪

2014-02-16 19:18:25 | 自然
昨日、午後から夜にかけて降ったみぞれ状の雪で、屋根に積もった雪が今朝までに大部分が落ちて来た。そのために、せっかくこれまでに庭に積もった雪の中に作った通路も塞がれ、犬の囲いのドアも塞がれていた。朝はそれらの雪かきに追われた。北海道で育った犬なので庭に降り積もった雪の中で、むしろ興奮気味で、雪の中を駆け回っていた。午後には青空も顔を出して来た。昼過ぎに所用で職場に出かけたが、甲子川の浅くなった川底の石の見えるところで鹿たちが4、5頭膝を折って休んでいた。とてものどかに見えた。6羽の白鳥親子も相変わらず姿を見ることが出来た。主要道路はみぞれのおかげで大部分が雪が消えていた。しかし、脇道へ入ると、シャーベット状の雪が残り、かえってタイヤが取られてしまう。あちこちの住宅の前ではまだ除雪の風景が見られた。東北では釜石は例年雪の積もらない地域なので、タイヤはさすがにスタッドレスになっているが、みんな雪道には慣れていない。だから、雪の残る道路ではかなり慎重な運転になるため、すぐに渋滞となる。実際、雪道はけっして油断が出来ない。路面の状況は車の移動とともにめまぐるしく変化する。路面を読み違えると、とんでもないことになってしまう。積雪になれていない街なので、除雪体制も十分ではなく、除雪の仕方も決して上手くはない。大部分が手作業になる。せっかくショベルカーがある関連施設の除雪もそのショベルカーの運転自体に慣れていないために除雪効率も良くない。今回のような大雪になると東京などの大雪と大差のない混乱があちこちで見られるようになる。JR釜石線などは簡単に不通になるし、いくつかの道路も除雪がされていないために通行止めになってしまったりする。この冬は全国的にも異常で、観測史上最多の積雪を記録したところが何か所もあるようだ。米国では先月に続いて相変わらず寒波が持続しているようで犠牲者も出ている。昨夏は異常高温も各地で見られた。気象の異常が続いているようだ。単純に温暖化だけでは説明出来ないのではないだろうか。太陽の活動が原因であると言う研究者もいるようだ。いずれにしろ、自然現象はさまざまな要因で変化する。雪が積もらない、と聞いてやって来た釜石だが、釜石の人ですら驚く雪が降った。しかし、この雪も植物のためにはとてもいいのではないか、とふと思った。例えがよくないかも知れないが、通販で買った讃岐うどんの作り方に、熱湯で暖めて、ほぐした後、大事なポイントは水で冷やすことにあると、説明書に書かれてある。麺が締まるのだ。それが腰のある麺の決め手となる。植物も雪で冷やされた後、春になり一気に成長することが、生き生きとした花を咲かせることに繋がっているのではないだろうか。東北の花の種類が多く、綺麗な花が咲く秘密がそのあたりに潜んでいるのではないか。そんなことを庭に積もった雪を見ていると思ってしまう。
藤の花の種の入った鞘以外の植物はみんな雪に埋まってしまった

ソチオリンピック

2014-02-15 19:18:08 | 文化
今朝起きると予報通りもう雪が降っていた。この前の雪で懲りていたので、朝食後に雪かきをやっておいた。1時間あまりやっていると汗びっしょりにもかかわらず、足先だけが冷たく、痛みがあった。近所でもみんなそろって雪のまだ降る中で雪かきをやっていた。釜石ではほんとうに珍しい光景だ。午後には少しずつ風も出て来て、一時はみぞれ状の雪になった。ヒヨドリが1羽松の影にやって来ただけで、今日は小鳥たちの声も姿もない。窓から近くの市街地の南の山を見ると煙のように流れながら降る雪が見えた。見かける人や車も普段よりずっと少ない。 今月7日から行なわれている冬期オリンピックはロシアのソチで行なわれている。黒海東岸のロシア最大のリゾート都市で人口は45万人近い。北緯43度にあり、ちょうど日本の札幌と同じ緯度にある。北には自然遺産として世界遺産となっている西カフカース山脈があり、3520k㎡にも渡るヨーロッパ最大の原生林が広がり、1580種もの多様な植物、ヨーロッパバイソンの山岳亜種などの絶滅危惧種を含む60種の哺乳類や野生動物たちの楽園となり、246種の鳥類、2500種の昆虫が棲息すると言う。また、湖、滝、湿地、洞穴、氷河などの景観にも富み、氷河時代の名残が見られると言う。こうしたソチで行なわれているオリンピックで11日、クロスカントリー男子スプリント・フリーのロシア代表アントン・ガファロフ選手がレース中、ヘアピンカーブに猛スピードで突入して転び、左足のスキー板が折れてしまった。同選手が壊れたスキーのまま足を引きずりながらゴールへ向かおうとした時、カナダのジャスティン・ワズワースコーチが駆け寄り、自国選手のために用意していたスキー板を履かせた。これによって見事、同選手はトップから3分近く遅れて最下位であったがゴールすることが出来た。カナダのワズワースコーチは「ゴールまで走りきって欲しかった。わなにかかって動けない動物を見たときにみなさんは放っておけないでしょう。それと似たようなこと」と語っている。2006年2月にイタリアのトリノで行なわれた冬期オリンピックでクロスカントリースキー女子チームスプリントでゴールを目前にしたカナダのベッキー・スコット選手の1本のポールが折れた。クロスカントリースキーではポールが折れることは致命的だ。その時、そばにいた4位となったノルウェイのコーチが自国選手のための予備のポールを差し出した。スコット選手は2位でゴールし、カナダチームは銀メダルを獲得することが出来た。言わば、カナダは今回、この時のお返しをした形になった。国と国が競い合ったスポーツだが、最後までやり遂げたいと言う気持ちは国の違いはない。その気持ちが共通にあるために競合相手であってもこうした助け合いが出来るのだ。災難に出会った人を国を越えて助ける姿がやはり国を越えて人々の心を打つ。こうした場面を見る度に戦争の愚かしさを感じる。国と国の対立とは言え、それぞれに住む人の気持ちには何ら変わりはない。時々、朝鮮半島のかっての新羅や高句麗を描いた韓国の映画を見るが、そこで描かれる武人の忠義の精神は何ら日本の武士道とも変わらない。親子の情愛も同じだ。政治家や官僚が国益と称して対立を生み出す。互いの国民には実際には何の益もないだけではなく、戦いになぞなれば、ただ犠牲を強いられるだけである。それはもうすでに日本では痛いほど歴史で知らされている。対立を外交で解決するのが政治家や官僚の役割であり、対立を生み出すことではない。政治家や官僚こそオリンピックを見るべきだろう。
積もった雪で枝が垂れ下がる松

バレンタインデー

2014-02-14 19:11:19 | 文化
今朝も-7度まで下がり、ここのところほぼ毎日犬の水入れにも氷が張っている。北海道に住んでいた時は、犬たちのために、冬は水を入れなかった。檻から外へ出すと犬たちは雪を食べていた。本能的に雪を食べれば水代わりになることを分かっていたのだろう。庭の雪がまだ30cm近く残っているのに、明日から明後日にかけてまた東北は大雪になる予報だ。東京ではすでに今日、雪が降ったようだ。ほぼ毎日職場の裏山にやって来ているゴイサギの姿が今日は見られなかった。かわりに久しぶりに雪の上を素早く歩きながら雪の融けたところを見つけて、そこに落ちている木の実を食べていたリスを見つけた。 今日は2月14日でバレンタインデーSt. Valentine's day だ。ローマ皇帝クラウディウス2世は兵士の士気を保つため、兵士の結婚を禁じたが、キリスト教の司祭であったウァレンティヌス(バレンタイン)は密かに兵士を結婚させていた。そのことが発覚し、彼は捕らえられ、紀元269年2月14日に処刑された。この日が後に若い恋人たちの日となった。もともとローマではこの日がすべての神の女王である女神ユノの祝日で、若い女性が好きな相手の桶に自分の名を書いた札を入れ、翌日の豊年を祈願する祭りの朝、男性が桶の中の1枚を取り、組合わさった二人が祭りの間、共に過ごしていた。この風習とウァレンティヌスの祭日が結び付いたのだ。しかし、このバレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈ると言う現在の習慣は日本独自のもので、やはりチョコレートの販売促進がそこには潜んでいる。チョコレートはカカオから作られる。カカオからはココアも作られている。そのカカオの生産は現在赤道を中心に北緯20度から南緯20度までのカカオベルトと呼ばれる地帯で行なわれている。カカオはもともと中南米原産で、紀元前1900年頃から利用され始め、マヤ文明やアステカ文明で富と権威の象徴として王や貴族たちに独占された。1519年エルナン・コルテスがアステカ帝国から利用法とともにスペインへ持ち帰り、ショコラトル(チョコレート)として欧州に広まって行った。17世紀半ば以降からは生産地も広がって行く。現在、世界のカカオ生産の71%はアフリカで行なわれている。中でも、フランス領であった、かって日本で象牙海岸共和国と呼んでいたコートジボワール共和国は世界の4割近くを生産している。ついで日本が輸入しているガーナの生産が世界の2割を占める。しかし、このアフリカの2大生産国はアフリカの他の国々同様政情が不安定であり、そこでの産業も限られている。日本に入るカカオは主に森永製菓と明治製菓に棲み分けされている。前者がココアを後者がチョコレートを生産する。日本でチョコレートを生産し、販売する企業がチョコレートの消費を増やさんがためにバレンタインデーを利用した。一気に消費量は増加した。しかし、チョコレートの原料であるカカオが児童労働で支えられていることはほとんど知られていない。しかも、その児童たちは誘拐や人身売買によって生産地に連れて来られ、就学も十分受けられない環境で労働させられている。彼らは自分たちが生産するカカオが何に使われているのかすら知らないで働かされている。2007年にカナダのジャーナリストキャロル・オフCarol Off 氏が著した『チョコレートの真実』は原題が『BITTER CHOCOLATE(苦いチョコレート)』となっているが、まさに、児童たちの奴隷労働とも言える悲惨な現状を書いている。国際熱帯農業研究所(IITA)の調査ではコートジボワールだけで13万人もの子供たちがカカオ農園の労働に従事していた。西アフリカのカカオ農園で働く子どもの64%が14歳以下である。日本は世界では豊かな国になった。しかし、島国でもあり、世界の小国の事情など知る由もなく、商業ベースに乗ったバレンタインデーにチョコレートが大量に消費されている。そのチョコレートは食べることだけが保障された子供たちの過酷な労働によってもたらされているのだ。
久しぶりに職場の裏山で見つけたリス

「サルでもわかる憲法違反」

2014-02-13 19:15:02 | 社会
今朝も-8度まで下がり、家の外にしばらくいると足先が痛くなって来た。遠野では-10度まで下がったそうだ。釜石も先の週末に降った雪は主要道路では除雪されたが、その除雪は遠野と比べると丁寧ではなく、各所に雪が残り、今はそれが氷に変わって、むしろ車がスリップしやすくなっている。明日から明後日にかけてまた大雪になる予報が出ている。例年雪が積もらない釜石であっても車はみんな冬はスタッドレスタイヤに変える。しかし、雪には慣れていないため、今回のように大雪になるとたちまち渋滞になってしまう。朝の放射冷却があった分、日中はきれいに晴れ上がり、職場の裏山の上には見事な釜石ブルーが広がった。ゴイサギも薮椿の影に止まっていた。甲子川の河川敷には積もった雪があるため、誰も白鳥に餌をやる人がいなくなってしまった。そのためか、昼には白鳥たちの姿はなく、恐らくどこかへ餌を求めて一時的に飛んで行ったのだろう。 日本の憲法は「平和憲法」として世界的にも知られている。その9条は1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と「戦争の放棄」を、また2項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を明確に定めている。これを見れば、それこそ小学生であっても現在が明らかに憲法に違反した状態であることが分かる。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」は完全に空文になっている。自衛隊の善し悪しとは別に、すでに自衛隊は世界的に見ても立派な軍隊であり、「戦力」を保持している。しかし、政府はこれを「解釈」で自衛隊は軍隊ではないとし、国際連合憲章を持ち出して自衛権を当然の権利としている。素直に9条を見れば明らかに自衛目的であっても「戦力」保持は出来ないのだ。小学生でも分かるこの憲法条文を政府の都合のいいように「解釈」することで、条文とは外れた現実を容認させて来た。これほど法を軽視した状態はとてもあり得ないことだ。首相はここからさらに1歩踏み出して、「集団的自衛権」を容認しようとしている。そのために憲法改正に積極的で、そのハードルが高いことも承知している。そこで、「国家安全保障基本法」を制定して、憲法改正をしなくとも「集団的自衛権」を達成可能な状態にしようとしている。この春の成立を目指す「国家安全保障基本法」そのものが憲法を無視した法である。米国は財政的にも世界各地での軍事的介入が厳しくなって来ている。そんな中で、日本が一部を肩代わりすることを望んでいる。それを十分承知した安倍首相は米国へすり寄り、なんとしても「集団的自衛権」を達成しようとする。2003年3月に始まったイラク戦争は国連安保理決議を抜きに米国中心にイギリス、オーストラリア、ポーランドが連合で行なった。イラクが「大量破壊兵器」を有するとしてだ。結局、その根拠となった「大量破壊兵器」は存在しなかった。こうした戦争への参加も「集団的自衛権」は可能とする。国際連合憲章51条は国連加盟国の個別的又は集団的自衛の固有の権利を保障している。しかし、あくまで自国の憲法が法規上は優先されるのであり、その憲法から言えばたとえ個別の自衛のためであれ、「戦力」となる軍備は保持出来ないのだ。自衛隊はすでに軍隊であり、軍事的な個別自衛権すら憲法は禁じている。法をなし崩しに「解釈」で変え、現状を容認する形に持って来た。「集団的自衛権」が憲法改正や国家安全保障基本法により認められる形になれば、イラク戦争のような戦争へも日本は参加することが可能となる。武器を持てば、それを現実の中で使いこなせなければ意味がない。それを実践しているのが日米の合同軍事演習であり、まさにそれ自体が日本の自衛隊がすでに軍隊、「戦力」であることを前提にしている。それがまかり通るのは、本来政府とは独立しているはずの裁判所が政府のやることを追認する体質になっているためだ。法の番人であるはずの裁判所が日本ではその務めを放棄してしまっているのだ。民主主義を社会的に保障するはずの三権分立が機能していない。一時「サルでもわかる・・・・」と題した書籍が出たが、まさにサルでもわかる憲法違反が行なわれている。これが「法治国家」日本の現状だ。お膳立てはすべて官僚が行なっている。
職場の裏山の上に広がる釜石ブルー

マリモ

2014-02-12 19:20:09 | 自然
今朝は-5度まで下がっていた。日中も3度までしか上がっていなかった。雲の覆う曇天であったが、夕方になり雲が切れて来て、夕焼けを見ることが出来るようになった。先日降った雪は今もほぼ庭を埋め尽くしている。庭の木々の上にも雪が残っている。こうした雪景色を見ていると、どうしても北海道に住んでいた頃を思い出す。北海道でも道東と呼ばれる東のもっとも北海道らしい風景の見られる地域に住んでいた。冬には海外に流氷が押し寄せて来た。マリモで良く知られた阿寒湖や「霧の摩周湖」も近く、何度もそこを訪れた。阿寒湖ではマスの養殖が行なわれていて、アイヌ人である漁業組合長と懇意にしていたので、よくマスをいただいたりもした。夏の湖面を走る遊覧船にも何度か乗って、『さくら貝の歌』などの多くの名曲を作曲した八洲秀章の作曲した『マリモの唄』を聴きながら、湖の中にあるチュウルイ島に着くと自然状態のマリモを見たものだ。マリモを初めて見たのは小学校の6年の時であった。夏休みに北海道の親戚のところへ行って来たという級友がクラスに持って来た。ガラス瓶の中に緑の丸いマリモが入っていた。そのマリモの印象があまりにも強烈だったのでいつまでも忘れられない。しかし、マリモは低温には強いが、高温には弱く35度が限界だと言う。今思うと、暑い四国によく持ち込んだものだと思う。マリモはその形と色合いと阿寒湖のイメージで何か特別な藻のように思われるが、実際は用水路や湖沼のコンクリートに付着しているよく見る緑の藻、カモジシオグサや浅い池の底に沈んでいるアオミドロなどと同類の藻だ。丸くなった一つの固まりが1個のマリモなのではなく、糸状の枝分かれをした藻の本体がいくつも集まって1個の丸い藻を形作っている。日本以外にもヨーロッパ北部やロシア、米国など北半球に広く分布する。しかし、2011年に釧路市教育委員会マリモ研究室の調査によって、北半球のマリモの全てが日本の湖のマリモを起源とする可能性が高いことがわかった。日本では現在マリモの存在は北海道から滋賀県の琵琶湖までに存在することが知られている。北海道では阿寒湖以外で釧路湿原やチミケップ湖に分布し、本州では青森県の6つの湖沼、山梨県の富士五湖のうち山中湖、河口湖、西湖に、そして、南限の滋賀県の琵琶湖に分布する。ところが、1970年代後半に富山県の立山の個人の庭の湧水の池でマリモが発生し、1998年に立山マリモ生息状況調査委員会がDNAを調べた結果、この立山で発見されたマリモは阿寒湖のマリモとは別系統のマリモであることが判明した。現在、日本では2系統のマリモが存在する。阿寒湖はかって現在よりも10倍も広い古阿寒湖であったが、 1万年前に雄阿寒岳が噴火し、そのために古阿寒湖が分断され、6000~7000年前に現在のような阿寒湖が生まれた。北半球のマリモの起源が日本にあるが、それがいつ頃どこで生まれたのかは消滅した湖沼がたくさんあるため解明が難しい。マリモはクロロフィルとよばれる緑色の色素を有した葉緑体からなり、葉緑体は光合成作用によって水と二酸化炭素から糖をつくり出し、それをエネルギー源としたり、藻の原材料としている。光合成では酸素を発生させるので、それが時にマリモを浮かび上がらせたりもする。しかし、マリモは乾燥に弱く、水面に出たマリモは弱ってしまう。波によって岸辺に打ちつけられたマリモは形を崩してばらばらになってしまう。ところが、そのばらばらになったものがまたそれぞれ別のマリモを形作るようになり、マリモの数が増えて行くことに繋がっていることが分かって来た。山中湖村教育委員会と国立科学博物館などの共同調査チームが富士五湖の一つである山中湖の湖底を調べて、山中湖では2種の丸いマリモが共存していたことが分かった。2種のマリモの共存は琵琶湖でも確認されているが、形の丸いマリモの2種の共存は山中湖が南限だと言う。
モミジの枝に残る雪

野鳥

2014-02-11 19:19:15 | 自然
今朝も-6度まで下がったが、放射冷却のせいのようで、晴れてくれた。相変わらず、朝日の射す愛染山山頂は雪を冠ってとても綺麗だ。一昨日の大雪も庭にはほとんどそのまま残っている。国道を外れた道路にも雪が残っていて、日射しで一部が融けたためぬかるんだところもある。休日のせいで近所ではまだ家の周りの雪かきを続けているところもある。家の中から庭を眺めると、ほんとうに雪国にいるようだ。日射しの射す庭に今日は山鳩とツグミがやって来た。ツグミは一見するとスズメを大きくしたように見える。秋に群れをなしてシベリアからやって来る。冬の間はさえずることがないので、口をつぐむことからツグミの名が付いたと言われる。地方によってはこのツグミを食していた伝統があるようだ。愛知県の岡崎市に住んでいた頃はよく野鳥の写真を撮りに出かけた。気候の暖かい時期は木々の葉に隠れるため、小鳥を撮るのが難しくなる。冬は渡り鳥を含めてたくさんの野鳥を見つけることが出来る。一番色鮮やかな鳥の一つはオシドリで、ある山間部の川にたくさん集まったところがあった。溜め池が各地にあり、冬にはその溜め池に渡りの水鳥たちがやって来た。休みの日の度にそうした溜め池を中心に回った。野鳥は近づくと逃げてしまうため、どうしても離れたところから撮らざるを得ない。そのため望遠レンズが必須となる。その望遠レンズは重量も重くなり、ブレも防ぐため三脚も必要になる。野鳥の撮影はどうしても重装備になってしまう。釜石へ来てからは情報不足もあって、野鳥を見る場所が限られているので、そのために重装備で出かけるのが億劫で、野鳥の撮影はかなり少なくなってしまった。甲子川にはヒスイの別名を持ち、青い宝石と言われるカワセミもいる。しかし、川幅があるため、手持ちの望遠レンズでは十分な大きさで捉えることが出来ない。一時、望遠の倍率を上げるために高性能の望遠鏡にコンパクトカメラをセットしたデジスコと言う手法で撮ろうとしたこともあったが、これはピント合わせがとても難しい。何枚も撮影して、そのうちに1枚か2枚ピントのあったものが見つけられれば幸運だ。望遠鏡や三脚もあるので移動も体力が必要になる。釜石へ来て間もない頃、偶然、家の近くの甲子川でヤマセミを見つけた。毎朝同じ木にやって来ることが分かり、そこにデジスコを持ち出して撮影することが出来た。ヤマセミはカワセミよりも大きい。以前、早池峰神社へ行った時も、山間の川で見つけたこともある。ヤマセミは釜石へ来て初めて出会った。瑠璃色のとても綺麗なオオルリも釜石の住宅街に近い山裾で偶然見つけた。尾羽が黄色いとても可愛いキレンジャクと言う小鳥もやはり偶然、1羽で家の庭に来ているのを見つけたことがある。同じ鳥の仲間で尾羽が赤いヒレンジャクと言う小鳥は愛知県で何度か撮影したことがある。北国へ帰る前に宿り木の実を食べにやって来るので、ヒレンジャクが集まって来ると、ネットにすぐに情報が流れ、たくさんのカメラマンがやって来た。そんな中でキレンジャクには一度も出会うことが出来なかった。それが釜石の自分の家の庭にやって来たのだ。レンジャクは普通は身体がスズメ程度の大きさなので、集団で行動するのだが、家にやって来たのは1羽だけであった。野鳥を撮るには同じ場所に何度も足を運んだり、偶然に左右されたりすることが多い。しかし、風景写真を撮るようになって野鳥にも興味が出て来ると、それまで気付かなかったたくさんの野鳥たちが身近にいたことに気付かされた。それぞれみんな可愛い鳥たちだ。
庭の松の木の枝に止まったツグミ

東京都知事選挙

2014-02-10 19:17:13 | 社会
昨日の雪は関東・甲信越、東北と広い範囲に大雪をもたらしていた。東京は観測史上3番目の雪だったようだ。今朝の通勤は2倍の時間がかかってしまった。どこも20~30Kmのノロノロ運転で渋滞気味になっていた。釜石はほとんど冬場も雪が積もらないので、除雪体制が遠野ほど整っていないので、いざ雪が積もると大変になる。今朝は気温も-9度まで下がり、この冬の最低気温になった。昨日は雪かきで腰を痛めて疲れたが、除雪をしておいてよかった。今朝車を動かすにも、それでも苦労させられた。わずか10mを動くのにも前後に何度も動かしてやっとその距離を移動出来た。日中は7度くらいまで上がったので、寒くはなく、路上も融けた雪でずいぶん濡れていた。夕方暗くなって家路につくと、朝より酷い渋滞で3倍の時間がかかった。路面も酷い状態だったからだ。 東京都の知事選挙は与党の支持を受けた舛添要一氏が選ばれた。景気の先行きが今ひとつ不透明なため、不安を感じて、政府と繋がりのある同氏を選択したのかも知れない。都民も国民も生活に不安を抱えている。原発も重要だが目先の生活がより重要との視点で投票されたのだろう。大雪とソチオリンピックが重なったせいか、投票率は前回選挙を16.45%も下回り、46.15%で、3番目の低さになった。毎日新聞が実施した出口調査では、「少子高齢化・福祉」を挙げた人が全体の3割以上を占めており、「原発・エネルギー問題」は約2割だった。福祉では親の介護に専念した舛添氏が注目されたのかも知れない。どうしても選挙の投票は中高年層が多くなるので、生活に密着した問題に関心が集まるのだろう。有権者の関心が次に集まったのが「景気と雇用」なので、やはり地方からより条件のいい職を求めて、東京へやって来た人たちも含めて、与党の支持を受けた同氏が有利であったのだろう。舛添氏は当選後、「原発依存体質を少しずつ減らすのは重要だが、国との調整も必要」と述べている。原発に関しては即時停止との考えではない。東京は今後急速に高齢化が進んで行く。都民はそれを十分意識しているようだ。それも福祉の充実を訴えた同氏に有利となっているようだ。今回の東京都の知事選挙に限らず、日本では選挙では多くが急激な変化を望まない。日本人の体質なのかも知れない。実際は仮にどんな候補者が当選しても極端な変化は起こりえないのだが。政府であれ、自治体であれ、規模が大きいほど官僚、役人の主導権が強いからだ。国や自治体を動かしているのは首長であるよりも役人であることが実体だろう。従って、その役人たちが好む政策を進める政治家は政策を実行し得るが、役人が好まない政策を進めようとすると多くの障害に出くわすことになる。役人の抵抗は様々な形で現れる。すべての情報は役人が握っており、政治家は交替しても役人は替わらない。日本は役人天国であり、それ故に役人への道の王道が東京大学法学部となっている。そこを目指して、小学校から熾烈な競争が展開されている。国民はその実体を無意識に心得ている。誰が首相になろうと、知事になろうと、大きな変化は起き得ないのだ。明治維新は天皇を掲げたが、実体は官僚制の完璧な構築にあり、それが現在まで引き継がれて来ている。表面は戦後の民主主義の体制をとってはいるものの、中身は決して変わっていない。そして、日本の数々の欠点と言われるものも、その官僚制に起因するものが多い。良く挙げられる島国日本の閉鎖性も役人の閉鎖性に起因している。情報公開は役人の都合次第だ。先に成立した特定秘密保護法も実際の運営は役人に任される形になる。役人に不都合な情報はすべて秘密とされるだろう。国家にしろ自治体にしろ役人の強みはすべての情報を握っていることにある。これまでも不都合な情報は秘匿されて来た。特定秘密保護法はそれを公然と認める形になった。一層、役人の情報独占を強めるものだ。国会すら太刀打ち出来なくなった。民主主義はいわば情報公開と同義である。情報が公開されなければ、民主主義など達成出来るものではない。アベノミックスが政策として実行出来たのも官僚に有利になるからである。中身の実効は官僚が行なう。天下り先が有利になるように国費が注ぎ込まれて行く。いくら批判が続いても天下りは絶えない。国と同じことが東京都でも行なわれている。東京オリンピックでは都の役人が実権を握る。やはり天下り先に有利に財源が注ぎ込まれて行くだろう。
雪の積もる甲子川周辺

釜石ブルーと職場の裏山

午後に3階にある職場の駐車場のそばの裏山に現れた鹿たち



釜石へ来て以来の大雪

2014-02-09 19:32:52 | 自然
昨日からの細雪が今日まで間断なく降り続けた。恐らく、釜石へ来て初めての雪の量になったと思われる。さすがに雪かきをしないととても庭も歩けないし、犬のいるところへも近づけない。車庫に入れていなかった車の上や周りにも雪が積もってしまった。何度かに分けて、釜石へ来てからは、初めての雪かきをやらざるを得なかった。内陸の遠野などは相当に降っただろうと思われる。雪かきをしていると、JR釜石線で始まった蒸気機関車の試運転の汽笛が鳴り響いた。まさに雪国を走るSLだ。感覚的に何十年も前にタイムスリップしたようだった。北海道以来の雪かきのためさすがに今日は疲れを感じてしまった。午後には雪の積もった庭に山鳩がやって来て、続いて雄のジョウビタキがまだ残っている紫式部の実を食べに来ていた。
雪に埋まってしまった車

紫式部に止まるジョウビタキ